中国と台湾の関係に北朝鮮の弾道ミサイル…のどかな島が“防衛の最前線”に 島民に戦争の記憶残る宮古島の今

太平洋戦争の沖縄戦が終結した「慰霊の日」の6月23日。78年が経った今年2023年は、中国と台湾の関係や、北朝鮮の弾道ミサイルなど、これまでとは違う緊張感の中での慰霊の日となった。 安全保障の最前線にある沖縄県だが、中でもさらに南西にある宮古島では、目の前で有事が起きる可能性もある。ジャーナリストの大谷昭宏さんと、宮古島の今を取材した。
沖縄県・宮古島。市の北西部には人口5万5千人の大部分が集まっているが、少し離れると、さとうきび畑などが広がるのどかな島だ。
大谷昭宏さん:「島の東端にやってきました。一面の海ですけども、これはいわゆる“第一列島線”。中国の艦船は左側の方からきて、太平洋に抜けていく。静かな海も、ひとつ間違えれば一触即発ということも起きかねない」
沖縄本島と台湾の中間地点にある宮古島は、尖閣諸島ともわずか200キロほどの距離にある。
2019年に陸上自衛隊の駐屯地ができ、島の南東部・保良(ぼら)地区には訓練場が建てられた。
弾薬庫や射撃場を備える訓練場。
訓練場のすぐ近くには民家が点在していて、門の前には抗議する人たちがいた。
抗議する男性:「集落が目の前ですから。そこで弾薬庫を置くっていうのは、ちょっとありえないでしょう」
周辺住民にとって、射撃訓練の音が聞こえることは珍しくないという。
進む自衛隊の“南西シフト”。背景にあるのは…。日本船(2023年1月):「こちらは日本国・海上保安庁、尖閣諸島は日本の領土である」
中国船:「こちら中国海警局。貴船の主張は受け入れられない」
尖閣諸島周辺の接続水域で確認される中国の船は年々増加し、海上保安庁によると、2022年は過去最多の336日に。また、中国は東シナ海での軍拡を進めていて、台湾との間でも緊張感が高まっている。
さらに…。<宮古島の防災無線>「北朝鮮からミサイルが発射されたもようです」
2023年に入ってからは、北朝鮮の弾道ミサイル発射も相次ぎ、航空自衛隊の分屯基地に迎撃ミサイルのPAC3も配備された。いま、宮古島は“防衛の最前線”となっている。
島民の女性(28):「(Jアラートの際は)ちょうど畑仕事中だったので『建物の中へ』って言われてもない。(南西シフトは)自分はそんな反対ではないです。守ってもらいたい方なので。子供がいるので」別の島民の女性:「(島に弾薬などが)突然来たり、自衛隊の車が通って行ったり、そういうのがちょっと怖いですね」島民の男性(67):「中国軍ですね軍艦とか、しょっちゅう近くにいますんでね。(防衛力を)“強化する方向に”って個人的には思いますね」
島南東部の保良訓練場から300メートルほどのところに住む、平良長勇(たいら・ちょうゆう 84)さんは、戦時中もこの保良地区に住んでいた。
大谷さん:「宮古島自体は、地上戦はなかったんですね」平良長勇さん:「地上戦はないですね。飛行機で空襲が。また、一時は船から艦砲射撃。帰ったら家はないし、火がぼんぼん燃えてるし、豚もヤギも焼けてる。貧しくて苦しい時代があったんで、私は戦争反対です、今でも。庶民は命だけ張って、いいことないじゃないですか」
大谷さん:「『台湾有事』に備えて宮古島含めた沖縄が『防衛の最前線』にならなきゃいけない。だから弾薬庫も必要なんだという構図」平良さん:「だから、そうなってくるから私は嫌なんです。これ(基地や弾薬庫)がなかったらどうなりますかね、攻めてきますかね?(基地や弾薬庫が)あるから、危険だからやっつけなきゃいけなくなる。私はそう思うんですけど、違いますか?」
「基地があるから狙われる」。進む島の“要塞化”に反対する平良さんには、忘れられない「戦争の記憶」がある。戦時中に起こった弾薬庫の爆発事故だ。平良さん:「ある日、すごい爆発音がしたんです。弾薬庫が爆発したでしょ。赤ちゃんをおぶってもう死んでいた、足だけが見えたような感じがするんだけど」現在の弾薬庫から、わずか700メートルほどのところにあった「キヤマ壕」。
宮古島に駐留していた日本軍が弾薬庫として使っていたが1944年2月、兵士らが運んでいた弾薬が爆発し、複数の兵士に加え、一緒にいた1歳の赤ちゃんと、13歳の少女も死亡した。
地域の歴史をまとめた本「城辺町史」には…。
