いまは元気な両親でも、もしいつか認知症になり、介護が必要になったら──と想像したことがある人は少なくないだろう。認知症を発症した人が身近にいない場合、映画やドラマで描かれるような症状を想像し、病名にネガティブな思いを抱いている人もいるかもしれない。
しかし、日本におけるアルツハイマー病研究の第一人者である新井平伊氏は、「認知症になっても人生は終わりじゃない。まだまだ楽しめる」と断言する。自分自身も含め、家族や身近な人の認知症予防のためには何ができるのか。そして、家族に認知症の兆候が見られたら、どう接していけばいいのか。いま注目を集める新薬「レカネマブ」への期待や、アルツハイマー病研究のこれまでの道のりを伺いつつ、新井氏に教えていただいた。
―― 新井先生はアルツハイマー病研究の第一人者ですが、もともとはどのようなきっかけで精神医学の道を志したのでしょうか。
新井 精神科医だった父の影響は大きいと思います。父は私がまだ子どもの頃、茨城の片田舎で精神科の病院を開業したのですが、幼い私は入院中の統合失調症の人たちに遊んでもらっていました。統合失調症という病気は急性期の症状のイメージが強く、とかく誤解されがちです。けれど私は患者の方々に自転車の乗り方を教わったり野球を一緒にしたりする中で、みなさんとてもやさしい人たちだと感じていました。
一方で、統合失調症は精神障害の中でももっとも極端な症状を持っていて解明が難しいとも聞いていたので、いったいどんな病気なんだろう、という素朴な興味は幼い頃から持っていましたね。
―― 医師になりたいという夢も子どもの頃からお持ちだったのですか。
新井 そうですね、医者か建築家になりたいと思っていました。建築家というのは自由に立体構造やその中の空間を創造できるからでした。結局、大学では医学部に進学したんですが、実ははじめは外科医になりたかったんです。体育会系のサッカー部に所属していたこともあって、体力には自信があったので。
けれど6年生のときに自然気胸になり、ひと夏をほとんど治療に費さなければいけなくなったことで、「外科系は体力的に厳しいかも……」という思いがよぎるようになりました。さらに大学で学んでいくうちに、人の脳というものの神秘性に惹かれるようにもなっていきました。
―― 脳のどういったところに神秘を感じられたのでしょう。
新井 人の脳には全体で1000億個弱の神経細胞があり、それらが密接に連携をとることで私たちはこうして働いたり喋ったりしています。爬虫類や鳥類、ほかの哺乳類とも異なり、私たちの科学や文化がこれだけ発達したのは、進化の過程で人間の脳、特に前頭葉が高度に発達したからに他なりません。
個々の人間によって性格や価値観がまったく異なるのも脳のせいです。つまり、脳は私たちの文化や科学はもちろん、私たち一人ひとりの存在をも司っている。宇宙は無限大で我々の理解をはるかに超えるものですが、私たちにとっても身近な脳というものもまた、同じように無限大なものだと感じました。
かつてイギリスに留学していたとき、「人間は人間の脳を理解できるか?」というフレーズが研究室に貼ってあったのがいまでも忘れられません。そして、その答えのフレーズは、「もし解明できたなら、我々人間はもっと単純な生き物だっただろう」というものでした。いくら科学が発達してもそう簡単には解明できないところが、人間の脳の奥深さでしょうね。
だからこそ、勉強を進めていくうちに、研究するなら人間に特有の病気にしたいという思いも湧いてきました。当時はまだ、統合失調症やアルツハイマー病といった病気のモデルは、マウスを用いた動物実験では作れなかったんです。動物で再現できないということは人間特有の病気ですから、そういったものを研究したいなと。特に統合失調症は先ほどお話ししたような原体験を持っていたこともあり、専門にしたい、といつしか思うようになりました。
―― では当初は、統合失調症の研究をされていたんですか。
新井 最初はそのつもりだったんです。大学院2年生のとき、都立松沢病院に派遣され、顕微鏡で脳の形態を顕微鏡などで研究する「神経病理部門」に配属になったのですが、そこで統合失調症を研究したいですと先生たちに言ったら、いや、アルツハイマーをやったほうがいいと一斉に言われまして。
