〈横浜ラーメン店店長・殺害〉容疑者は小中学校時代は引きこもり。地元でラーメン店を開くもすぐに潰れ、拾ってくれた恩人である親族をメッタ刺し…「彼は昔からプライドが高かった」

横浜市港南区の京急・上大岡駅近くの「らーめん弘」で店長の大橋弘輝さん(33)が刃物で刺されて死亡した事件。神奈川県警が9月17日に殺人容疑で逮捕した親族で従業員の大橋昭仁容疑者(35)が、かつて自身で開業したラーメン店を軌道に乗せられず半年ももたずに廃業していたことがわかった。また、人気店の「らーめん弘」で昭仁容疑者が担当していた夜間の営業では、最近になってゆで加減や味がバラバラでクレームがつくこともあったという。被害者の祖父が製麺所を創業した「ラーメン一族」の間で起きた殺人事件の動機は、やはりラーメンに行き着くのか。
昭仁容疑者は県警の調べに対し、現場に落ちていた包丁で弘輝さんの腹や背中を刺して失血死させたことを認め「恨みがあった」と供述しているが、詳細な動機についてはまだ語っていないとみられる。しかし、事件の起きた9月15日の数日前から、昭仁容疑者の異変に気づいていた常連客もいた。現場に献花に訪れた30代の男性が最後に来店したのは、13日の夜だったという。♯2でも報じたように、同店では昼番を弘輝さんが務めて一旦閉めたのち、スープを仕込み直して夜番を昭仁容疑者がこなすスタイルで営業を続けてきた。
殺害された弘輝さん(本人SNSより)
「自分は夜に行くことが多かったのですが、基本的に夜番の方がワンオペでやっていて、ふだんは『いらっしゃいませ』や『ありがとうございました』と接客用語もきちんと言うし、変だと感じるところは全然ないんです。ところが事件の前々日の夜遅くに行ったときは、いつもと様子が違って機嫌がすごく悪そうで、挨拶もろくにしてくれませんでした。ラーメンを提供する時に小声で『おまたせしました』ぐらいは言ってくれたかな。今思うと、あのときすでに何か思い詰めていたのかもしれません」いつもは昼間にラーメンを食べにくるという常連客の男性も、昭仁容疑者のプロらしからぬ態度に辟易したという。「2~3年前に初めて訪れた際に、店員がとても頑張っていて、自分も飲食店をしていたから応援する気持ちで通うようになりました。それが昼番の店長(弘輝さん)です。私が『硬めでも濃いめでもない普通のラーメンでスープ多め』と最初に伝えた好みをずっと覚えていて、毎回その通りに出してくれていました。多い時期は週4ペースで通っていたこともあります。長話をしたことはありませんが、毎回ブレずにラーメンを出してくれるので、いつも『ありがとう』と声をかけていました」男性はいつも昼食時に訪れていたが、8月上旬、仕事の都合で初めて夕方に来店した。この時、店番をしていたのは見慣れた弘輝さんではなかった。「ニュースで報道されていた坊主頭の容疑者でした。味の好みや麺の硬さについても聞いてこないので、私から『普通で』と伝えたのですが、出てきたラーメンはなぜか麺が固めでした。というより噛み切れないほど固かったので、『麺が固くて食べられないよ。別のどんぶりに釜湯をくれ』と催促すると『えっ』と言ったきり謝りもしませんでした。無愛想に釜湯を出すと、調理場に入る手前あたりのイスに座ってこちらを睨みつけてきました。さらに数日後、また夜に店に行ったのですが、今度はありえないくらいスープが塩辛くて、思わず『スープがしょっぱすぎる。釜湯をくれ』と要求しました。ほぼ同じタイミングでラーメンを出された隣のお客さんも『うわっ』と腰を浮かせてウォーターサーバーの水をどんぶりに注いでいました。その人は『しょっぱくて食べられない』と途中で帰っていきました」
昭仁容疑者が調理したと思われるラーメン(常連客提供)
その際にも昭仁容疑者は男性のほうを睨みつけていたという。そして9月上旬、男性は3回目の夜番に挑んでみた。「その日は店に入って私の顔を見るなり不機嫌そうに『あんたは出禁だ!』と言ってきました。理由を尋ねると『あんた文句ばかり言うだろうっ』というので、『残念だよ。あれを文句だと思うのか』と言い返しました。これだけ昼と夜でラーメンの味にばらつきが出るとよくないだろうと思い、昼間の店員の耳に入れておこうと思っていた矢先に事件が起きたんです。もしかしたら私の他にもこういうことをされた人がいて、それが伝わって2人の間でトラブルになったのかもしれません。私は大好きなラーメン屋でしたし、弘輝さんはとても頑張っていたので残念でなりません」
