出撃すれば必ず死ぬ 鉄の棺桶 人間魚雷 “回天” の生き残り【前編】

終戦から78年。戦争について語ることができる人が年々少なくなっています。これまで報じてきた、戦争の証言を振りかえります。※2015年8月にCBCテレビで放送した特集の記事です。
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ハッチを内側から閉めると、身動きできないほどの狭い空間。そこに腰を下ろす。
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目の前にあるのは潜望鏡。海上で一旦、敵艦の位置を確認する。後は潜航し、前が見えないまま敵をめがけてただ突き進む。“鉄の棺桶”と呼ばれた特攻兵器、人間魚雷「回天」。
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出撃は“死”を意味していた。70年前、絶望的な状況の中で若者たちは、自ら志願して“兵器”になっていった。
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回天搭乗員の生き残り、名古屋市西区に住む、岡本恭一さん、90歳。
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(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「『これなら死ねるな』という兵器だった。特攻隊に編入されて、死を前提としていたわけですから。兵器らしい兵器。当時は若い者は死ぬと思っていた。みんな死ぬと思っていたわけ。『死にたい』って…恐怖感はその時点では湧いてこなかった」
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太平洋戦争末期の1944年。戦況が悪化の一途をたどっていた中で作られたのが人間魚雷・回天。回天という名前には天を回(めぐ)らし、戦局を挽回するという願いが込められた。当時、世界最高水準の破壊力と速度を誇った超大型魚雷、「九三式魚雷」を人が乗れるように改造。長さ約14メートル、直径1メートル、水中を時速約55キロで進む。潜水艦から発進する回天は、九三式魚雷の3倍という1.5トンもの爆薬を積んでいる。潜航中は前が見えず、推測で敵艦に体当たりを仕掛ける。
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(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「8月か9月ごろに、必殺の肉弾の兵器が開発されたから、みんな希望する者は◎、まあまあ希望するのは○、希望しないものは白紙で提出しなさいと言われた。体育館の暗幕を引いて電気をつけて、厳粛な気持ちにさせられて、そこで5分間以内に提出せよということで、友達に相談する雰囲気でもなくて〇印をかいた。そしたら搭乗員に採用された」
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三重県四日市市で、9人兄弟の8番目に生まれた岡本さん。海軍の予科練に入り、航空兵を目指したが、戦争末期で飛行機が足りず、回天に志願した。4か月訓練を重ねたが、出撃はせず終戦を迎えた。
その後、運送会社などで働き、結婚。妻は20年以上前に他界した。なじみの喫茶店に通うのが、唯一の日課だ。
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特攻兵だった事実を、家族に話したことはないという。(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「家族にも回天のことを話したことはない。話しても通じないんじゃないかと思う、昔の話は」
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岐阜県下呂市。毎年9月、人間魚雷を生み出した、ある軍人の慰霊祭が行われている。この町に生まれ育った黒木博司少佐。回天の開発者だ。
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戦争が進むにつれ空からの爆撃が戦いの中心となり、対応が遅れた日本は劣勢を強いられた。黒木は使われずに余っていた九三式魚雷を、「特攻兵器」に改造する作戦を進言。当時22歳だった。黒木は自らの血で嘆願書を書き、特攻に難色を示す上層部を説き伏せ、開発にこぎつけた。
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実戦投入を急いだため、脱出装置は付けられなかった回天。黒木自身、訓練中の事故で殉職した。およそ1400人が搭乗を志願し、そのうち106人が戦死。平均年齢は21歳。特攻が失敗した場合には、自爆するよう命令されていた。
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黒木少佐の妹、岐阜市に住む丹羽教子さん。兄の思い出を今も大切にとってある。黒木が妹教子さんに作った、紙のひな人形だ。
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(黒木少佐の妹 丹羽教子さん)「買ってもらえないですから。貧乏で。手作りですよ。兄が6年生のときに作ってくれた」
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戦争が終わると、特攻兵器を作った兄を責める声もあったという。(黒木少佐の妹 丹羽教子さん)「国を思う気が人一倍強かったと思う。ただ兄だけではなくみんながそうだった。国の情勢を眺めてきたときに1対1では戦えないから、1対10になるように何かできないかなと思ったとしか思えない。誰も死にたくないですよ。それでも両親のために戦ったことを永久に伝えていきたい」
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回天を搭載し、出撃する潜水艦の写真が残っている。搭乗員たちは何を思っていたのか。
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山口県周南市、大津島。別名、「回天の島」。ここで、搭乗員の訓練が行われた。
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元回天搭乗員の岡本さんは毎年、この島に足を運ぶ。今も残るコンクリートの建物は、回天の発進場所。開発者の黒木少佐が、訓練中に殉職したのも、この海だ。島の中には、戦没者の名前が刻まれた石碑がある。
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(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「よくぞやったという気持ち」岡本さんの胸に浮かぶのは「死んでいった者への憧れ」と、「自分が出撃できなかったことの後ろめたさ」か。
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この島にある回天記念館。その隣には回天のレプリカが展示されている。
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(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「運転しているときは計器しか見えない。真っ暗の中で。裸電球がついているだけ」
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(元回天搭乗員 岡本恭一さん)「ハッチが閉められたときは何ともいえない気持ちになる。孤独感におそわれる。出撃したくて、『次の出撃組だな』と励ましあっていた。出撃したかった。野球の選手が正選手になって活躍できるという気持ちですかね。死ぬということ。そこまでは実感できていなかった。」
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【後編】「6号艇発動」出撃し生き残った男性の葛藤 人間魚雷“回天”