自分の後ろ姿を指差して笑われ…症状に驚いて悲鳴を上げて走り去る人も …「私を肯定してくれる人などいなかった」 #トゥレット症 患者の会代表が綴る手記公開

自分の意思に反して声が出たり体が動いてしまう“チック”の症状が重いトゥレット症。
自身も40年近くこの病と闘い、患者の会「トゥレット当事者会」を設立した谷謙太朗(たに・けんたろう)さんがCBCテレビに思いを綴った手記を寄せてくれました。「トゥレット当事者会」には患者の酒井隆成さんやウーバー配達員のあべ松怜音さんも参加しています。
自分の後ろ姿を指差して笑われ…症状に驚いて悲鳴を上げて走り去…の画像はこちら >>
ートゥレット当事者会設立の想いー
(谷謙太朗 代表)チックは、実は子どもの多くが経験するごくありふれた症状です。大概の子どものチックは1年以内になくなります。そうでなかったとしても、症状の波や入れ替わりがありながらも成長と共に生活に支障のない程度に軽減または消失していきます。
しかしながら、一部の方に大人になっても継続する重度のトゥレット症の方がいます。(※トゥレット症は突然体が動く「運動チック」と声が出てしまう「音声チック」が複雑に1年以上に渡って見られる状態です)私はその1人でした。
CBC
私を苦しめたチックの1つが“絶叫”する音声チック、近くに居れば鼓膜を突き破るかのような大声が1分に何回も出てしまうときが…
不幸中の幸いなのか、私は短時間であれば音声チックをいくらか我慢することができました。しかし音声チックを我慢すると激しく首が動きました、ロックスターよりも激しく。あるときは舌から血が出ているのに永遠と噛み続けなければならない症状、骨折する程胸を強く殴る症状、頭を壁に打ち付ける症状、これらも全てチックの症状です。
チックを我慢すると身体に何とも言えない強い不快感やストレスを感じます、チックをするとそれがいくらか和らぐのです。しかし直ぐにその不快感は強くなり身体や脳を襲います。
私は自分を保つためにも永遠にチックをしなければならなかったのです、休む間もなく…
3歳からチックを患っていた私は、気付けばチックがある自分が当たり前になっていましたが、とあるとき思うのです、身体や脳を襲うこのとてつもない不快感がなければどんなに世界は素晴らしいものなのかと…
唯一その不快感から開放されるときがあります、それは寝ているとき、つまり脳が休んでいるときです。でも寝てしまっているのです。
なぜ寝ているのにそれがわかるのかというと、目覚めたわずか数秒にも満たないその瞬間、不快感から解放されていることに気付くのです。人生で唯一の私が普通の人になれる苦しみから開放される一瞬です。
しかし目覚めと共に、脳が活動を始めると共に、身体を蝕む衝動と止められないチックの地獄が始まります。
CBC
当然学業はままならず、高校を卒業するのがやっと。当時は世の中にインターネットが普及する前、勿論SNSも存在せずトゥレット症などという言葉を知る由もない。
自分がいったい何者なのかもわからず社会に出た18歳の私、親から借りたお金で一人暮らしを始めるが職を転々とすることに。
別に転々としたかった訳では無い、せざるを得なかったのだ。なぜなら行く先々でチックを馬鹿にされる、私がチックを出しながらも必死に働いている後ろ姿を指差して笑っている上司がいる。他の従業員を呼んでまで一緒に嘲笑っている。珍獣を見ているかのように無言で凝視してくる同僚。真似をされるのは当たり前。運動チックが奇妙過ぎて化け物を見たかのように悲鳴を上げ走り去る人。チックを理由に職を解雇されることもあった、できる限り迷惑にならないように我慢していたのに。
当時の私はチックを止められない自分が悪いと思っていた。
疲れ果てて一人暮らしのアパートに帰るも、そこにも私が安らげる場所はない。チックが出れば隣から壁を殴る音(うるさいの意味)、下からは棒か何かで天井を突っつく音(うるさいの意味)。
誰一人として私のチックを肯定してくれる人などいなかった。
トゥレット症の困難の一つとして、当事者の家族への負担もあげられます。例えば同じ部屋で数秒おきに我が子が叫んでいたら?叫ぶほどではなくとも咳払いを永遠としていたら?運動チックでテーブルをドンドン叩いていたら?
