日本一周クルーズ船が「なぜか韓国に寄る」理由 寄らなきゃ違法!? 背景に”日本の海運を守る”制度

船舶輸送に「カボタージュ」という制度があります。聞きなれない言葉ですが、有事に日本を危機から守る、重要な役割を果たしています。
「カボタージュ(Cabotage)」は一般にはあまり馴染みのない言葉です。労働運動関係の用語で、労働組合による「怠業」(わざと作業を遅くする)を意味する「サボタージュ(Sabotage)」と勘違いする人もいるでしょう。 これに対し「カボタージュ」は、国の安全を守る”防波堤”のような役目の制度で、「似て非なるもの」です。一体どんな制度なのでしょうか。
日本一周クルーズ船が「なぜか韓国に寄る」理由 寄らなきゃ違法…の画像はこちら >> コンテナ船のイメージ(画像:GustavsMD)。
これは基本的に、国内の海運市場へ外国勢がむやみやたらに参入するのを禁止するのが目的です。
「外国船は指定した国内の港(開港地)以外は入港できない」「外国船は国内でのヒト・モノの輸送ができない」の二本柱からなり、「船舶法」でちゃんと決められています。実はこの法律、何と100年以上前の1899(明治32)年に作られたもので、その古さにも驚きです。
国内での船舶輸送は「内航海運」と呼ばれますが、外国船がわが国の内港間だけでヒト・モノの運搬行為をおこなうのは、特別の許可がない限りダメなのです。これが「カボタージュ」制度です。
例えば中国船籍のコンテナ船が、上海から荷物を満載して神戸、名古屋、横浜と順番に回って積み荷を降ろし、逆に新規のコンテナを各港で積んで全て上海に運ぶというふうに、「積む」「下ろす」の片方が全て海外ならばOKです。
一方コンテナを半分だけ積んだ中国船が上海から神戸に着いて、積んでいたコンテナを全部下ろし、新規のコンテナを満載し、これを横浜まで輸送する、というのはNGです。神戸~横浜間という国内完結の物資輸送を、外国船が受け持った格好になるからです。ちなみにカボタージュは、海運だけでなく航空の世界にもあります。
コロナ禍も落ち着き「豪華な外国クルーズ船で行く10日間日本一周」といったCMも復活し始めました。旅程に眼をやると、「横浜~神戸~長崎~釜山~新潟~函館~横浜」というように、「日本一周」なのになぜか韓国の釜山や台湾の基隆(キールン)など「外国にわざわざ立ち寄る」例が多数あります。
ツアーをゴージャスに見せるための旅行会社の戦略…というわけではなく、これも前述したコンテナ船の例と全く同じ理屈で、外国船による日本一周クルーズの場合、一旦外国に寄港しないと、実態は横浜~横浜間でヒトを運ぶ行為となってしまうからです。
日本一周なら外国船にしなくてもいいのに…と思いますが、このような状況の背景には、パナマ、リベリアなど税金が安い国に形式上国籍を置き、実質は日本の船会社が所有するといった船舶運営手法があるのです。これは世界の海運業界でも主流です。
海運カボタージュの起源は古く、19世紀初めには欧米諸国ですでに国際ルールとして定着していました。海外に植民地を持つイギリスやフランスなどが、本国や植民地間の輸送業務を独占し莫大な利益を握ることが目的で、現在ではアメリカ、中国、EUなど世界の大半の国が支持し国際法として定着しています。
日本にとってのメリットは、まず「国内市場の保護」です。低運賃の外国船が大挙参入すれば、内航海運会社は価格破壊やダンピング競争に敗れ次々に倒産する可能性が高いでしょう。そしてこれは国内の物流業界全体に大きなダメージを与えます。
内航海運は国内貨物輸送量の3分の1を担っており、中でも鉄鋼や石油、セメントなど単価が安くて重い「産業基幹物資」の実に8割を担っているため、衰退すれば悪影響は深刻です。しかも日本人船員や海運従事者の先細りに直結し、ひいては「フネを造り操る」技術を次の世代に伝えることすら難しくなります。島国・日本にとって、この状態は国家の屋台骨を揺るがすほどのインパクトがあるのです。
安全保障の面でも重要です。仮に日本を仮想敵と見なす国の貨物船が日本の内航海運の大半を握ったとしたら、両国の間で何か確執が生じた際に、「安全確認のため一斉に長期点検に入る」との嫌がらせで海運を事実上全面ストップさせるかもしれません。そうなれば、国内輸送を外国に依存していた日本側は代替できる自前のヒトもフネもないため、経済や国民生活が大混乱に陥ってしまうでしょう。
それでも産業界の一部には「市場開放して運賃の高止まりを是正すべき。船腹(貨物船が荷物を運べる量)はいわば”国際商品”なので、何かあっても好きなだけ、自由に国際市場から調達できる」と楽観視する声もありました。
しかし2011年の東日本大震災の時は、こうした考えがいかに甘いかを証明する結果となりました。福島原発が被災し放射能漏れの報が一斉に全世界に流れると、東京、横浜など東京湾の各湾に寄港予定だった外国の貨物船は、放射能の被曝を恐れて一斉に浦賀水道を通ることを拒否。何十隻もが神戸など西日本の港に針路を変えてしまったのです。
当時の状況を考えれば仕方ないことですが、緊急事態に素早く対応したのが内航海運を中心とした”日の丸商船隊”で、神戸に下ろされたコンテナを「助け舟」よろしく、外国船に代わって東京湾の各港までピストン輸送し、「あわや東日本全部がモノ不足」という危機を何とかギリギリのところで乗り切ったのです。
100年前の明治年間に定めた「いぶし銀の法律」が、いまだに日本の根幹を支えていると言えるでしょう。