第2次大戦末期にイギリスで生まれた傑作戦車「センチュリオン」。約20か国に採用されたベストセラーを、南アフリカは「オリファント」という名でいまだ使っています。新戦車を導入せず「老兵」を運用し続けるのは、ある理由からでした。
イギリスが第2次世界大戦末期に生み出した傑作戦車、それが「センチュリオン」です。同車は、戦車の性能を図る三要素、「機動力」「攻撃力」「防御力」のすべての面で高性能であったことから各国で採用され、母国イギリスを含めて約20か国で採用されたベストセラー戦車になりました。
こうしてイギリスが生んだ傑作戦車のひとつにまで昇華した「センチュリオン」でしたが、誕生から80年近く経過し、相対的に陳腐化、老朽化が進んだことから、いまだMBT(主力戦車)として使い続けているのは、とうとう南アフリカただ1国だけとなりました。
だって敵いないんだもん…?「80年前の戦車」が未だ主力の南ア…の画像はこちら >>南アフリカが運用する「オリファントMk.2」戦車(画像:南アフリカ国防軍)。
南アフリカでは、現在「オリファント」の名で「センチュリオン」の改良型を運用していますが、より高性能な新しいMBTはいくらでもあります。そのようななか、なぜ交代することなく運用を続けているのか。そこには同国が歩んだ歴史が大きく関係していました。
そもそも「センチュリオン」は、第2次世界大戦において終始、ドイツ戦車に苦しめ続けられたイギリスが、「ティーガーI」重戦車や「パンター」中戦車などに対抗できる高性能戦車として開発したものです。
イギリスは満を持して最前線に「センチュリオン」を送り込みますが、同車の優秀性をドイツに対して見せつけることはありませんでした。なぜなら、その前に大戦が終結してしまったからです。
一方、南アフリカに目を転じてみると、同国はイギリス連邦(コモンウェルス)の一員として第2次世界大戦で戦うなか、アフリカ大陸の南端に位置する地理的な要因からほとんど戦火に晒されなかったおかげで、大戦直後にはアフリカ大陸随一ともいえる工業国になることができました。
また、同国はイギリス式で軍隊を整えていたことから、比較的早い段階でイギリス製「センチュリオン」戦車を導入しており、そのことが結果として南アフリカで2023年現在も「オリファント」として現役運用されることにつながります。
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イギリスが開発した「センチュリオン」戦車。写真の車体は主砲を105mm砲に換装し、赤外線暗視装置などを搭載したMk.13(柘植優介撮影)。
ただ、1940年代後半に表立って行われるようになった同国の人種隔離政策「アパルトヘイト」が、1950年代に入ると国際社会から批判を受けるようになります。その結果、新規のMBTを国外から導入することが困難となりました。一方で、いくらアフリカ大陸きっての工業国とはいえども、さまざまな先端技術が必要とされる最新戦車を独自開発するまでの力はありません。
とはいえ、オリジナル戦車を生み出すことは難しくても、既存戦車の改修程度なら行えます。
自国の工業力の「身の丈」を知っている南アフリカ軍は、手持ちの「センチュリオン」を改修してグレードアップさせることができれば、新型戦車を輸入するための外貨を節約することにつながり、おまけにそのまま国内の戦車産業も育成できると判断するに至りました。
ある意味、この選択は「アパルトヘイト」のせいで国際社会において、ますます孤立の色を強めていた南アフリカにとって、国防上の重要な自助努力だったともいえるでしょう。
こうして、南アフリカで初のアップグレード型「センチュリオン」が誕生します。それが、エンジンを換装した「スコーキエン」と、そのエンジンにさらに手を入れた「セメル」でした。これらは1970年代前半に登場しますが、アンゴラ内戦においてソ連(ロシア)製戦車のT-54/T-55に劣ることが判明したため、喫緊にさらなる改修が求められるようになりました。
そこで南アフリカ軍は、新たな改修計画として1976年から「オリファント」の開発に着手します。同年中に最初の実証試験車が完成。各種試験のあと、最終的に「オリファントMk.1」として制式化されました。とはいえ、同車は「セメル」のサスペンションや砲塔駆動装置、視察装置などに手を加えただけで、過渡期のモデルといえる内容でした。
