第2次世界大戦の激戦をくぐり抜けた“幸運艦”というと、旧日本海軍の「雪風」や米海軍の「エンタープライズ」などが日本ではよく知られています。しかしイギリス海軍にはそれらを上回る「超」が付くほどの強運艦がありました。
船は、軍艦も含めて西洋では女性になぞえられます。一方、軍人も含めた船乗りたちには迷信深い者も多く、特定の艦船で起こった出来事を評して、その艦船を「幸運な船」や「不運な船」などといって縁起を担ぎます。
日本でも、第2次世界大戦を通して沈むことなく生き延びた駆逐艦「雪風」は、「幸運な船」として知られますが、イギリスにも「ラッキー・ジャーヴィス」の愛称で呼ばれた幸運な駆逐艦が存在しました。ある意味では「雪風」以上に強運だったともいえる同艦の航跡とは、どんなものだったのでしょうか。
「雪風」しのぐ“幸運艦”? イギリス海軍「ラッキー・ジャーヴ…の画像はこちら >>イギリス海軍の駆逐艦「ジャーヴィス」(画像:イギリス帝国戦争博物館)。
第1次世界大戦に勝利したイギリス海軍は、駆逐艦を、敵艦隊への攻撃任務に従事するいわば攻撃型の駆逐艦と、敵の駆逐艦から味方の艦隊を守るいわゆる防御型の駆逐艦とに分けて建造する傾向がありました。そういったなか、前者の構想に基づき1930年代に24隻建造されたのが、J級、K級、N級の3タイプの駆逐艦です。
これら3タイプはJ級から発展したため、まとめてJ/K/N級と称されますが、各級とも、旗艦として同型艦からなる戦隊(小型の艦隊)を指揮できる設備を備えた嚮導艦1隻と、通常装備の艦7隻が建造されています。そして、同型艦は全て同じアルファベットの頭文字からなる艦名を付与されるのが特徴でした。
このJ/K/N級のうち、J級の嚮導艦として建造されたのが、のちに「ラッキー・ジャーヴィス」と呼ばれるようになる駆逐艦「ジャーヴィス」です。本艦は1937年8月26日に起工、1938年9月9日に進水、1939年5月8日就役しています。第2次世界大戦勃発の約4か月前に就役した本艦は、開戦にともなってまずはイギリス本国近海、のちに地中海戦域へと足を延ばし、休む間もなく数々の戦闘に投入されています。
J級は、「ジャーヴィス」だけでなく残りの7隻も第2次大戦勃発直前に就役したため、同型艦8隻はいずれも酷使されました。その結果、大戦終結までに8隻中6隻が戦没しています。
そして、このような激闘を潜り抜け、大戦を生き延びた結果、「ジャーヴィス」は13個もの戦闘参加名誉賞(Battle honour)を授与しています。この数は、第2次大戦のイギリス海軍における最殊勲艦で、14の戦闘参加名誉章を受けた戦艦「ウォースパイト」に次ぐものとのこと。
しかも驚嘆すべきは、苛烈な戦いに明け暮れたにもかかわらず、乗組員にひとりの戦死者も出さなかったことでしょう。
こうした戦績があったからこそ、いつしか同艦は「ラッキー・ジャーヴィス」、つまり「幸運のジャーヴィス」という愛称で呼ばれるようになりました。その象徴的な出来事として挙げられるのが、イタリアのアンツィオにおける1944年1月23日の戦いです。
この日、「ジャーヴィス」は世界初の空対艦誘導ミサイルであるヘンシェルHs 293の直撃を受け、艦首を完全に吹き飛ばされてしまいます。ところが、これほどの大損傷にもかかわらず生還。しかも戦死者どころか負傷者も皆無で、乗組員は全員が無傷でした。
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1942年4月、地中海戦域で魚雷を発射する駆逐艦「ジャーヴィス」(画像:イギリス帝国戦争博物館)。
そんな「ジャーヴィス」でしたが、就役直後から大戦に投入され、ときには大損傷を蒙りつつも苛烈な戦火を幾度も潜り抜けてきたせいで満身創痍。そのため戦後も現役であり続けられるだけの「堅牢さ」はない状況でした。
結局、1947年に廃棄が決まり、通常爆発物の被爆実験に供された後、1949年から翌1950年にかけてスクラップにされています。
しかし、ここまで幸運だった艦は他にはないため、イギリス海軍はもちろん国民のあいだでも、いまなお伝統ある「ロイヤルネイビー」の逸話として語り継がれています。
まさしく「ホワイトエンサイン」(イギリス軍艦旗にちなむイギリス海軍の通称)を代表する「ラッキー・ジャーヴィス」の栄光物語。その艦名を受け継ぐ新型艦が登場する日は来るのでしょうか。