【千葉魂】チーム救った荻野の一発 最年長、背中でけん引 千葉ロッテ

チームを救う一撃だった。4連敗で4位イーグルスに3ゲーム差まで詰められて迎えた9月12日、本拠地でのイーグルスとのゲーム。2点ビハインドの七回に起死回生の一発を放ったのはプロ14年目ベテランの荻野貴司外野手だった。無死一、二塁の絶好のチャンスを作りながら2つのアウトを重ね、好機がしぼみかけた場面。イーグルス先発則本の初球。高めカットボールを強振。打球はそのままレフトスタンドに消えていった。
「ストレート待ちのカットボールだったけど、うまく身体が反応して打つことができた。感触としては微妙。越えるかなぐらい。半信半疑の気持ちで走っていたけど入ってよかった。気持ち良かったです」と荻野は今シーズン初本塁打、12年連続本塁打を記録することになったアーチを振り返った。
高めの甘めのところの直球に目付けをして待っていた。「球種が違っても目付けをしたゾーンで身体が反応できたら打とうと思っていた」というベテランらしい対応で強打。打球は伸びていった。
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今季は2度、戦線を離脱。4月に右太ももを肉離れとなると8月に今度は左太ももの肉離れ。けがと戦い続けた。
「一度目は痛みがひどくて、自分がイメージしていた以上に時間がかかったけど2度目は自分の感覚的にもそんなにかからないだろうと思っていたので、落ち込むことはなかった。とにかく一日でも早く戻れるように準備をしていこうと思った」と荻野。
だからこそ体のケアは入念に行う。年齢と共に身体の可動域は減ってきていると感じ、今年はストレッチを多めに取り入れている。球場入り後、全体練習後、試合前と様々な動きのストレッチを組み入れて身体をいたわる荻野の姿を見かける。
チーム最年長の37歳で10月には38歳を迎える。そんな男の背中を後輩選手たちは見ている。「何か言葉で引っ張るタイプではない。結果を出すことが大事かなと思う」と荻野は言う。そして「最年長になるまで野球をしているとはルーキーの時は想像もしていなかった。毎日が必死。1年目からけがが多かったのでいつ終わってもおかしくない日々。常にその危機感はある」と話す。
最後にチームが日本一となったのは2010年。荻野がルーキーイヤーの年だ。しかし本人は交流戦期間中に戦線離脱をして大舞台には立てていない。「とにかく諦めずに上を目指してやっていきたい。最後まで戦いたい」。普段は大人しい大ベテランはひそかに闘志を燃やす。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)