“飯炊き3年 握り8年”今は昔…数カ月で技術学べる『寿司職人の養成学校』海外での活躍を夢見て集う受講生

「飯炊き3年、握り8年」ともいわれる寿司職人の世界だが、わずか数か月で一通りの技術が学べるスクールが人気になっている。円安などで海外での給料が相対的に高くなる中、受講生は海外で「すし職人」として活躍することを夢見ている。
岐阜県岐阜市柳ケ瀬の寿司店の2階にこの春、寿司職人を養成する「スシラボカレッジ」が開校した。
「飯炊き3年、握り8年」ともいわれる寿司の世界で、わずか2か月間で職人を養成するというスクールだ。
学長は寿司職人の大澤卓也さん。
大澤卓也さん:「毎日、毎日、26回目、シャリをあわせるの。毎日同じ作業です。(Q.飯炊き3年といいますが)26日目です(笑)。あとは毎日やることで、違いは自分で感じることなので」
大澤さん:「(受講生らに)じゃあ行きますか、用意、スタート」制限時間内にアジを3枚におろす授業では、小骨も丁寧に取り除く。
大澤さん:「早くやる。刻一刻と魚は腐っていく」Q.難しいですか?女性の受講生:「ぷりぷりだから」男性の受講生:「(ヒラメの処理をしながら)前よりヌメリがあるから。ヌメリがすごい…」1日6時間で週5日。受講料は2か月で80万円超えと安くはないが、すでに1期生5人が卒業し、いまは2期生の3人が学んでいる。
全員が“初心者”だが、将来の目的は同じだ。男性の受講生の男性(17 通信制高校3年生):「ドバイに留学していて、その時に向こうで行ったお寿司屋さんを見て、海外で寿司職人やるのはすごく需要あるなと思ったので」女性の受講生(50代主婦・元通訳):「友達にオーストラリア人やニュージーランド人がいるんですけど、寿司職人に関しては定年がないんじゃないかと」男性の受講生(34 元高校教師):「日本よりも働きやすい環境があるのは外国なのかなと」卒業生を含め全員が、“海外”で働くことを希望している。大澤さん:「最初は国内の就職先を考えていたんですけど、お話をしているうちにみんな海外に行くという目標を立てている。なるべく実戦的なスキルを徹底的に覚える」授業の終わりには、自分たちの寿司を試食した。
女性の受講生:「(味見をして)酸っぱかった…」大澤さん:「サバ、上手に締まってる。これ、どこで覚えたの?(笑)」
寿司を握れるようになって外国へ。いま、海外で働くことを念頭に短期で寿司職人を育てる養成学校が、全国で注目を集めている。東京、大阪、兵庫の3か所で講座を開設している「飲食人大学(いんしょくじんだいがく)」では、2021年から全校“満席”状態だという。
大手メーカーを早期退職し、2023年の7月からシンガポールで働き始めたという古賀督尉さん(58)に話を聞いた。
シンガポールで働く古賀督尉さん(58):「もうすぐ1カ月でまだまだ新米なんですけど、仕事の内容としてはベースなところ、巻き寿司とか、そういったところが通常の守備範囲になります。多分、日本の見習いの寿司職人の方の給料は低いと思いますが、それよりは良い」
背景にあるのは「日本食ブーム」と「円安」だ。海外の和食レストランは、2021年までの8年間で3倍近くにまで増加している。日本食を代表する寿司の職人が不足しているのに加え、円安が続き、海外に稼ぐ手段を見出す日本人が多くなっているという事情がある。
古賀さん:「日本人の方相手、日本でとなると、(稼ぐのは)かなり厳しい。和食とか寿司の需要はまだまだ増えていっている。国外で、というのは確かだと思います。まだまだチャンスはあるかと思いますので、その方向性は間違いないと思います」
岐阜市の「スシラボカレッジ」に通う、2期生の石原裕大さん(34)は、3週間後には独り立ちする予定だ。
大澤さん:「あと3分!」石原裕大さん:「危なっ」
大澤さん:「手を切ったら終わりですからね」石原さん:「(シャリを味見して)おいしいです」お客さんに出せそうか、石原さんに訊ねた。石原さん:「出せると思います」大澤さん:「出せますって。思いますではなくて、出せますで」受講開始から約40日。この日は1階のカウンターを使っての“実践練習”が行われた。
