北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんと「アベック3組の蒸発」「富山誘拐未遂」事件の共通点

中学1年生で行方不明となり、後に北朝鮮に拉致されたことがわかった横田めぐみさんは、今年10月に60歳の誕生日を迎えた。
北朝鮮が日本人の拉致を認め謝罪してから、すでに22年が経過。政府はすべての拉致被害者について〈必ず取り戻す〉としているが、めぐみさんをはじめとする被害者12名(※)は、いまだ帰国を果たせていない。
本連載では、12月10日から始まった「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を機に、拉致被害者の家族の思いに触れ、拉致問題の現状を改めて考える。今回は、1978年に20代のアベックが相次いで蒸発した事件と、めぐみさんの事件の“共通点”に母・早紀江さんが気づいた時のことを回想する。(第3回/全6回)
※ 日本政府が北朝鮮による拉致を認定した人のうち安否がわからない人数。拉致された可能性を排除できない行方不明者は12名以外にも存在している。
※ この記事は横田めぐみさんの母・早紀江さんが綴った『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫、2011年)より一部抜粋・構成。
“外国情報機関が関与?”報道に「これかもしれない」 大昔の話ならいざしらず、これほど情報が溢れている日本で、ある日突然姿を消した少女の行方を知る手がかりが全然出てこないというのは本当に不思議なことでした。
大人が蒸発したのであれば、自らの意思で長期間、人目を逃れて生活することもできるでしょうが、13歳の少女は自活する術さえ知らないはずです。
仮に犯罪に巻き込まれたとして、人里離れた山奥で起きたわけではないのですから、まったく人に気づかれないということがあるのだろうかとも思いました。
私たちは毎日、何か手がかりはないかと新聞の隅々まで目を通しました。
事件から2年と少し経った昭和55(1980)年1月7日のことでした。近所の方が、こういう記事が載っていると言って『サンケイ新聞』を持ってきてくださいました。主人と2人でそれを読んだ私は、瞬間的に、これかもしれないと思いました。
「アベック3組ナゾの蒸発」「53年夏 福井、新潟、鹿児島の海岸で」「富山の誘かい未遂からわかる 警察庁が本格調査」「外国情報機関が関与?」「同一グループ 外国製の遺留品」「戸籍入手の目的か」。一面のトップに、こういう見出しが載っており、行方不明となった方々の写真とともに、事件の詳細が報じられていました。
のちに分かったのですが、この記事を書いたのは、産経新聞社会部(当時)の阿部雅美記者で、日本海沿岸を中心に起きた何件かの蒸発事件には「外国の情報機関が関与している疑いが強い」と初めて書いた方でした。
1月8日、9日にも蒸発事件に関する続報が詳しく掲載されました。
蒸発した3組のアベックとは、いずれも昭和53(1978年)、めぐみの事件が起きた翌年の7月から8月にかけていなくなった福井県小浜市の地村保志さんと浜本富貴恵さん、鹿児島県日置郡の市川修一さんと増元るみ子さん、そして新潟県柏崎市の「中央大学3年生」と「美容師」、とありました。のちに知りましたが、名前が出ていなかった柏崎の中央大学生は蓮池薫さん、美容師とは化粧品会社の美容指導部員だった奥土祐木子さんのことでした。みなさん、20代でした。
平成9(1997)年3月に、この方たちの親御さん、ごきょうだいとともに「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」を結成することになって、主人がその代表となりました。
事件発覚の端緒となった「富山アベック誘かい未遂事件」 昭和55年の記事の話に戻ります。新聞のリードにはこう書いてありました。
〈裏日本の海岸部、福井、新潟、鹿児島の各地でナゾの連続アベック蒸発事件があり、男女6人が失踪していることが警察庁の調べで判明した。事件は、富山でのアベック誘かい未遂事件を端緒にあきらかとなったもので、発生は53年夏の40日間に限られており、同庁は6日(1月6日)、この連続蒸発及び誘かい未遂事件が同一犯によるものと断定した。犯行はきわめて計画的で広域にわたるが、富山の現場に残された犯人グループの遺留品が、国内では入手不能なことや、失踪当時、現場に近い沿岸でスパイ連絡用とみられる怪電波の交信が集中して傍受されていることなどから、外国情報機関が関与している疑いも強く出ている。〉
事件発覚のきっかけとなった誘拐未遂事件というのは、富山県高岡市に住む婚約中の男女が日本海沿岸の島尾海岸で泳いだあと、不審な4人組に誘拐されそうになった事件でした。この方たちも20代でした。
2人は親類の方たちと海岸にゆき、午後5時頃、気をきかせた親類の方が引き揚げたのち、しばらく2人で泳いだあと、午後6時半頃、4人の男に襲われたのです。
4人は、すれ違いざまに2人を襲って押し倒し、男性を後ろ手にして手錠をかけ、足をヒモでしばり、口にタオルを詰め、さらに特製のサルグツワをはめたうえで、頭からすっぽり布袋をかぶせ、女性も後ろ手にしばり、サルグツワをして、同じく布袋をかぶせたのでした。
4人組は2人を担ぎあげて近くの松林に運んで転がし、カムフラージュのために松の枝をかぶせたそうです。「襲撃は、きわめて事務的で、素早く、4人の任務分担もはっきりしていた、という。4人組は二つの袋を前に、じっと、“何か”を待っていた」と記事にはあります。
この間、2人は4人の会話を一度も耳にしておらず、ただ、女性に「静かにしなさい」と一言いっただけだそうです。30分ほどして、近くで犬の鳴き声がすると、4人は姿を消し、男性が袋をかぶったままウサギ跳びをして、約100メートル離れた民家にたどりつき、体当たりをして助けを求めました。
13歳なら“わけなく”連れていける…母親の勘4人の男はいずれもステテコに半ソデシャツ姿で、ズック靴を履いており、年齢は35、6歳、赤銅色に日焼けして逞しかったそうです。
私は記事を読んで、こんなに大きい人が連れていかれるなら、13歳の子どもなんて、2、3人でわけなく連れていけるはずだと思いました。
夏の海は穏やかで、めぐみがいなくなった11月の海は少し荒れていた。事件の被害者はすべて20代の男女だった――そういう違いはありましたが、皆さんがいなくなったのは夕方から夜にかけてですし、中央大学生とガールフレンドの方の事件は、同じ新潟県の柏崎市の海岸で起きています。また、三つの事件はみな、たとえば水死などの事故の可能性についても大規模な捜索をおこないながら、遺体が見つかっていないと記事にあって、それもめぐみの事件と似ていました。