2月6日に発生した地震で大きな被害を受けたトルコでは、日本の救助チームも活動に当たっています。その一員として、新潟県内から派遣され、帰国した隊員が危険と隣り合わせの救助活動について振り返りました。
【杉本一機キャスター】
「救助チームの一員として派遣された小林機動救難士。新潟に戻ってきたばかりだといいますが、疲れの色は見せず、これから活動報告を行います」
2月17日、第九管区海上保安本部でトルコからの帰国を報告したのは、新潟航空基地所属の小林智也機動救難士です。
6日、トルコ南部を震源に発生したマグニチュード7.8の地震では、これまでにトルコとシリアを合わせ、死者が4万人を超えています。
日々、人命救助に当たっている小林さんは今回、警察や消防とともに日本政府の国際緊急援助隊の一員として、9日から5日間トルコで行方不明者の捜索などに当たりました。
【新潟航空基地 小林智也 機動救難士】
「パンケーキクラッシュという現象。下の階が崩れて、上の階が重なっていって、パンケーキのような形に潰れてしまう現場がほとんどだった。余震があったら、隣の建物が崩れるかもしれない」
2次災害に警戒しながらの過酷な状況下で小林さんを奮い立たせたのは、生存率が大幅に下がると言われる、発災後72時間を過ぎたあとも、多くの人が助け出されているという情報でした。
Q.時間が経過する中での救助活動。どんな思いで当たっていた?
【新潟航空基地 小林智也 機動救難士】
「72時間経過後も生存者が救出されたというニュースは私たちにも入っていたし、実際、目の前で救助されたのも見ていた。『まだ希望がある』と、その度に感じて、生存者がいることを信じて活動していた」
小林さんたちのチームは必死の捜索で今回6人を見つけ出しましたが、残念ながらいずれも命は助かりませんでした。
現地では「ありがとう」と声をかけられた一方で、小林さんの胸には命を救えなかった悔しさが強く刻まれています。
【新潟航空基地 小林智也 機動救難士】
「今回の悔しさを忘れずに訓練に励んでいくこと、この経験を後輩に伝えて、今後よりいい救助活動をするため、技術を上げていくことに努めていく」