そのため、続いて登場した「オリファントMk.1A」が本格的な改良型といえるでしょう。こちらは、備砲を20ポンド砲から105mm砲L7に換装。エンジンは新型のディーゼルに、またトランスミッションも新しいものに変更され、性能面でアメリカのM60やドイツのレオパルト1、日本の74式戦車など、いわゆる西側第2世代MBTの基準まで引き上げれられています。
ちなみに、この「オリファントMk.1A」が誕生するにあたり、おそらく参考にされたと思われるモデルが中東イスラエルにありました。それは「ベングリオン」や「ショト・カル」の愛称で呼ばれていた、イスラエル独自改良の「センチュリオン」戦車でした。
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南アフリカが運用する「オリファントMk.1A」戦車(画像:アメリカ陸軍)。
イスラエルは当時、南アフリカとの関係が良好だったので、「センチュリオン」をアップグレードするのに必要な技術的援助があったと考えるのが妥当でしょう。ちなみに、「オリファントMk.1A」への改修は1983年から始まり、トータルで約250両が完成したといわれます。
ただ、それでも他国で新型戦車が次々登場してくるため、絶え間ないアップグレードが南アフリカでも求められます。こうして1990年代初頭に造られたのが「オリファントMk.1B」でした。
このころになると、経済制裁を含む国際社会の激しい反発から、南アフリカも「アパルトヘイト」を止めています。その結果、新型戦車も導入できるようになりましたが、逆に東西冷戦の終結とソ連の崩壊によって、南アフリカの周辺に表立って対抗できるほど、野心にあふれた軍事国家、民兵集団が存在しなくなっていました。このように当の南アフリカ軍自身が新型MBTを必要としなくなっていたというのも、「オリファント」を使い続けることになった一因といえるでしょう。
「オリファントMk.1B」は、近代化改修型「センチュリオン」の集大成といえるもので、足回り、動力装置、装甲、備砲、射撃統制装置(FCS)の全てに手が入れられています。特に、それまでの各種改修では手が付けられなかったサスペンションが、トーションバー式へと換装され(原型はホルストマン式)、不整地走行性能の大幅な向上を実現させています。
加えて防御力向上の一環で装甲も強化されたことで、車重は「オリファントMk.1A」の約56tに対して「同Mk.1B」 は58tへと増加。そこでエンジンをより高出力な新型ディーゼルへと換装し、路上最大速度を既存タイプの45km/hから、新型では58km/hへと向上させています。
なお、この装甲強化に合わせて、「オリファントMk.1B」では車体前面と前上面、砲塔前面と左右側面、さらに砲塔上面の前半部に複合装甲材を用いた追加装甲を装着。さらに車体の左右側面にサイドスカートまで取り付けたため、外見的に同車は従来モデルとは全く異なる、別の戦車と思えるほどに変貌しています。
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南アフリカが運用する「オリファントMk.1B」戦車(画像:アメリカ陸軍)。
さらに2003年、南アフリカでは「オリファントMk.2」への改修計画もスタートしています。こちらは外見的には「オリファントMk.1B」とほとんど変わりませんが、数少ない外観上の識別点として、砲塔上部に車長用の大型視察装置が増設されているのがポイントです。
それ以外にもFCSや通信機器などの更新といったソフト面で近代化されており、夜間戦闘能力の向上や行進間射撃能力の獲得といった性能向上が図られています。加えて、主砲もラインメタル120mm滑腔砲へ換装可能になっている模様です。
この最新型「オリファントMk.2」は2023年現在、すでに数十両の改修が済んでいるとも伝えられます。
前述のとおり、「オリファント」の原型は1945年生まれの「センチュリオン」です。それがアフリカ大陸の片隅で、70余年を経た今日でも絶え間ない改造が加えられて現役で運用され続けているのは、さすがというほかないでしょう。
逆にいうと、それだけ「センチュリオン」戦車の“天賦の才” が優れていたからともいえます。
昨今の南アフリカは、経済の低迷によって国家財政も厳しい状況が続いている様子。そうなると、軍事費も抑制気味であるため、新型MBTの導入などは難しく、いましばらくの間は「オリファント」が現役であり続ける模様です。