船と飛行機のハイブリッドで、海面すれすれを爆速で飛行する輸送機「シーグライダー」の実証試験に、米海兵隊が475万ドル(約7億1200万円)もの資金を投じるという。飛行機の高速性とボートの低コスト性を“いいとこ取り”したこの輸送機、実はステルス性にも優れているという。
米国で摩訶不思議な「乗り物」が誕生しようとしている。スタートアップ企業のリージェント・クラフト社が開発中の「シーグライダー」だ。米海兵隊(USMC)が興味を示し、そのコンセプト実証試験に475万ドル(約7億1200万円)もの資金を投じるという。「シーグライダー」はハイドロフォイル船に翼を持たせたもので、地面(水面)効果で水上を高速移動する。地面効果とはいわば空気のクッションのようなもので、翼と水面との間に生じる空気流の変化を利用し、揚力を生み出すことを意味する。
米リージェント・クラフト社が開発中の「シーグライダー」
海ガモやウミスズメなどの海鳥が滑空(グライド)しながら長距離を移動できるのはこの地面効果による。また、同じく海鳥のミサゴが海面の獲物を捕食する際にもこの効果を利用している。ちなみにミサゴは英語で「オスプレイ」で、同名の垂直離着陸機がわが国でも導入されている。離着陸はヘリモード、移動する際は固定翼機モードを使うというスタイルがなかなか理解されず、墜落事故が多発したこともあって、「未亡人製造機」とも揶揄されてきた。さて、この「シーグライダー」はザックリいえば、ジブリ映画「紅の豚」に登場する水上飛行機をイメージしてもらえばよい。高度は上げず、そのまま海面スレスレを離着陸する。機体の推進力は電動プロペラ8基が生み出し、浮上後は機体中央にある安定化のための「水中翼」ユニットが内部に格納される。舟型胴体のままでは離水速度のまでの引き上げに多くの時間と電力を費やすため、水中翼というアイデアが採用されたのだろう。予定される機体のスペックは人員12名、時速300km、充電1回分の航続距離300km、貨物積載量1587kgというものだ。コンセプトの重要な要素としては、船舶に翼を持たせ、かつ航空機のスピードを実現すること。それを実現するために船舶並みのメンテナンス、ヘリや固定翼航空機のように長時間のパイロット訓練を必要としないことも目標にしている。そのため、米海兵隊では実証試験プログラムとして、機体やフォイル、翼の操作モードにおける能力を検証する予定だ。こうした米軍の期待に、リージェント・クラフト社のビリー・タルハイマーCEOは今年4月の英航空専門誌『フライト・グローバル』のインタビューで「太平洋、島嶼、沿岸戦闘、高速ロジティクスにおいて国家防衛戦略を見極めた結果、『シーグライダー』はその任務に完璧に適している」と、自信の程を語っている。
さて、もしもこの「シーグライダー」が日本に配備された場合、在日海兵隊はわが国周辺海域の有事の際に、どのような運用を想定しているのだろうか? 軍事に詳しい航空専門家の嶋田久典氏に聞いてみた。「米軍が策定した『2035年構想』によれば、現在、米海兵隊は南シナ海での対中国戦を睨み、中国の軍事戦略A2/AD(接近阻止・領域拒否)エリア内側に入り込んで活動する形態に部隊を改編中です。従来の戦車、水陸両用装甲車を捨てて、フェリー改造の小型揚陸艦や戦術輸送機を駆使して小さな島に隠密理に対艦ミサイル、防空システム、兵員を運び込むことというものになっています。しかし、組織改編だけが先走り、この構想を実現する核心となる装備がないままです。低速でステルス性もない小型揚陸艦や戦術輸送機だけで、中国軍に感知されずにこうした任務を遂行できるかどうかは疑問です。その点、『シーグライダー』は輸送の有力なオプションとなる上に、ステルス性に優れるという利点がある。水上を飛行するため海面からのクラッター(反射波)に紛れやすく、熱源のない電気駆動なので赤外線を出さないなどの特性により、レーダーで発見されにくいのです」ちなみに、米国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)では、海上交通のプロセスを根本から変えるべく、「地面効果」を効率的に使って100トン以上の重量物を輸送する「リバティーリフター」という水上飛行機の開発が進んでいる。
米国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)が開発を進める水上飛行機「リバティーリフター」
製造はジェネラル・アトミクス社とボーイング子会社のオーロラ・フライト・サイエンス社が担当し、2024年半ばから詳細な設計とデモが行われる予定だ。
前出の嶋田氏が続ける。「ただ、大型のものは『完成したらいいな』くらいの認識でしょう。旧ソ連でも1980年代にターボジェットエンジンを搭載した全長約100m、積載量約100トンの『エクラノプラン』という大型揚陸用航空機が開発され、西側から『カスピ海の怪物』と恐れられたことがあります。しかし、地面効果艇は波が高いと運行できないため台風等の荒天が少ないカスピ海専用装備となり、製造された4機も85年に開発の後ろ盾となった将軍が亡くなり、計画ストップで退役。90年代後半までに全機、軍より除籍されました。実戦配備として活躍する前に航空機の歴史の中から消え去ったのです。米海兵隊としてはリージェント・クラフト社のこの小型機体こそ、当面の大本命なのでしょう」
旧ソ連が開発しようとしていた“カスピ海の怪物”「エクラノプラン」
とはいえ、「シーグライダー」がこのまま順調に開発・配備される保証はない。「電動なので手っ取り早く航続距離と速度を稼げるというメリットがある一方で、向かい風等の悪条件があると途端に数字がガクンと落ちてしまう、バッテリー原料であるリチウムの産出量が希少なこと、取り出しエネルギーが気温など左右されやすいなどのデメリットもあります。価格面、素材供給面などのデメリットを考えると、海兵隊が求めるほど大量の『シーグライダー』を製造、配備できるのかが懸念されます」その他にも、将来、「シーグライダー」のような軍事用輸送機にドローンのようにAI操縦が導入された場合、最前線の戦場で対空兵器の回避などの突発事象を自動操縦でクリアできるのかという懸念もある。無人機・ドローンの航法の前提となるGPSが絶たれた時のルート精度の確保も心もとない。その輸送が兵士の命に関わるような任務であればなおさらだ。決まったルートを高速で物資輸送するだけの業務なら、ドローンのように操縦による支線/幹線輸送の実現性は高いだろう。いずれ軍の輸送網は「シーグライダー」のような中小の支線輸送機(12人乗り版)、さらには「リバティリフター」のような大型の幹線輸送機(100トン版)もAI操縦に置き換わる可能性は否定できない。だからこそ、小型、大型にかかわらず、世界の民間航空や輸送関連の企業が特異性を持つこのような機体の開発に興味津々なのだ。インターネットやGPSなど、米国では軍事技術が民生技術にスピンオフされるケースが多い。今回の海上スレスレを高速移動する異形の次世代モビリティ、「シーグライダー」がどのような姿形で登場するのか、注目したい。取材・文/世良光弘