というのも、統合失調症は神経細胞の中でわかりやすい変化が起きたり脳が萎縮したりするような病気ではないので、顕微鏡で見てもはっきりとした所見がないんです。だから大学院の在学中に、統合失調症の神経病理の研究をしても、新しい発見をするのは難しいと。一方アルツハイマー病であれば、脳が萎縮したり神経細胞の数が減ったりと特徴的な所見があるから、在籍している間にいろいろな発見ができるし論文も書けるよと説得されました。
先生たちはいうまでもなく素晴らしい研究者でしたが、若輩者の私は渋々(笑)、それならアルツハイマー病を研究してみようかと。その後は、松沢病院の隣にある、精神医学総合研究所の精神薬理部門の先生方にもお世話になりました。
―― なかば渋々アルツハイマー病の研究をはじめられた、というのは意外でした。
新井 けれど先生方の言葉のとおり、アルツハイマー病の研究は非常にやりがいがあったんですよ。研究では、残念ながら亡くなった方の脳を解剖させていただき、神経病理的研究を生化学的に発展させ、脳組織の一部を分析して神経伝達物質を調べたんですね。
当時はアルツハイマーがそこまで社会的に注目されていなかったこともあり、そういった研究は日本ではまだまだ新しく、やればやるだけ結果が出たことも手応えに繋がりました。母校の先生に、「研究を一度はじめたら10年は続けろ」とアドバイスされたことも大きかったですね。私はわりと素直なので(笑)、その言葉を受けて淡々と研究を続けました。
ただ、研究所に在籍して5年ほど経った頃、このままでいいんだろうかと悩むことが増えてきました。医学には、細胞を相手にする基礎研究から人を相手にする臨床研究にいたるまで一連の研究があります。そのどれもが等しく重要なものだけれど、我々医学博士が担うべきはより臨床に根ざした研究なんじゃないか、と考えるようになってきたんです。医者になったからには、一連の研究の最終走者として研究成果を臨床にフィードバックするのが自分の役割なんじゃないかと。
そう思っていた頃、たまたま母校の恩師から「講師として大学に帰ってこないか」という話があり、考えていた一連のアルツハイマー病研究の最終走者になれるチャンスだと思って、大学に戻ったんです。
―― そういった経緯があったのですね。新井先生の功績もあり、アルツハイマー病の研究は近年、急速に進んでいるように感じます。最近では新薬「レカネマブ」の登場も話題になりましたが、やはり新薬には注目されていますか。
新井 はい、もちろん。レカネマブは、早期アルツハイマー病患者の方の脳内からアミロイドベータという有害なタンパク質を減らし、進行を抑制することが証明された治療薬です。現在はまだアメリカで「迅速承認」された段階ですが、臨床的な効果もあるというエビデンスが当局に申請されたので「完全承認」され、保険適用の範囲も広がるはずです。日本でも承認のためのプロセスが進んでいるので、来年頃までには結果が出るのではないかと思います。
2021年にはアデュカヌマブという新薬がアメリカで迅速承認されましたが、アデュカヌマブの登場でアルツハイマー病の治療に一条の光が差したとするなら、今度のレカネマブではかなり明るくなった印象です。進行を抑制できるという点においてこれまでの治療薬とは明確に違うので、アルツハイマー病のご本人はもちろん、そのご家族もかなり期待されているのを感じます。私たちもその期待に応えなくちゃと思っていますし、クリニックにいらした方には、「新薬が日本で承認されるまで元気でいましょう」という話をこの頃よくしています。
―― 新井先生は、これまで多くのアルツハイマー病のご本人とそのご家族に接してこられたと思います。高齢の家族にアルツハイマー病を予防してほしい、あるいはできるだけ病気を早期発見したいと考えている方は多いと思いますが、日常生活の中ではどのような点に注目すればいいのでしょうか。