病気だとわかっていても、愛している我が子であったとしても、ときに子どものチックが辛くなってしまうことも稀ではありません。
止めたくても簡単には止められないチック、やりたくないのにやらざるを得ない強い衝動に襲われてしまうチック、当事者はもちろんのこと、その家族までも苦しめてしまうことがあります。
若者の相談に乗る谷代表
高校を卒業してから行く先もわからず人生をただ彷徨うだけの生活、20年近く続いただろうか、私は何のために生きているのか、人生とは一体何なのか…
しかしこのままではいけないと思い、根本的治療法が存在しないことは理解していたが、改めてトゥレット症とその治療に向き合うことにした。どれだけの先生のお力をお借りしたことだろうか、どれだけの人の支えがあっただろうか、40歳を迎えた頃に私のチックは軽快した。
完全にチックがなくなったわけではない、チックの重症度が軽減しコントロールが可能な状態になったのです。公の前に私が出るとき、おそらく誰一人として私がトゥレット症であることに気付くことはないでしょう。
しかし今も音声チックと運動チックが併存するトゥレット症です。チックをコントロールできたとしても身体に感じる違和感不快感は存在します。
身体に感じる不快感を例えるのは難しいのですが、例えば蚊に刺されたときに感じる痒みを不快感とするならば、チックのコントロールとは、患部をかかずに痒みを我慢し平静を装い続けるようなことです。痒みが強ければ強いほどコントロールは難しくなります。今の私はその痒みが軽減されている状態です。1人のときやチックを出しても問題のない状況ではチックを出したりもします。未だ謎の多いこのトゥレット症・チック症で苦しんでいる方は、全国にごまんとおられるはずです。
私は、今ももがき苦しんでいるであろう孤独に戦う当事者、チックのある子供たち、そして当事者を支える家族、トゥレット症・チック症で悩む全ての方に同様の思いをしてほしくない、自分の経験が誰かの役に少しでもなったらとトゥレット当事者会を立ち上げました。
トゥレット当事者会の目的は、当事者・家族のQOLの向上、そして当事者の自立支援です。自立というのは、単に働いて収入を得るということだけではありません。トゥレット症であってもそれを障害とせず、当事者が望む人生を生きるためにチャレンジすることができる、人生に夢や希望、生きる意味を持つということです。
そのために先ずは、社会にトゥレット症を認知していただくこと、そして少しでも理解していただくことが必要です。しかし、社会を変化させることは当然簡単ではありません。私達当事者も変わる必要があるかもしれません。
あべ松怜音さん・ののかさんと一緒に
一人一人が身近な人にチックを説明することができたとしたらどうでしょう、きっとどんなメディアよりも持続する大きな力になると私は思います。もちろん全ての方ができるとは限りません、個々に様々な事情を抱えておられると思います。
自立支援と言っても決して簡単なことではありません、私自身何十年もの年月を費やし、『トゥレット当事者会』という私の人生の意味を見つけました。
現在私は、より多くの方を支援するため大学で学んでいます。そして、トゥレット症の研究が進んでいる海外専門機関での講習を受け支援活動を行っています。
アメリカではトゥレット症に対して次のような言葉があります。
「I have tourette’s but tourette’s dosen’t have me.」
私はこれを以下のように解釈しています。
「私はトゥレット症を患っていますが、トゥレット症に支配されてはいません。仮にコントロールの難しいチックがあったとしても、トゥレット症は私の全てではなくあくまでも一部、人生までをトゥレット症に支配される訳ではない。」
トゥレット症であっても私達はできる、自信を持って人生を歩んでいただきたい。
全てのトゥレット症・チック症当事者が輝ける社会を目指して…
トゥレット当事者会代表 谷 謙太朗
トゥレット当事者会とCBCテレビのコラボイベント