男性の受講生:「いらっしゃいませ、本日はよろしくおねがいします。こちら、今日のメニューになります」客に見られながら、調理場とはまた違う緊張感があるようだ。
大澤さん:「すごいよ、これ。新しい斬新な巻き方、のりが反対…」海苔の表裏を間違えてしまった生徒もいた。
大澤さん:「身が厚いので、その分細かく(包丁を)入れないと。あと30本くらい包丁入れるとちょうどいい」学長の大澤さんからは厳しい指摘が飛んだ。そして、いよいよ石原さんの番。お客さん役の先生や生徒を目の前にして、テンポよく握っていくが、大澤さんから指摘を受けた。
大澤さん:「目線。下をむいて握っちゃうと『話をしないで』って感じになっちゃう」手元に目線が集中して接客がおろそかに…。
大澤さん:「自然に流すのが一番ですよね。トータルで楽しんでもらうのがお寿司屋さんの醍醐味なんで。ね、石原さん」石原さん:「(話しかけられていたことに気付き)はい、そうです」大澤さん:「何がですか?」石原さん:「今、大澤先生がおっしゃったことが全てです」大澤さん:「聞いていない(笑)」まだまだ、覚えることはたくさんありそうだ。
愛知県岡崎市の石原さんの自宅を訪ねた。石原さんは、2023年3月まで高校の英語教師をしていた。
いまは英語のオンライン講師で、海外への渡航費を稼いでいる。
妻の明美さん(31)との2人暮らしだ。
妻の明美さん:「私がまだ寝ているときに何か聞こえてくるんですよ、シャコシャコ。包丁を研いでいるなって」
家に帰ってからも“自習”に余念がない。石原さん:「授業の最後に分けて頂いたご飯です」この日は、教室でも作ったことがない納豆巻きに初挑戦した。
石原さん:「あっ…、テイク2お願いしていいですか?ちょっとダメでした。ひきわりだからだ…」明美さん:「修業が足りないです」巻物から納豆がはみ出してしまっていた。
明美さん:「(納豆巻きの味見をして)まあまあかな」石原さん:「うん、納豆巻き…。(出来については)良かった点はないですよ」明美さん:「挑戦できたこと」石原さん:「新しいことに挑戦したということが、良い点ですかね」石原さんは11月には、夫婦で日本を出る計画を立てている。石原さん:「(検索ワードを)『スシシェフ』『ニュージー』って入れるだけで、パッといきなり出てくるから需要はあると思う。驚いていますね。こんなに時給いいんだっていうことに、びっくりしました」
円安という追い風もあるが、安定した教師の職を捨ててまで海外へ行こうと決めたのには、日本で働き続けることへ“疑問”があったからだという。
石原さん:「やってきた仕事は、すべて取り組まないといけないという。自分で全部引き受けて、日付が変わるまで職員室にという状態が続いて…」自分を押し殺して組織のために尽くす。2019年には、過労から体調を崩した。
明美さん:「休みがないなと思いましたね。授業準備、これからしないといけないからまだ寝られないって、本当に大変そうだなと」石原さん:「公立高校に勤めていた頃に、オーストラリアの姉妹校に交換留学で生徒を連れて行ったんです。そうしたら、そこの先生が『夕方3時には誰もいないよ』みたいな。生徒も先生も、夕方3時になったら誰もいなくなって、みんな家で各々過ごしているっていう話を聞いたんです」
漠然と感じてきた日本での生きづらさ。これは教師に限ったことではないのではないかと石原さんはいう。石原さん:「自分を滅して誰かの為に尽くさないといけないという社会構造。それを強要されているような違和感を、口に出すのもはばかられるような空気感。そういうのは日本に対する違和感です」日本人としてのアイデンティティを大切にしながらも、個人がより尊重される海外で働きたい。
石原さん:「日本には日本の良さがあって、そこは実際に出てみないとわからないかと思いますし。日本に生まれたことが大きなアドバンテージだと思っているので、それをお客さんにこの店に来てよかったなって、この人に握ってもらえたからよかったなって言えるようなお寿司が出せる、そして楽しんでもらえる、そういうお寿司屋さんがやれたらいいなと思います」2023年7月31日放送