新井 アルツハイマー型認知症を発症する前段階として、MCI(軽度認知障害)という状態があります。MCIは5年ほどで半数が認知症を発症するリスクを持っているので、この段階で必ず医療機関を受診することがなによりも大切なのですが、実はそれ以前に、「物忘れが多くなった」「これまでできていたことがスムーズにできなくなった」というような違和感を、ご本人が真っ先に感じて覚えていることが多いんです。
これをSCD(主観的な認知機能の低下)と呼ぶのですが、ちょっとした違和感の場合、人はどうしても大丈夫だろうと否定したくなってしまうんですよね。ですから、ご家族や周囲の方が「なんだかいままでと違うな」と感じている場合、SCDからMCIに進んでいることが多いんです。
―― どのような違和感がカギになりますか。
新井 仕事をリタイアした男性の場合は、女性と比べて見つけづらいんですよね。女性の場合、料理や掃除を長い間されてきた方が多いので、料理の味が変わったりとても時間がかかるようになったり、といった変化が家族から見てもわかりやすいんです。男性の場合は、リタイアすると1日中テレビを見ているみたいな方もわりといらっしゃるから……。ただ、若い頃から続けていた趣味を急にしなくなってしまった、というようなことがあれば、それは重要なサインと見ていいと思います。
いろんなところでよく見かけることがあると思いますが、「いくつ当てはまれば認知症疑い」とかいうチェックリストは、私はあまり使いません。なぜなら、その人のおかれた環境や地域、性別などによって結果が影響されるからです。それよりも、これまで得意だったことができなくなったとか、これまで好きだったものに興味を示さなくなったとか、何でもいいのですがそういった「変化」を見過ごさないことですね。そして、その段階で医療機関を受診してみて、仮に何もなければ、それはそれでいいわけですから。
―― そういった兆候を感じても、頑固な家族が相手だと、なかなか医療機関の受診を勧められないケースもあるように思います。受診を勧める際のコミュニケーションのポイントはありますか。
新井 まずは“正攻法”をお勧めします。本当のことなので、正直にみんなが心配していることを伝えることですね。大事なのは落ち着いてゆっくりと、息子さんや娘さん、あるいはお孫さんなどが、「心配しているし、いつまでも長生きしてほしいから病院に行ってみてほしい」ときちんと伝えて情に訴えることを推奨しています。これが、ご家族の本当の思いですからね。
それがうまくいかなければ、かかりつけ医から言ってもらうのも手ですね。医者の言うことであれば素直に聞き入れようとするタイプの方もいますから。それから、ご夫婦のどちらかが心配だけれど当人はあまり積極的に受診したがらない、という場合は、「お母さんが検査に行きたがっているけれど、不安みたいだから一緒に検査を受けてあげてくれない?」とふたりで受診することを勧めるのもいいと思います。夫婦一緒にであれば検査を受けるという方も少なくないので、頑固なご家族の場合は、そういった対応をしてみてもいいかもしれないですね。
―― 認知症になると、かつては問題なくできていたことが難しくなり、自信を失ったりイライラしがちになる方も多いと思います。家族が認知症を発症した場合、関わる周囲の人は、どのような接し方を心がけるとよいのでしょうか。
新井 認知症の障害は軽度、中等度、高度という3つの段階に分けられるのですが、これまでのデータを見ると、軽度がおおよそ5年、中等度が5年から8年、高度が5年から8年という長さです。
多くの方は発症して3、4年が経過した頃、軽度障害の後半で医療機関を受診されますが、その時期はちょうど症状がどんどん悪くなっていく段階なので、ご本人もご家族も、受け入れるのはすこし大変です。
けれど実は、認知症の軽度障害の段階でも、脳のほとんどの部分は正常なんですよ。そして、中等度障害の前半までは、生活の中で何か失敗してしまうことはあっても、自分の意思もはっきりと表明できるし、生活も十分にできるし、喜怒哀楽の感情もこれまでどおりある。
つまり、認知症の診断を受けたからといって、その人の人生は決してそこで終わりじゃないんですね。本人もご家族も、まずはそれを誤解しないことです。医師によっては、認知症の告知をする際、すぐに将来の準備として介護保険や入所のことまで話をする人もいます。それもどこかの段階では必要ですが、私たちが伝えるべきことはもっと他にあると思っています。