親族に狂気の刃を向けた昭仁容疑者は、神奈川県相模原市内で育ち、実家は製麺所を経営していた という。「私は昭仁くんの母親と仲良くて…お母さんはとっても昭仁くんを可愛がっていました。昭仁くんは小学校のころから不登校気味でした。性格的にというか、昭仁くんが何か言ったことに対して間違っていたときがあって、周りの同級生が『それは違うでしょ』って言ったらそれを受け入れられずに怒ってしまったというか…。なんとなくですがプライドが高かったんだと思います。普通なら笑ってすますようなことじゃないですか。それができない子だったと子どもから聞いています。いずれにせよそのまま中学も来なくなってしまったようなんです。それから高校にも行っていたのかどうかわかりませんが、自宅にずっといる状態だとお母さんがこぼしていました」
送検される昭仁容疑者(写真/共同通信社)
大橋家と古くからの知人もこう証言する。「昭仁くんのご両親は本人のやりたいように自由にさせるような、そういう教育方針だったように思います。小、中学生のときに突然『学校に行きたくない』と、引きこもり生活を始めましたが、ご両親は心配しながらもあまり口うるさくは言っていないような雰囲気でした」引きこもり生活を続けていた昭仁容疑者だったが、18歳ごろになると、相模原市内で人気のラーメン店で修行を始めたという。仕事が決まった際は母親に「最初の給料が出たらお好み焼きを食べに連れていくね」と話すと、母は涙を流して喜んだという。修行先の関係者が証言する。
事件現場となったラーメン店には花がたくさん供えられていた(撮影/集英社オンライン)
「ちょうどウチも人手が足りないタイミングで、彼の父親から『うちの子のめんどうを見てもらえないだろうか』と頼まれたので、それからウチでは3年間くらい修行していましたね。仕事は真面目にやっていましたし、他のバイトさんと揉めたり、突然暴れるようなことはなかったですね。コミュニケーションも普通にとっていました。3年間で無断欠勤もなく、寝坊で遅刻を数回したくらいでしたよ。18歳くらいの若者にしたら真面目な子でしたよ」
ただし、ラーメンづくりに関するこだわりや情熱はあまり感じられなかったという。修行を終えて相模原市の実家近くに昭仁容疑者が開いたラーメン店を訪れたこの関係者は、出されたラーメンに驚いたという。「例えばウチが味噌ラーメンの店だとしたら、醤油ラーメンを出すというか…」要するに昭仁容疑者は、修行先で学んだはずの味を再現することもなく、コンセプトが不明瞭で、しかも「まずい」ラーメンを出していたのだという。この関係者も、先述の知人も「その店はあっという間に潰れました」と口を揃える。結局、そのラーメン店は2~3ヵ月で閉店に追い込まれ、昭仁容疑者はその後、複数のラーメン店を従業員として転々とし、約5年前、親族の弘輝さんが人気店に成長させた「らーめん弘」で働くようになった。親族にかけてもらった恩を仇で返された弘輝さんの無念を偲び、現場には献花に訪れる人が絶えない。その中のひとりに弘輝さんの小中学校時代の同級生の男性がいた。「弘輝は本当に気さくで誰とでも仲良くて、みんなには『パチ』って呼ばれて、人なつっこいからか年上にも可愛がられてました。恨まれるようなヤツじゃないんで、なんでなんだろうとずっと考えてましたけど、親族絡みの事件と知ってやりきれない気持ちになりました。さっきも高校の部活の後輩だという人が手を合わせにきてて、たくさん涙を流していました。地元だけじゃなく、高校でもすごく慕われてたんだな、やっぱりパチはいいヤツだよなって思いました。1年くらい前に同窓会でも会ったんですけど、特に悩んでる様子もなくていつも通りだったんです、それがしっかり話せる最後の機会になっちゃうなんて悔しいです」
殺害された弘輝さん(本人SNSより)
昭仁容疑者は警察の調べに対し「私がやったことに間違いありません」と容疑を認めているという。動機の解明が待たれる。※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。メールアドレス:[email protected](Twitter)@shuon_news取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班