現実に存在した「空中空母」って!? 期待も機体もビッグなのに「あっという間に廃れた」理由とは

「高高度を半永久的に無着陸で周回飛行し、膨大な艦載機で敵を圧倒する空中空母」とまで行かなかったものの、空中から航空機を発進させようというプランは昔からありました。
バンダイナムコゲームスが販売しているフライトシューティングゲーム「エースコンバットシリーズ」には、ジェット戦闘機を搭載し空中で発着艦を行う「空中空母」なるものが、いくつかのシリーズに登場しています。実はこれ、SF的なロマン兵器ではなく、かつてアメリカ軍で飛行船を使用して試みられ、実際に運用されたことがあります。
現実に存在した「空中空母」って!? 期待も機体もビッグなのに…の画像はこちら >>アメリカ海軍が一時期運用した空中空母、「アクロン号」(画像:アメリカ海軍)。
飛行機が誕生し、第一次世界大戦に戦闘機や爆撃機が導入されるようになると、当時は航続距離の短かった飛行機をなるべく遠くへ飛ばしたいという願望も出てくるようになります。実際イギリス空軍は、大戦中に軍用飛行船から戦闘機を発進させたことがあります。
大戦終了後は、まず艦艇から航空機を飛ばす運用方法が確立され、航空母艦が登場しました。そして、同じようなコンセプトで空中から発進させる可能性も模索されるようになります。当時、圧倒的に長大な航続距離を誇っていたのは、アルミニウムなどの軽金属の外皮を被せた硬式飛行船でした。その飛行船に航空機を搭載したアメリカ海軍の「アクロン号」が、世界で最初の本格的な空中空母といわれています。
「アクロン号」の初飛行は1931(昭和6)年のこと。1933(昭和8)年には姉妹船の「メイコン号」も登場しました。これら2隻の飛行船は、飛行船への発着が可能な専用戦闘機F9C「スパローホーク」を格納庫内でフックに吊るすように5機搭載していました。
とはいえ、さすがに洋上の航空母艦ほど大量に航空機は積めなかったため、空中で偵察機を飛ばすことで、現在の早期警戒機のように広域を索敵し、敵情を知るための役割を期待されていました。
この空中空母の登場は、当時対米関係が悪化していた日本にも衝撃を与えることになります。ドイツの「ツェッペリン号」よりも大きく、しかも燃えないヘリウムガス搭載ということで当時の新聞でも、「日本近海に展開されれば重大な脅威になる」と報じられていました。
しかし、空中空母の運用自体は上手くいきませんでした。それは240mという巨体そのものに問題があったからです。洋上で運用するには風による問題が多く、1933年4月4日には「アクロン号」が突風による墜落事故を起こして、死傷者まで出してしまいます。
1935(昭和10)年2月12日には「メイコン号」も不時着事故を起こします。さらに1937(昭和12)年5月6日には世界最大の飛行船だったドイツの「ヒンデンブルク号」が爆発事故を起こします。度重なる重大事故により飛行船の戦力化には疑問符がついてしまい、結局、飛行船を利用した空中空母の運用は以後、計画されることはなくなりました。
同じ1930年代にはソビエト連邦でも「ズヴェノー」と呼ばれる計画が立ちあがります。これは、パラサイト・ファイター(寄生戦闘機)と呼ばれる、機体を翼に搭載した親子飛行機といった方向性のもので、爆撃機と護衛戦闘機の航続距離の差を解決し、爆撃範囲での直接護衛をさせるというプランでした。
早い話が『機動戦士ガンダム』のガウ攻撃空母みたいな発想です。ツポレフ TB-1を母機にして、パラサイト・ファイターを2機から5機搭載したこの機体は、1931(昭和6)年から1937(昭和12)年までのあいだに複数のタイプが試験飛行し、第二次大戦中には実戦でも投入されます。しかし搭載した戦闘機が無駄な重りになり、かえって敵に狙われやすくなってしまい、結局運用されなくなります。
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ツポレフ TB-3の翼下に2機のポリカルポフ I-16を吊り下げたズヴェノー計画の試作機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
戦後は空中給油機が発展したことで、戦闘機の行動範囲が伸び、これらの空中空母の代わりの発想として定着し、論議されることはなりました。しかし、2021年にノースロップ・グラマンが空中発射型無人機「ロングショット」を開発中との報道が出て、この空中空母が再び脚光を浴びています。この機体は輸送機や爆撃機のほか、戦闘機からの射出も考えられており、発想としては先祖返りしたといえるでしょう。