<城辺町史より・亡くなった赤ちゃんの母親>『ドーン』というものすごい音がしたよ。私の子はおんぶされたまま、2人吹き飛ばされていたよ。よく見たら、私の子は脳が出ておくさ。こんなに流れてよ。即死さぁ。
平良さん:「兵隊さんの足が上を向いていた。僕ら庶民には必要ないですよね、弾薬庫は。いつでも、今でも。そういう危ないものはない方がいいと思っている、近くには」
かつてキヤマ壕があった場所は、今は雑木林になっていた。キヤマ壕の爆発事故で亡くなった少女の甥(67)から話を聞くことができた。大谷さん:「ここの話を聞いたことがあるんですか?」亡くなった少女の甥:「戦時中に、兵隊さんの手伝いをしていて、伯母さんが子供をおんぶしていて、巻き込まれて亡くなったということは聞いております」
大谷さん:「保良の訓練場ってのは、ここから見えるところにありますよね」男性:「そうですよ。本当に近いから、ちょっと危惧しているけど」別の地元の男性が戦前、弾薬庫があった場所を教えてくれた。地元の男性:「あのヤギのいる草むらの…」大谷さん:「あそこに戦前、弾薬庫があった?」男性:「はい」大谷さん:「慰霊碑を建てたりとかは」男性:「これに関しては、そういったのは一切なかった。私世代が亡くなれば、後世の人はわからないのではないですかね」
大谷さん:「この方角に行くと陸自の訓練場がありますよね。至近距離にそれがあるというのも…」男性:「う~ん、それはそれで分けて考えないといかん。今の時代に仕方ないのかなという気もするんですけどね」遠のく記憶の一方で、この地に、たしかに眠っている痛み。
リゾート地として人気の宮古島、大勢の観光客が戻ってきている。神奈川県から来たビーチの女性客:「とりあえずビーチ回ります。景色もきれいだし、人もめっちゃ優しいです」島根県から来たビーチの男性客:「初めて来ました」
宮古島商工会議所の根路銘康文(ねろめ・やすふみ)会頭(54)によると、観光客は、ピーク時の6割あまりにまで回復しているという。
宮古島商工会議所の根路銘康文:「これからの基幹産業としては、多分、観光が1位になる。去年(2022年)あたりから、お客様は戻ってきていて、レンタカーの数が全然足りないと。(レンタカー会社が)今、わっと増えて、200社あるそうです」
「無料で渡れる日本一長い橋」としても知られる、伊良部大橋。
2015年、海の上から絶景を楽しめるこの橋が開通すると、観光客は約3倍に急増。島の経済の中心は、農業から観光業にシフトしてきている。
そのカギを握るのが、中国人観光客だ。新型コロナの感染拡大前の2018年は、年間約20万人がクルーズ船で島にやってきた。中国本土からの便はまだ再開していないが、港では8000人が乗船できる規模の大型クルーズ船にも対応できるよう、ふ頭の長さを400メートル以上に延長し、受け入れ態勢を充実させた。その理由は、島の経済のためだけではないという。
根路銘さん:「クルーズ船で中国の方がたくさん来られることによって、宮古島に対する思いが変わっていく、好きになってくれる、そういうところも『有事』が起こらないようにする。仲がよくなれば喧嘩はしない。ここで生まれて、ここで生きている人たちのために、友好のために使っていきたい」宮古島が有事の際の最前線ではなく“友好の最前線”になればいい。根路銘さんはそう願っている。島の最東端、人目に付きにくい藪の中。慰霊碑に刻まれた観音と言葉が、中国の艦船が通過した海を、見守っている。
<慰霊碑に書かれた言葉>「平和に明け暮れたこの島が、大東亜戦争の決戦場の一つとなった」「こんな悲しい事は再び起こしてはならない」 今回の取材で「守ってほしい一般的な市民」「観光で生きていこうとする人」「弾薬庫の整備に反対する人」など様々な人の声を聞いた大谷さんは「どなたの声も否定はできないと思います。それぞれに必ず一理があるため、それぞれの声に耳を傾けてほしい」と話している。
島の慰霊碑にあった「悲しい事は再び起こしてはならない」ことについては「皆が一致していると思う」として「三者三様の声の中で1つだけの声が大きくなる、1つだけの主張が通ることが一番危険」と指摘し、それぞれの考えを聞いて「有事の島ではなく友好の島にしようとするための最前線であってほしい」と振り返った。2023年6月23日放送