本紙社会面でコラムを担当し、新聞14紙を読み比べてスポーツ、政治などからニュースを読み解く時事芸人として活躍中のプチ鹿島(52)が出版した「ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実」(双葉社、1980円)が人気を呼んでいる。1970年代後半から80年代に世界を股にかけ、未知の生物や未踏の秘境を求めた男たち。「ヤラセ」などのそしりを受けながら、彼らはどのような信念で制作してきたのか、貴重な証言をまとめた一冊に込めた思いを聞いた。(仙道 学、加藤 弘士)
鹿島は自身を「川口浩探検隊の探検隊」と称する。執筆の動機は「番組に夢中になった小学生時代の答え合わせをするため」だった。
「テレビっ子でしたから。川口浩探検隊が水曜日で、金曜日がワールドプロレスリング。ともに未知の怪物を追う番組でした。僕はプロレスも大好きなんですが、アンドレ・ザ・ジャイアントやタイガー・ジェット・シンとか、『何だこれ!?』という選手に魅了されて。どちらの番組も、ときめきながら見てました」
中でも小6だった82年6月9日に放送された「謎の原始猿人バーゴンは実在した!」は衝撃だった。
「それまでの探検隊シリーズは最後、不透明決着が多かったんです。2つの頭を持つという伝説の大蛇の回では、一瞬見えたか見えなかったかで番組は終わる。でも猿人バーゴンは途中から出てきて、滝から飛び降りたり、ワニと戦ったり。探検隊はそれを捕まえて、ヘリに乗せて帰っていく。『大変だ。明日の新聞見なきゃ』って興奮しましたよ」
翌朝起きると朝刊を広げ、「川口浩探検隊、猿人バーゴンを生け捕り」の記事を探した。ところが、紙面のどこにも載っていなかった。
「地方紙だからかと思って、学校の図書館で読売や朝日を広げたんですが、やっぱり載っていない。歴史的な大発見なのに、おかしいなという。それから年齢を重ねると、演出で作られた番組だって薄々気づいていくんですよね」
転機は84年だ。嘉門達夫(現タツオ)が「ゆけ!ゆけ!川口浩!」という曲をリリース。視聴者目線でツッコむ「川口浩が洞くつに入る カメラマンと照明さんの後に入る」などの歌詞でヒットした。
「でも僕は完全に冷笑する気にはなれなかった。だって探検隊は本物のジャングルに行ってるわけだし、現場には現場の苦労があるんじゃないのかなって」
探検隊を“探検”する行程は長旅になった。月刊誌の連載5年に追加取材3年。計8年で得た証言には、テレビマンの情熱が渦巻く。
「これほどの人気番組だったのに、元隊員の証言集がないのが謎で。誰もやらないんなら自分がやる。自分が読みたいものを作ったという感じです。話を聞いていくと、書籍化の話はあったけれども、川口さんは探検隊をエンタメともドキュメントとも、リアルともフェイクとも何も言わないままに亡くなられた。元隊員はそれをちゃかしたり、暴露ものみたいな感じで明かすのは良くないと、断っていたんです」
当時ジャングルを駆け回った隊員の中には今、テレビ界で要職に就く人もいる。その思いは千差万別だ。中にはヤラセに加担したと、今も心に葛藤を持つ男もいた。生々しい証言はリアルとフェイクの二元論を飛び越え、「視聴率主義がヤラセを生む」という良識派の定説を覆す。
「ジャングルで蛇に細工している間、誰も視聴率のことなんか考えないと。いかに面白い画(え)を撮れるか、視聴者を驚かせ、楽しませられるかに必死だったというんです。夢中になって撮影する情熱が伝わる一方で、現場って暴走しがちだから、チェックの必要性を改めて痛感しましたね」
「探検隊を探検する旅」は後半、ロス疑惑報道に「アフタヌーンショー」ヤラセ事件、さらには旧石器ねつ造事件にまでも足を踏み入れていく。読み進めるたびに、気づく。「ヤラセと情熱」は過去の話ではない。膨大な情報から“事実”をどう見極め、どうジャッジしていくのかは、現代人にこそ求められる資質である。エンタメとは何か。テレビとは何か。さまざまな問題提起を行った上で、鹿島はこう語るのだった。
「子どもの頃の答え合わせですから、探検隊の方々への取材は本当に楽しくて、幸せでした。あの頃、番組に夢中になった人にも、見たことがない人にも、読んでほしいですね。魑魅魍魎(ちみもうりょう)がうごめくテレビという名のジャングルへの探検、ぜひ楽しんでいただきたいです」
◆プチ鹿島(ぷち・かしま)1970年5月23日、長野・千曲市生まれ。52歳。大阪芸大卒。YBSラジオ「キックス」の火曜パーソナリティーや、TBSラジオ「東京ポッド許可局」も担当。2019年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。スポーツ報知社会面や「読売中高生新聞」などコラム連載は月間17本。主な著書に「教養としてのプロレス」(双葉文庫)、「お笑い公文書2022 こんな日本に誰がした!」(文芸春秋)など。