最果ての地で覚えたロシア民謡は、75年以上たった今も忘れることはできません。
「馬糞の汁を飲んで」生き延びた 仲間が飢え死ぬ中で70年以上…の画像はこちら >>
元日本兵の男性。終戦後シベリアに強制連行され、3年にわたって働かされた「抑留経験者」です。(シベリア抑留経験者)「裏話があっても、絶対公表しなかった。仲間にも言わなかった」98歳の元日本兵が、胸の奥にしまい込み、誰にも明かさなかった過去とは。
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78年前、満洲や朝鮮半島で終戦を迎えた日本兵や民間人およそ60万人が、その数日前、中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍によってシベリアに連行され、過酷な労働を強いられました。これがいわゆる「シベリア抑留」です。
名古屋市南区に住む元日本兵の長澤春男さん98歳。二十歳の時、終戦を満州で迎えたシベリア抑留の経験者です。歩いてシベリアまで連行された道中を書き留めた手記があります。タイトルは「過酷な行軍」。Q移動する時はロシアに行くぞと言われた?(元日本兵 長澤春男さん)「言われていない。もうすぐ行けば汽車があるから、それに乗って港まで行って、船で日本に帰るんだお前たちはと。騙され騙され連れて行かれた」
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長澤さんがいた部隊は1200人。日本に帰れるとソ連兵に連れていかれ、終戦1か月後の9月9日に満洲・孫呉を出発しましたが、1か月もの間歩かされ、到着したのはシベリアの炭坑でした。
(元日本兵 長澤春男さん)「道端の草むしって齧るけど、汁気ない。何とか水を飲ませてくださいと祈ったら月が綺麗に映って、あれ水(池)がある!と」「あーうまい」やっとの思いでたどり着いた水。しかし、夜が明けるとそこには目を疑う光景が。(元日本兵 長澤春男さん)「馬糞の汁だったんだよ、飲んだ水が。馬糞がいっぱい積んであってそれが山になっていた。それがたまり水になって池になっていた」
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シベリアに到着したところで手記は終わっています。そこから3年にわたる強制労働の体験は書き残していません。(元日本兵 長澤春男さん)「みんな(シベリア抑留中の話を)話すんだよ。だけど俺は絶対伏せていた。絶対これは人に言えないと思って。言ったらだめだ」
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冬はマイナス40度にもなるシベリア。長澤さんは自動車修理工場で働かされることに。命の危険と隣り合わせの現場で、1日の食事は硬いパンのみ。それもわずかな量で、栄養失調で亡くなる仲間もいたといいます。(元日本兵 長澤春男さん)「通訳がいたけどまともじゃなかった。自分の都合の良いことばかり話す。どんなことを言っているのか?と思って腹が立ってしょうがなかった。俺の隣で寝ていた人が満州鉄道の職員だった。その人がロシア語ペラペラで、ロシア語教えてくれと(お願いした)」生き抜くために3か月ほどで必死にロシア語を覚えた長澤さん。21歳で工場にいた300人の日本兵を束ねる役割に抜擢されました。そして、ある行動に出ます。
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(元日本兵 長澤春男さん)「とにかく(みんなの)食糧がないから、増やしてほしいと頼んだんだ。何でもやりますからとお願いして土下座した」ソ連兵に土下座をして頼んだことで、支給されるパンの量は増やされ、飢えで亡くなる仲間も減りましたが、この事実は当時の仲間にはもちろん、帰国後も誰にも話してきませんでした。Q土下座は日本兵として許せなかった?(元日本兵 長澤春男さん)「(ソ連兵は)見たことないらしい。(ソ連軍に)お前本当に兵隊か?と言われた。だから(仲間には)言わなかった」仲間たちを守るためとはいえ、敵兵に土下座までした屈辱は、決して明かすことはしませんでした。
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帰国後、シベリアでの経験を生かして自動車整備工場で働き、その後、銀行に勤めた長澤さん。Qシベリアでの経験はその後の人生にどんな影響を与えた?(元日本兵 長澤春男さん)「ない。(シベリアでは)プラスにもマイナスにもならないように努力していたから。あれは二度と繰り返したくない」長澤さんにとってあの抑留は、誇りも何もかもかなぐり捨て、心を無にして生き抜いた3年だったのです。
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13日、愛知県春日井市で開かれたシベリア抑留を伝える展示会に、長澤さんの姿がありました。(元日本兵 長澤春男さん)「死んだ仲間(の骨)は全部空っぽ。みんなオオカミに食われちゃって。何もないんだよ。戦友が(夢に)出てくるから申し訳ないという感じ」
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この日、長澤さんはシベリア抑留の語り部として40分間の講演を任されました。(元日本兵 長澤春男さん)「1日(3食分)でパン1個だけ。どうやって耐えられる?本当に苦しかった。黙ってごまかしていたけれど、実は陰で、自分が向こうの人(ソ連軍)に一生懸命にお願いしてそれで食料が増えた。そういう苦労があった。戦争だけは皆さん絶対に賛成してはいけない。お願いします」
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約80人を前に、これまで誰にも話さなかった「土下座の話」についても語った上で、悲惨な戦争は2度と繰り返してはならないと、力強い口調で何度も訴えました。
(来場した女性)「平和ほどの宝はない思いました」(来場した男性)「戦争は何が何でも絶対にやってはいけないと身にしみて思いました」(来場した小学生)「伝える人がいなくなって、戦争の怖さがわからなくなるのはいけないと思いました」
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(元日本兵 長澤春男さん)「シベリア抑留の話をする人は(他に)いるのかなと思って。俺の戦友はみんな死んじゃっておらんから。続けられるだけ続けていきたい。だから120歳まで生きるよ」