《賠償金を払わないのは合法です。10年経つと払わなくて良いと民法に書いてありますよ。それが嫌なら法律改正すべきです》
2月1日、こうツイートしたのは“ひろゆき”こと西村博之氏(46)。
発端は、回転寿司チェーン店「スシロー」が迷惑動画を警察に相談したと報じた記事を引用し、《「応援してくれる人や喜んでる人が大勢いるんだから違法行為をしてもいい」という思想。辺野古基地の交通妨害を擁護してる人たちは、違法行為や迷惑系を助長してる側だと思ってるおいらです》と主張したこと。
すると映画評論家の町山智浩氏(60)が、《裁判の判決で命じられた賠償金支払いを踏み倒すのも違法行為ですよね?》とリプライ。町山氏の指摘を受け、ひろゆき氏は冒頭のように反論したのだった。
インターネット黎明期の1999年5月にネット掲示板「2ちゃんねる」を開設したひろゆき氏。匿名で投稿できる同サイトは当時、瞬く間に広がりネット文化の象徴となった。一方で、悪質な書き込みを放置した管理者責任などを問われ、民事訴訟を複数提起されたことも。しかし、敗訴した判決や支払いを無視し続けたため、“損害賠償30億円を踏み倒した”と噂されてきた。
「ひろゆきさんは2001年以降、50件以上の裁判を起こされ、ほとんど敗訴したといいます。判決で命じられた損害賠償額に加え、金銭債務の不履行による遅延利息によって30億円ほどに膨れあがったそうです。2007年ごろに年収を『日本の人口より少し多いくらい』と明かしていましたが、同サイト発の小説『電車男』の印税60万円ほどを差し押さえられた以外は一切支払っていないそうです」(WEBメディア記者)
■そもそも強制執行は、個人に代わって国が行うことはできない
10年以上経っても、しばしば蒸し返される“損害賠償金踏み倒し疑惑”。判決が確定しても賠償金を払わないことは可能なのだろうか? そこで本誌は、レイ法律事務所の河西邦剛弁護士に解説してもらった(以下、カッコ内は河西弁護士)。
「まず、判決が確定した日から10年間で時効消滅するというのは、法律上間違いありません(現民法第169条)。判決の効力を延長させるのであれば、時効間際にもう一度裁判を起こしたり差押えをする必要があります。なので、10年間で時効消滅してしまうというのは間違いではありません。一般市民の感覚ですと、『判決があるのに支払わないのはおかしい』という風に思うでしょう。ですが、日本の法律はそうはなっていないのです」
それでは、判決にはどのような効力があるだろうか?
「強制執行として不動産などの差し押さえができます。例えば、ひろゆきさんが家を所有しているならば、競売にかけてその売却代金で債権回収をするといった方法です。他には、預貯金の差し押さえです。国内に本人名義の銀行口座を有していれば、差し押さえは可能です」
そもそも、強制執行は裁判を提起した原告(債権者)の任意であり、国に委託することはできないという。
「損害賠償を払わない者に対して、『判決があるのだから、強制執行は国がやるべき』といった発想もあるでしょう。しかし日本の法律では、個人に代わって国が執行するような仕組みになっていません。国が執行するということは、つまり、税金で手続きを行うということですよね。“個人の債権回収を税金で行うのはおかしい”といった考えが昔からあったのです」
一方で、特に2000年代当時は、被告(債務者)が“強制執行逃れ”しやすい状況にもあったといい、河西弁護士は「昔は銀行名だけでなく、支店名まで特定しないと現実的に差し押さえができなかったんです。今は銀行名だけでも手続きができるように変化しています。口座を調べるのにも手間がかかる上、その事務手数料といった費用も債権者が負担しなければなりません」と話す。
■ひろゆき氏の裁判時にも存在していた「強制執行妨害罪」
しかし、被告(債務者)がわざと財産を隠すような行為は、「強制執行妨害目的財産損壊等罪」(現刑法第96条の2)に問われる可能性もあるという。
「基本的に債務者が支払えないというのは、日本では法的には犯罪にはなりません。しかし、2000年代当時でも、強制執行を免れる目的で財産を隠匿、損壊などをした場合は、2年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処されまました。ひろゆきさんの裁判当時から適用の可能性はありましたし、警察も捜査することはあり得たわけです。例えば、ひろゆきさんが十分お金を持っているのに、明らかに強制執行を免れる目的で隠したとします。そのことによって強制執行ができないとすれば、当時の刑法でも債権者が警察に被害届を出すことは可能。しかし、そうでないのであれば、債権者が請求しなかった可能性はあります」
なぜ原告(債権者)たちが、ひろゆき氏の財産を差し押さえなかった、もしくはできなかったのかは分からない。河西弁護士は「ひろゆきさんに請求できても、原告が手続き費用などを負担することになります。裁判を起こして、判決を取ることも原告の負担です」と、原告(債権者)側の負担も指摘する。
いつまでも“疑惑”が蒸し返されるのは、法律上の複雑さが背景にあるのかもしれない。