―― クリニックにいらした方に認知症の告知をするとき、どんなお話をされるのでしょうか。
新井 私は大切なことをふたつお伝えするようにしています。まずひとつは、患者さんが自分だけで病気と闘う必要はないということ。我々もご家族もみんな一緒に認知症と闘うチームだというのをきちんとお話しします。もう一つは、我々は医療者としてできるだけのことをしますという保証を加えます。
そして、病気に対する心配は我々がするから、みなさんは毎日を充実させ楽しむように心がけて下さいと伝えます。いまを楽しむことは、何よりも脳を活性化して、進行の予防にも繋がります。人生はこれからも続くので、「元気な脳を活かして毎日を楽しみましょうね」というお話をすると、みなさんいらっしゃったときよりもすこし明るい顔になってくれますね。
―― 新井先生は、「病気がきっかけで家族の絆が強まることもある」ともおっしゃっていますよね。これまでご覧になってきた患者さんとそのご家族の中で、そういった絆を感じたケースはありますか。
新井 本当にたくさんありますよ。いちばんわかりやすいのは、やっぱり親や祖父・祖母が病気になると、これまでより頻繁に家族が行き来し合うようになるんですよね。家族ってたいてい、子どもが遠くに住むようになると、年に1回くらいしかみんなで集まらないじゃないですか。けれど誰かが病気になると、心配して交流が生まれるし、元気な時間をできるだけ大切にして繋がりを持とうとすることも多いんです。
特にお父さん・お母さんが若くして認知症になった方の場合、そのお子さんは本当に立派な大人になられることが多いな、とそばで見ていて感じます。あるご家族の場合は、お父さんが認知症になり、その奥さんと娘さんが一緒になってお父さんを支えていたのですが、後年、その娘さんが難病のお子さんを出産されたんですね。そのとき、「病気のお父さんからいっぱい愛情をもらったから、今度は子供のことを精いっぱい可愛がっていきたい」と娘さんさんがおっしゃったんです。その言葉を聞いたとき、我々は医療というサービスを提供しているようでいて、むしろ患者さんとそのご家族から人生を教えてもらっているんだと強く感じました。
認知症に関わらず、病気になった方はみなさん自分の人生を全うしようとされます。幸福であるかどうかに認知症の有無は関係ありません。認知症になっても幸福感を得られるような環境や関係がつくれるかが大事なんです。
―― そういったやりとりをそばで見ていると、ご自身の家族への向き合い方なども変わりそうですね。
新井 そのとおりなんですが、やっぱり自分のことになるとうまくいかないな、とも思いますよ。私の母は肺炎で20年ほど前に亡くなったんですが、当時は私が忙しくてまったく茨城の実家に帰れず、本当に後悔しているんです。
だから父が高齢になってからは、私が茨城に引っ越して東京に通うようにしました。でも近くにいたらいたで、父がたまにとんちんかんなことを言ったりすると、声高にそれを指摘したりしてしまう。父は2年前に亡くなったんですが、母のときとまた別の後悔は残りました。いま、クリニックではご家族にいろいろアドバイスしているくせに、自分では全然できていなかったよな、と……(笑)。
―― いちばん近くにいる相手となると、心配でつい口を出してしまう気持ちは誰しもわかると思います。
新井 きついことをつい言ってしまってすぐに反省する、というのは患者さんのご家族もよくおっしゃいます。家族だとやっぱり心配だし、よくなってほしい思いもどうしてもあるので、感情的になっちゃうんですよね。ただ、認知症の方の中にもそのご家族にも、「この人が自分にとって大切な人なんだ」という基本的な信頼感はありますから、言ってしまったことを深く後悔しすぎなくてもいいとは思います。
