悲運すぎる高性能機? F-20「タイガーシャーク」わずか3機で終わったワケ しかし日本で超有名に

生産数わずか3機、しかも運用期間は4年ほどと、マイナー機扱いされてもおかしくない機体ながら、初飛行から40年以上経った今も高い人気を維持し続けている戦闘機F-20「タイガーシャーク」。その出自と顛末を振り返ります。
生産わずか3機。飛行していた期間は1982年8月30日の初飛行からおよそ4年間。これほど短命ながら、飛行終了から40年が過ぎた今日においても人気を維持し続けている稀有な戦闘機が、アメリカ生まれのF-20「タイガーシャーク」です。
一体、どこにそこまでの魅力があるのか、改めて見てみましょう。
悲運すぎる高性能機? F-20「タイガーシャーク」わずか3機…の画像はこちら >>カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で初めて一般公開された際のF-20「タイガーシャーク」1号機(細谷泰正撮影)。
すでに語りつくされた感がありますが、大手航空機メーカーのノースロップ(現ノースロップ・グラマン)がF-20「タイガーシャーク」を開発した背景には、当時のカーター政権の方針がありました。
先端技術の塊だった主力戦闘機F-15「イーグル」やF-16「ファイティングファルコン」は、日本やイスラエルなど限られた国にしか輸出が許可されない状況でした。なぜ、そこまでアメリカ政府は厳格に軍用機の輸出管理を行うようになったのか。強く影響を与えたのはイランに輸出されたグラマンF-14「トムキャット」の行く末でした。
1970年代、親米のパーレビ―国王の時代にアメリカはF-14戦闘機とAIM-54「フェニックス」長射程空対空ミサイルをセットでイランに輸出しました。ともに当時最新鋭の虎の子兵器でした。ところが、イスラム革命により国王がイランを追放されると、イランに反米政権が出現してしまいます。
しかもイランには、当時としては最新鋭の兵器であった「フェニックス」ミサイルの一部を、ソ連(現ロシア)へ引き渡した疑惑まで起こります。こうした件から、アメリカは先端技術の輸出に慎重にならざるを得なかったといえるでしょう。
その一方で、ソ連はMiG-21戦闘機を友好国に売りまくっていました。そこでアメリカは、ソ連に対抗するためには、従来の輸出用戦闘機F-5E「タイガーII」に代わる新型機を求めるようになります。こうして、国防総省の依頼を受けてノースロップが生み出したのが、F-20「タイガーシャーク」でした。
F-20戦闘機は、基本構造はF-5E「タイガーII」と一緒であり、そのモデルチェンジといえるものでした。空力的にはブラッシュアップが図れており、レーダー火器管制装置は小型で高性能な新型に換装。エンジンは小型のJ85ターボジェット双発から高出力なF404ターボファン単発に変更されています。この改装でエンジン出力は約60%増加しましたが、ターボジェットエンジン2基という安全性を捨ててまでターボファン単発へと舵を切ったのは、F404が持つ高い信頼性と操作性にありました。
それが視覚的によくわかる描写が、1986年に公開された映画『トップガン』にあります。劇中では、俳優トム・クルーズ演じる主人公「マーヴェリック」が操縦するF-14のジェットエンジンが吸気の乱れによりエンジントラブルを起こして停止する事故が起きます。この場面はF-14が搭載していたTF30エンジンに発生しやすいとされていた事象を再現したものでした。
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1986年4月、カリフォルニア州チャイナレイク海軍兵器センターで一般公開されたF-20「タイガーシャーク」3号機(細谷泰正撮影)。
当時のジェットエンジンは、スロットルの急な操作や吸気の乱れが原因で、「コンプレッサーストール」と呼ばれる異常燃焼に起因する出力低下のトラブルを起こす欠点を抱えていました。それを解決するために開発されたのが「FADEC」(Fully Authorized Digital Engine Control)と呼ばれるエンジン自動制御装置です。FADECはフライバイワイヤの概念をエンジン制御に取り入れたものと言えます。
フライバイワイヤは操縦桿からの入力をコンピューターが補正して制御舵面を動かしているのに対し、FADECはスロットルレバーの入力を補正してエンジンを制御する仕組みです。FADECによりF404は最もストールしにくい戦闘機用エンジンとなったことで、ノースロップはこのエンジンならば、1基だけでも十分な安全性が担保できると判断したのです。
こうして、大幅に性能向上が図られた「タイガーシャーク」1号機は、F-5Gとして1982年8月30日に初飛行します。1号機はF-5Eのキャノピーを使用しているのが外形上の特徴で、初飛行で音速に達するなど、さっそく高性能ぶりを見せつけました。
なお、この1号機は飛行試験が行われていたカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で早々と一般公開されています。それは初飛行からわずか2か月後の10月24日の基地公開日でのこと。そのときは、チェイス機として使用されていたノースロップ所有のF-5Fと並んで展示されました。
その後、「タイガーシャーク」のモデル名は、F-5GからF-20へと改称されます。加えて、視界を広くした改良型キャノピーと新型アビオニクスを搭載した2号機と3号機も完成、試験飛行と各国への売り込みが行われるようになりました。
F-20は、価格も性能も申し分のない戦闘機に仕上がっていましたが、新たな生産ラインを設けるほどの発注を集めることができませんでした。しかも、ノースロップにとってさらなる災難が降りかかります。なんと、1号機が韓国で、2号機がカナダで、相次いで墜落。パイロットとともにデモンストレーションを行える機体がなくなってしまいました。
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カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地でF-20「タイガーシャーク」1号機と並んで展示されていたノースロップ所有のチェイス機F-5F(細谷泰正撮影)。
F-20「タイガーシャーク」の売り込みがこれほど苦戦した最大の理由はアメリカの政権交代です。カーター大統領に代わって1981年に大統領に就任したレーガン大統領は、ゼネラルダイナミクス社(現ロッキード・マーチン)が開発した新型戦闘機F-16「ファイティングファルコン」の輸出に前向きになります。このアメリカ政府の方針転換で、F-20を検討していた国々の多くは、F-16を検討するようになり、結果、ノースロップは顧客を奪われる形となってしまったのです。
1986年4月、唯一残っていた3号機がカリフォルニア州チャイナレイク海軍兵器センターの基地公開日で最後の飛行展示を行いました。なぜなら、ノースロップは同年にF-20開発プログラムの終了を発表したからです。
こうして、カーター政権の意向で開発が始まったF-5G/F-20「タイガーシャーク」はレーガン政権の方針転換により終焉を迎えることになりました。ノースロップは政治に振り回された格好ですが、これは軍用機メーカーの宿命でしょう。
しかし、F-20「タイガーシャーク」用に開発されたAN/APG-67レーダーは小型ながらレーダー誘導空対空ミサイル、AIM-7スパローの運用能力を獲得していたため、台湾のF-CK-1「経国」戦闘機と韓国のFA-50/T-50に採用されています。
筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は、奇しくもF-20「タイガーシャーク」が最初に一般公開されたエドワーズ空軍基地と、現役最後の一般公開となったチャイナレイク、両方で実機を見ることができました。
時代に翻弄された悲運の高性能機、F-20「タイガーシャーク」。日本ではマンガやアニメで名が知られるようになっただけでも、同機にとっては光栄なのかもしれません。