「木更津全滅」「房州に新島出現」― 虚報躍った当時の新聞 被災地に取材拠点なく混乱 関東大震災と千葉県

関東大震災からきょう9月1日で100年。当時の新聞各紙の報道は事実上壊滅し、デマや虚報が乱れ飛んだ。特に千葉県では、取材拠点のない南部地域の被害が大きかったことが影響し、虚報に拍車が掛かった。関東大震災で千葉がどう報じられたのか。千葉県出身・在住のジャーナリスト、小池新氏がネット時代の現代にも通ずる問題をリポートする。
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「千葉市も全滅」、「房州に新島出現」、「房州沖は大陥没 北条と館山(いずれも現館山市)死者7万人」……。関東大震災では虚報が新聞紙面に躍った。
東京の新聞の大半の社屋が壊滅。免れた新聞も活字がめちゃくちゃになり、すぐには正規の発行ができなかった。千葉には地元紙の千葉毎日新聞と房総日日新聞があり、被害は少なかったとみられるが、この時期の紙面は現存せず、詳細は不明。被害が大きかったのが、県中心部から離れ、当時取材拠点のない安房地方だったため、被害報道は東京や神奈川などに比べて大幅に遅れた。
確認できる範囲で最も早く報じられたのは2日後、9月3日発行の大阪毎日号外。「松本(長野県)電話」で「八王子駅より甲府運輸事務所長宛て情報によれば」として各地の被害を列挙した中で「千葉市は全焼」とされた。さらに同日発行4日付山陽新報(岡山・山陽新聞の前身の1つ)夕刊は「長野(発)電話」で「木更津全滅 十万の避難民は千葉県に流れ込む」と伝えた。どちらも千葉と木更津に大火が起こったという虚報。被災地発の情報が途絶したため、新聞・通信各社は名古屋、静岡、長野、高崎(群馬県)などで情報を集め、発信した。しかし、未確認のうわさ話まで流したため、いまで言うフェイクニュースのオンパレードに。「富士山爆発」「横浜全滅す」「東京全市焦土と化す」「山本伯(権兵衛伯爵=首相)暗殺」「松方(正義=元首相)老公ついに逝去」……。
安房地方のやや正確な被害が報じられたのは震災から5日後の9月6日。電報通信社(現電通)は「高崎6日発」として「房州海岸 被害甚大 千葉県下における被害は、東京湾に面した海岸が最も甚だしく、安房郡西海岸では全壊家屋1万戸、死者約1千名。館山町及び船形町(現館山市)の大部分は烏有(何もないこと)に帰し、高島と沖ノ島の間に浮き上がった個所がある」というニュースを配信した。
この間、千葉県からはコメ、水などの救援物資が送り出されたのと同時に、東京、横浜からの避難民が大量に流入した。群馬県の上毛新聞9月26日付は、東京市役所(当時)の情報として「罹災者の避難地である千葉県・市川、船橋及び埼玉・川口、浦和方面に避難した者は計13~14万人に達した。両県下はいまや食料品の欠乏をきたし、物価は騰貴して、野菜類などは被災地に比べてはるかに高い」と報道。そうした混乱の中、県内でも朝鮮人虐殺事件が起きる。宮城県の河北新報は9月5日付で「東京が焼けたのは、地震による火災より朝鮮人の放火が主な原因」という東京からの避難者のうわさ話を載せている。
関東大震災では報道が事実上壊滅。デマや虚報が乱れ飛び、それが混乱と惨事を拡大させた。ネット時代の現在も、それは負の教訓として生きている。(小池新 東京湾学会副会長・ジャーナリスト)