病気の成り立ちと症状を説明して、患者さんご本人がなぜそういった言動をとってしまうかをご家族に伝えるのは、我々の役目です。私は、診察室の中では患者さんの弁護士でいようと思っています。さきほど言ったとおり、認知症の方でも中等度までは喜怒哀楽の感情をしっかりと持っていますから、自分が家族に迷惑をかけているんじゃないかと悩んでいる方も多いんです。そこにきて家族がいろいろときついことを言うと、やっぱり落ち込みますよね。
だから、「他人であれば冷静に受け止められ、ただ笑って見ているだけだけど、家族だからここまでいろいろ口を出してしまうんですよ。いろいろ言ってくれる家族はいい家族ですよ」と私が患者さんに伝えて、まずはご家族の話もすこしは聞いていただく。その上で、言われたことに対してきちんと弁護するんです。
―― ご本人とご家族、どちらの言い分にも耳を傾けてもらうということですね。
新井 そうです。第三者が入ることですこし冷静に対話ができ、「本当に感謝してるんですよ」などと、家では言わないようなご家族への感謝の思いを口にする方も多いんですよ。そうすると、ご家族は思わず涙する……。こんな感じで、あくまで敵は病気であって、あとはみんな仲間だという意識をここでつくることが大切。検査して薬を出すだけでなく、ここまでが治療の一環だと思っています。
―― 認知症はどうしても、ネガティブなイメージが先行しやすい病気だと感じます。お話を伺って、「認知症になっても人生は終わりじゃない」という新井先生が掲げているモットーを実感したのですが、その認識がもうすこし社会の中に広まっていくためには何が必要だと思いますか。
新井 ネガティブなイメージには、映画とドラマの影響がとても大きいと感じます。元気な人がとつぜん認知症になり、仕事も辞めざるをえなくなり、翌年には車椅子に乗り、数年のうちに施設入所になる……という描写が日本の映像作品では典型的ですが、それはまったく事実ではないということがご家族にも一般の方にも伝わってほしいですね。
現実には、認知症の方とその周囲の方は、実際にはもっとさまざまな苦労をしながらも、その経験を通して人生を全うされている。そういうところをもっと描いてほしいと思います。
それから最初にお話ししたように、症状が進行しないうちに予防と早期発見をすることはとても大切です。認知症予防のためには、生活習慣病をお持ちの方はそれの治療をきちんと受け、その上で生活リズムを保ちながら、人とのコミュニケーションやエクササイズ、対人のゲームなどで楽しむというのが効果的です。
が、そのために、2年前に「健脳カフェ」という施設を立ち上げ、予防のためのプログラムを実践してもらう場を作りました。そして、去年からは健脳カフェをオンラインでも体験できるようにと「オンライン健脳カフェ」を運用開始しました。これは、個人向けだけでなく、市町村といった自治体や高齢者向け住宅との連携も視野に入れています。
また、早期発見に関しては、私のクリニックではアミロイドベータの蓄積の程度を調べられるアミロイドPET検査というものを実施しています。予防をしたい方々へ門戸を開いているのですが、まだまだ高価で保険適用ではないという課題も残っています。まずは、すこしでも「なんか今までとは違う」といった違和感を覚えた時点で医療機関を受診する、というのを心がけていただきたいです。
―― 新井先生ご自身にとって、これからやってみたいことや目標はありますか。
新井 定年退職したらゴルフや釣りざんまいと考えたこともあったのですが……(笑)。まあたぶんすぐに飽きると思ってやめました。
年に関係なく、夢や目標は持っていたいと思っています。いまの夢は、これまでの集大成として「認知症の予防」をライフワークとして成し遂げることですね。その経過の中で、認知症になったとしても、それは当事者、つまり患者さんとご家族から教わった生き方で生きていけばいいので、悔いはないです。
そして、遺伝子学的にも人間が一番嬉しいと感じるのは、「何かを成し遂げた時」ではなく、「自分の存在が他の人のために役立っていると感じた時」と言われています。医者はふつうに働いているだけでも「先生のおかげです」なんて言っていただけるので、そういう意味ではありがたい仕事だなと思いますよ。これからも社会的な貢献に繋がるようなことをし続ける、というのがひとつの目標ですね。
取材・文:生湯葉シホ人物撮影:宮本信義