いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。
今回は、高尾のカフェ「ヴィ・マエストロ」をご紹介。
○マスターのセンスが随所に光る、居心地の良い空間
高尾駅南口のバスロータリーを歩いているとき、モスバーガーの隣、こげ茶色をした古いビルの2階にちょっと気になるお店を発見したのです。
何度か通ったことのある道なのに気づかなかったのは、階下のお店が目立ちすぎていたからなのかも。なにせ左側の「西海製麺所」というラーメン店の看板は派手な色合いですし、右側の「味処彦酉」という居酒屋にいたっては、開店時刻前でシャッターが閉まっているにもかかわらず不思議な存在感を放っていますしねえ。
そのため後者にはやや興味を惹かれたりもしたのですけれど、とはいえ開いてなければ仕方がないわな。だいいち、そもそも気になったのは2階のお店なのです。まずはそっちをチェックしなければ。
ビルの中央部分には「栄和ビル」と表示されたアーチ状のひさしがあり、その先にはいかにも昭和レトロな階段。いいじゃないですか。引きつけられるじゃないですか。
階段手前には2階のそのお店の看板が出ていて、「自家焙煎珈琲 ハンドドリップ」の文字が。でも下のほうには「ワイン & スピリッツ」とも書かれており……ってことは純然たる珈琲専門店ではないということ?
いろいろ謎は多いけど、どうあれ1970年代の雰囲気を残したその階段を上がってみましょう。
2店舗入っている2階は、左が美容室。お目当ての店は右側で、「ヴィ・マエストロ(V. MAESTRO)」というお店のようです。表示を見る限り、コーヒーをメインにしながら、ワインやスピリッツも出しているようですね。なかなか珍しいスタイルではないでしょうか?
意外だったのは、レトロな外観とは対照的に、店内がとても現代的だったこと。広い店内は正面にカウンター席があり、中央部分と左奥にもテーブル席がいくつか。
そして右側の窓際は、外を見下ろせるカウンター席になっています。
それから、額装された美術作品が壁にたくさん飾られていたのと、本がずらりと並んでいたことも印象的。全体的にセンスがよく、とても清潔感があるのです。落ち着ける。
「こちらの席はいかがですか?」というマスターからの声に従い、窓際カウンター右端の席へ。ひととおりメニューを眺めては見たものの、ここは当然ながら店名のついた「マエストロブレンド」をオーダーです。
眼下のバス停には、バスを待つ人たちの列。木々を隔てたその向こうには、いくつかの大きなマンション。高尾は東京西部の静かな街ですが、景色を眺めているだけで、ここに暮らす人々の穏やかな日常を感じとれるような気さえします。
なぜだか昔から、僕はこの街が好きなんですよね。とくに理由はないのだけれど、ときどきふらっと訪れたくなるのです。
店内にはバロック音楽が静かに流れていますが、ふとカウンターに目をやれば壁際のカップボードの上にはスピーカーが2種(たぶん片方はデノン製)。右側には、マランツのプリメインアンプやCDプレーヤー、トライオードの真空管アンプなどもありますね。これはオーディオに詳しい方だとお見受けしたぞ。
そのため密かに興奮していたところ、さりげなくマエストロブレンドが運ばれてきました。ノリタケのカップ & ソーサー雰囲気によく似合っていて、やはりセンスが光っていますね。
しかもこのコーヒー、熱すぎず、ぬるくもない適度な温度になっているところがとてもいい。もちろん味も文句なしで、苦味などが立ちすぎることなく、非常にバランスがとれている印象があります。
そしてこれが、過去にどこかで飲んだことのある味だったんですよねー。「あの店だ」と断言できるほど明確になにかを覚えているわけではないのだけれど。
でも、帰り際にお話を伺ってみたら謎が解けました。なんとマスターは、かの「ミカド珈琲」のご出身だそうなのです。いわれてみれば、たしかにあの味だ。ミカド珈琲は軽井沢でしか飲んだことはないけれど、旧道のあの雰囲気のなかで飲んだコーヒーの味が、僕の記憶の端っこにしっかり残っていたのかな? 気のせいかもしれないけれど、でも、なんだかいろいろ腑に落ちてしまったのでした。
意外なことに開店してからまだ10年も経っていないようなので、「昭和グルメ」とくくるのは適切ではないのかもしれません。とはいえ個人的な昭和の象徴のひとつでもあるミカド珈琲の味を楽しめるという時点で、僕としては充分に”アリ”。
いい店だなあ。もしも近くにあったら、毎日のように通ってしまう気がする。いつかまたお邪魔して、ワインやスピリッツもいただいてみたいところです。
●ヴィ・マエストロ
住所: 東京都八王子市初沢町1231-5 栄和ビル2F
営業時間: 11:00~19:00(L.O. 18:30)
定休日: 水・日曜
印南敦史 作家、書評家。1962年東京生まれ。音楽ライター、音楽雑誌編集長を経て独立。現在は書評家として月間50本以上の書評を執筆。ベストセラー『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社、のちPHP研究所より文庫化)を筆頭に、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『読書する家族のつくりかた 親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書に学んだライフハック――「仕事」「生活」「心」人生の質を高める25の習慣』(サンガ)、『それはきっと必要ない: 年間500本書評を書く人の「捨てる」技術』(誠文堂新光社)、『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)、『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)、『いま自分に必要なビジネススキルが1テーマ3冊で身につく本』(日本実業出版社)ほか著書多数。最新刊は『先延ばしをなくす朝の習慣』(秀和システム)。 この著者の記事一覧はこちら