〈市川猿之助・保釈〉「繊細で独特の感性をもっていたキノシ」裁判所がだした保釈の条件と闇に葬られるもうひとつの“疑惑”…保釈後の猿之助の滞在先は?

東京都内の自宅で両親の自殺を手助けしたとして、自殺ほう助の罪で起訴された歌舞伎俳優の市川猿之助(本名・喜熨斗孝彦)被告(47)が7月31日、東京地裁の保釈を認める決定を受け、勾留されていた警視庁・原宿署から保釈された。
この日、100人近くの報道陣が待ち構えるなか、原宿署から姿を見せた猿之助被告の目には、舞台上で発するような活力はなかった――。立ち止まった同被告は報道陣に向かって6秒ほど頭を下げ、原宿署の署員にも一礼。黒いスーツにネクタイ姿という出で立ちだが、逮捕前よりもぐっとやつれた表情で、髪の毛も整えられていなかった。そのまま迎えのワンボックスカーの後部座席に乗り込むと、無数のフラッシュを浴びながら原宿署を後にした。
保釈された猿之助被告(共同通信)
「猿之助被告は都内の自宅で5月17日の未明、父親で歌舞伎俳優の市川段四郎(享年76)と母親の延子さん(享年75)に大量の睡眠薬を飲ませることで自殺を手助けしたとされている。6月27日に母親の自殺ほう助で逮捕され、翌月18日には父親の自殺ほう助の容疑で再逮捕されていた」(社会部記者)今回の猿之助被告の保釈を受け、所属事務所は「応援してくださる皆さま、関係者の皆さまに多大なるご迷惑、ご心配をおかけしておりますこと改めて深くお詫び申し上げます」とした上で「今後も公判の推移を見守っていく所存ですが、司法による最終的な判断がなされるまでは弊社としての見解を申し上げることは差し控えさせていただければと存じます」とコメントした。集英社オンラインでは、これまで複数回にわたり猿之助事件を報じてきた。複数の証言とともに令和で起きた歌舞伎界最大の悲劇を振り返る。もとはといえば、自らのセクハラ、パワハラ疑惑を女性週刊誌に報じられたことが「一家心中」の動機だった。猿之助被告は逮捕前の任意聴取に「週刊誌報道をきっかけとして家族会議が行なわれ、『みんなで死んで生まれ変わろう』と、睡眠薬を飲んだ」と説明したという。「猿之助さんは自殺未遂後、医師に『(女性誌に)あること、ないこと書かれた』と説明したようですが、お弟子さんや澤瀉屋内では、猿之助さんの振る舞いや言動に対する不満の声は以前からあり、書かれたら“やばい”トラブルはまだまだあった。これまで梨園のトラブルやスキャンダルはどこかで、『芸の肥やし』として許されてきましたが、昨年の香川照之さんのセクハラ騒動や、一連の芸能界の加害性報道など世間の目はどんどん厳しくなっている。繊細な猿之助さんは、そうしたバッシングが怖かったのかもしれません」(スポーツ紙デスク)
100人以上集まった報道陣(撮影/集英社オンライン)
猿之助こと本名、喜熨斗(きのし)孝彦は1975年11月26日、四代目段四郎(享年75)と妻・延子(享年76)の長男として生まれ、一人っ子として育った。のちに名跡を受け継ぐ三代目猿之助(現二代目猿翁)は段四郎の兄であり、伯父にあたる。猿之助と段四郎が二大看板の澤瀉屋(おもだかや)にあって、そのど真ん中に生を受けた孝彦は「二代目亀次郎」を襲名して7歳で初舞台を踏んだ。また私生活においては、小学校から高校卒業までフランス系カトリック校の名門私立学園で学び、慶應義塾大学に進んで国文学を専攻した。
キノシと呼ばれていた中学時代(知人提供)
小学校から高校時代までの同級生は当時をこう振り返る。「当時、猿之助は『キノシ』と苗字で呼ばれることが多かったですね。大人しいグループに所属していて、いつも2、3人で追いかけっこしたり、校内に咲いている花を友達と眺めたりしていました。家族が歌舞伎関係者なのは知っていましたが、段四郎さんと聞いても当時はピンとこないし、『キノシも歌舞伎の稽古をしているのだろう』くらいにしか思っていませんでした。歌舞伎の女形の練習をしていたこともあってか、小学校のころから走り方やしゃべり方、ちょっとした仕草にツヤっぽさを感じさせるところはありました。中学校に進むと、まつ毛が長く目もとが綺麗で『歌舞伎役者ってすごいな』と思った覚えがあります。イジメとかとは無縁だったと思います」男子校だったこともあり、同級生は休み時間や放課後に好きなアイドルや芸能人を言い合うことで盛り上がることがしばしばあったが、猿之助はこの手の話題には興味がなかったという。