機銃だらけだった戦略爆撃機が“スッキリ”した理由 機銃を捨てても最後まで残った尾部機銃

第二次大戦の戦略爆撃機と言えば、機体のそこかしこに機銃座が置かれていたのが定番でした。それが戦後になると、ほとんど姿を消したのはなぜでしょうか。
B-29「スーパーフォートレス」、B-17「フライングフォートレス」、アブロ「ランカスター」など、第二次大戦の戦略爆撃機といえば機体のそこかしこに防御用機銃座があるのが主流でした。しかし2023年現在、機銃座を備えている機体はほとんどありません。一体なぜ廃れてしまったのでしょうか。
機銃だらけだった戦略爆撃機が“スッキリ”した理由 機銃を捨て…の画像はこちら >>2023年現在も現役のB-52「ストラトフォートレス」(画像:アメリカ空軍)。
機銃の廃止は、ジェット機の登場が大きなきっかけとなっています。ジェット機の本格導入は第二次大戦の末に戦闘機から始まりました。このジェット戦闘機に護衛機がいない状態で捕捉されると、複数のレシプロエンジンで動くプロペラ機である戦略爆撃機の防御火器では速度の速いジェット機を捕捉するのは困難なため、ひとたまりもありませんでした。
しかし戦後しばらくすると、爆撃機の方もジェットエンジンが主流となります。1955年からアメリカ空軍で運用を開始した戦略爆撃機のB-52「ストラトフォートレス」は、機体にはほとんど防御用の機関銃・機関砲を搭載していませんでした。爆撃機がジェット機化し速度も上がったことで、こんどは、人間の反射神経では側面や正面からの接近攻撃がほぼ不可能になったのでした。
ただ、B-52開発当初は、ジェットエンジンを搭載した戦略爆撃機の速度性能と高高度航行能力の高さをもってしても、機体の後方下部から接近され攻撃を受ける可能性があったため、尾部に4連装50口径12.7mmブローニング機関銃を搭載した尾部銃座を設置しました。最初は尾部に設置されたターレットに射手ひとりが寂しく操縦室から離れて座る形式でしたが、後にレーダー照準となり、射手は操縦室内から射撃が可能になります。
また、B-52と同時期にソ連空軍で運用開始された二重反転プロペラのターボプロップエンジンを持つ戦略爆撃機のTu-95に関しても、最高速度で亜音速を出せるB-52の1028km/h には及ばないものの、950km/hとかなり速かったため、尾部のみに機関砲のターレットを設置していました。
こうした尾部機関銃は、空対空ミサイルの技術がまだ初期段階の間は、活躍する場がありました。1972年12月18日、ベトナム戦争での爆撃任務後に北ベトナム軍のMiG-21に襲われたコールサイン「ブラウン・スリー」と呼ばれた1機のB-52Dは、急速に迫って来るMiG-21戦闘機を確認し、レーダー照準による尾部4連装機関銃で迎撃しました。これが、B-52による尾部機関銃の初戦果になります。
さらに、同年12月24日に発生した戦闘でも、「ダイアモンド・リル」というコールサインのB-52DがMiG-21を尾部機銃のレーダー照準で撃墜。これがB-52による最後の敵機撃墜記録兼、爆撃機の尾部機関銃による撃墜記録になっています。
その後、B-52H型になると、尾部の機関銃をより連射性能の高いM61 20mmバルカンに変更し、1990年8月に発生した湾岸戦争にも参加しました。しかし、時代は既に目視できる範囲外から超音速でミサイルが飛んでくる状態が当たり前の時代になっていたため、湾岸戦争後、尾部銃座そのものが不要という判断となり、1991年以降はB-52の尾部銃座を撤去しています。
なお、B-52以降にNATO(北大西洋条約機構)を中心とした西側陣営で作られた爆撃機は、ミサイルの誘導を妨害する電子戦を重視した機体となっており、最初から防御兵装として機関銃や機関砲を搭載している機体はありませんでした。そのためB-52の尾部機銃撤去後は、西側の爆撃機では尾部銃座は姿を消しています。
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Tu-95の尾部に搭載されている機銃(画像:ロシア国防省)。
西側製ではない、Tu-95やTu-22Mなどロシア空軍が使っている一部機体には、尾部機銃が残っているものもありますが、絶滅危惧種と言えるでしょう。ただ、今後レーザーなどの光学兵器が実用化された場合には、ミサイル迎撃用装備としてターレットなどが復活する可能性もあるかもしれません。