別の同級生の母親はこう話した。「猿之助さんのことは息子から聞いていました。小学校のころから朝6時に稽古したあとに学校に来て、放課後も帰ったらすぐに稽古という生活だったそうです。それでも中学、高校時代の成績はつねに上位でしたね。とはいえ、学校自体が芸能活動と勉学の両立を応援するような方針ですから、ほかにも目立ってる方はいて、そういう意味で猿之助さんはそこまで目立つ存在ではなかったのかもしれません。でも同級生の間では評判もよかったと思いますよ」学生時代、目立たず寡黙で優秀だった少年は、高校卒業後に世間から注目を集めていった。2007年にNHK大河ドラマ『風林火山』で武田信玄を演じて以降、テレビドラマ、映画、バラエティ番組に多数出演するなど、活躍は歌舞伎界にとどまらなかった――。
高校時代の猿之助被告(知人提供)
ある同級生は繊細だった「キノシ」を振り返りつつ、冷静にこう語った。「校内に咲いている花をよく友達と眺めたりしていましたけど、今になって思えばちょっと繊細というか、独特な感性だったんでしょうね。当時はパワハラやセクハラをするタイプではなかったのですが、いつしか自分に従ってくる人間に対して傲慢になってしまったのかもしれません。そういえば30代のころに同級生で集まって飲んだときには、キノシは昔のナヨっとした感じが消え、凛々しさが出ていました。仕事で活躍するようになっていたし、昔は周りにいなかった同級生も『キノシ、キノシ』と集まるようになっていた。自分を取り巻く環境がガラッと変わり、勘違いするようになったのかもしれません」
いっぽう澤瀉屋内では、かねて水面下で猿之助のパワハラ体質が噂されてきた。梨園と関係の深い松竹関係者はこう証言する。「孝彦はひとことで言うと、繊細かつ傲慢で毒舌。頻繁に手を洗い、スキンケアにこだわるなど美意識が高い反面、傲慢なエピソードにもこと欠かない。女性誌にも書かれてしまったけど、特に弟子の扱いが酷い。気分次第で理不尽にキレて『お前らは家畜だ』とか、平然と放送禁止用語で罵倒するそうです」猿之助は、結婚するつもりがないことを公言していたため、跡取りは必然的にもうけにくい。しかし、このことで両親との仲が険悪になることはなかったという。
事件当時の猿之助自宅周辺(撮影/集英社オンライン)
またプライベートでは、数年前までは舞台の大道具を務める裏方と同棲生活を送り、最近想いを寄せていた相手は、マネージャー業もつとめていた”俳優A”だった――。Aは、自身も俳優をしながら、何度か恋愛スキャンダルでスポーツ紙やワイドショーをにぎわせたことのある人物だ。そのAが猿之助と接点を持ったのは、数年ほど前だという。「当時Aは新橋演舞場や明治座で大道具の仕事をして食いつないでいて、猿之助と言葉を交わすうちに親しくなり、飲食をともにするうちにさらに親しくなっていった。Aは男女を問わず年長者の心を掴む手腕に長けていた」(スポーツ紙記者)猿之助のAの寵愛ぶりは澤瀉屋関係者の目に余るほどだったようだ。そして今回の事件で、猿之助は自殺を図った自室内に立てかけたキャンバスにこうメッセージを残していた。<愛するA だいすき 次の世で会おうね><Aを喜熨斗孝彦の養子にし、遺産の全てを相続する>関係者によると、保釈された猿之助被告は、都内の病院に入院するという。「裁判所が保釈を認める条件として、病院に入院させることをあげていました。自暴自棄の猿之助が再び自殺をしないかを危惧しての処置です。逮捕前に入っていた病院は世田谷区の古い精神科専門で知られるところでしたが、今回は別の病院だと聞いている。昨日、大手メディア数社が話を聞こうと猿之助被告を追跡したが、六本木周辺でまかれていた」(社会部記者)
逮捕前に入院していた世田谷区内の病院(撮影/集英社オンライン)
今後も公判は続いていく。いっぽう事件の発端となった“セクハラ”疑惑については闇に葬られる可能性が高いという「松竹は、猿之助のパワハラ、セクハラについて社内で極秘に『これ以上の検証はしない』ととりきめをしたと聞いています。このままでは梨園の『闇』はうやむやなままとなってしまい、何より猿之助自身も釈明の機会すら与えられないことになってしまう」(歌舞伎評論家)梨園にかかる霧は、まだしばらく晴れそうにはない――。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班