〈黄綬褒章受章に“待った”?〉大阪VS北九州・パンチパーマ発祥論争が勃発! “生みの親”たちが語るヘアアイロンへのこだわりと深すぎるパンチ愛

11月3日の文化の日、今年の秋の褒章の受章者が発表され、農業や商工業などの業績を顕彰する黄綬褒章に、パンチパーマの生みの親として、大阪府・住之江区にある「カットハウス良の店」の泥谷良一さん(76)が選ばれた。しかし、一部ネット上では「パンチパーマって北九州が発祥では?」との声もあがり、にわかに“パンチパーマ論争”が勃発している。当事者たちに話を聞いてみた――。
1970年代に生まれ、現在でも強面の男性たちに愛され続けているパンチパーマ。そんな“強面男の象徴”ともいえる髪型をめぐって論争が起きたのは、11月3日のことだ。パンチパーマを考案して全国に広めたとして、大阪府・住之江区にある「カットハウス良の店」の泥谷良一さん(76)が黄綬褒章に選ばれたことに対し、一部ネット上で「パンチパーマって北九州が起源じゃないの?」という声が続出したのだ。
黄綬褒章(内閣府HPより)
ネット上の“異論”に対して黄綬褒章を受章した「カットハウス良の店」の泥谷良一さん(76)の妻はこう語る。「パンチパーマの講師として主人が全国の理髪店を回っているときも、『パンチパーマは北九州が発祥では?』と言われたそうですが、正直なところ、私たちもよくわかってないんですよ(笑)。当時(1960年代後半)はビートルズが流行ってましたし、そのあとはヒッピーも有名になったくらいですから、そういうのを真似してロングヘアにする若者が増えていたんです。でも、髪の毛を切らせてくれないと商売できないわけですから、『もっとパンチの効いた新しい髪型をつくれないだろうか?』と、ウチの主人が始めたのがパンチパーマだったんですね。今回、黄綬褒章を受章してからというもの、お客さんに『おめでとう』と言われるんですけど、別にこれに乗っかろうとは思っていません。これまでどおり、一人一人のお客さんに満足していただけるように頑張るだけです」いっぽう、今回のパンチパーマ論争で名前があがった北九州の理髪店はどう考えているのか? 北九州市・門司港のすぐそばに店を構える、「バーバーショップマツナガ」の二代目店主・松永義和さん(81)は「パンチパーマをつくったのは僕だ」と主張する。
バーバーショップマツナガ(店主提供)
「大阪の泥谷さんが黄綬褒章に選ばれたことは、同業者からしたら本当に喜ばしい。でも、『パンチの威力は北九州から全国へ』と言われるように、パンチパーマの起源は北九州で、僕が一番最初に『パンチアイロンパーマ』って名前で始めたの。もともとウチは、門司港のちかくで親父の代から営業してたから、港湾関係のお客さんが多かった。そういう人たちはみんなスポーツ刈りで、毎日頭を洗うから『髪を洗っても崩れない髪型はどんなだろう?』と考えた結果、1965年ごろに始めたのがパンチパーマだったのよ」もちろん、当時はパンチパーマ専用のヘアアイロンはなかったため、市販の「パンチアイロン(ふつうのヘアアイロンの名称)」で髪の毛を巻き、固めのジェルとヘアコンディショナーを用いることでパンチパーマをつくっていたという。「だから最初は『パンチアイロンパーマ』って呼んでたんだけど、名前がダサいから『メッシュアイパー』に変えたんだよ。以降は港湾関係者のみならず、幅広い世代の人たちにウケて、それこそ銀行員や教員といったお堅い職業の人たち以外は、全員パンチパーマだったくらいだし。ある高校生からは、『これ(パンチパーマ)じゃないとダサくて学校でハブられる』と言われたほどだったね(笑)」
さらに取材を続けていくと、ほかにも「元祖・パンチパーマ」を名乗る理髪店が。北九州市・小倉で1963年から営業している「ヘアサロン永沼」の二代目店主・久保政生さん(55)はこう語る。「たしかに先代の永沼重己先生から、パンチパーマの誕生の経緯について聞いていました。当時(1960年代)の男性の髪型といえば、七三分けやスポーツ刈りくらいでバリエーションが少なかった。さらに北九州では、製鉄関係でヘルメットを被って仕事をする方も多く、髪型が崩れてしまうのが悩みだったのです。そこで永沼先生は、アメリカ人歌手のハリー・べラフォンテさんの髪型からヒントを得て、頭を洗ったあとも手ぐしでセットできるパンチパーマを考案したとのことでした」
昭和・平成初期に大流行したパンチパーマ(写真/共同通信社)
特に先代がこだわったのは、パーマをかけるためのヘアアイロン。コテの部分を何度も削って改良を重ねていき、昭和50年代には「エッジアイロン」という名前で特許まで取得したという。その結果として、パンチパーマは流行の最先端として幅広い世代に受け入れられ、今でいうところのツーブロックのように浸透していった。「ウチでは今でも『元祖・パンチパーマ』の看板を掲げていますが、正直なところ、どこが先に始めたとかはまったく気にしていないし、そんなことで言い争う意味なんてないと思うんですよ。今回、大阪の理髪店の方が黄綬褒章に選ばれたことはお客さまから聞いていますが、パンチパーマを世の中に広めていく同志として大変うれしく思っております」パンチパーマの起源はさておき、取材をしたどの理髪店にも共通していたのが「パンチパーマへの愛」。最近では、もともと強面のイメージがあったパンチパーマの客層にも変化が起きているのだという。「パンチパーマは男っぽくて強そうなイメージがあるからか、1980年代はヤンキーやその筋のお客さんも多かったんだけど、最近はふつうの若いお客さんも増えたね。とくに人気なのは『濡れパン(濡れた感じに仕上げるパンチパーマ)』。みんなインターネットでパンチパーマを知るみたいで、若い子たちにとっては、一周回って新しい髪型なんだろうね」(前述・バーバーショップマツナガの店主)
ヘアアイロン
「1980年代は、学生さんやサラリーマンのほか、女性の方たちにも多くお越しいただきましたね。ロングヘア―にヘアアイロンを当てる『アイロンパーマ』が流行っていたんです。それこそ最近だと、ネットが便利になったからか、“SNSでパンチパーマを知った”といった声もたびたびお寄せいただきますし、俳優のウィル・スミスさんやラッパーの方たちの髪型に影響を受けてお越しになる方も多いですね。それと『今日から俺は』や『東京リベンジャーズ』の影響も大きくて、“こういう髪型にしてください”とスマホを見せられたときに、パンチパーマのアニメキャラだったりするので、うれしいかぎりですよね」(前述・ヘアサロン永沼の二代目店主)時代とともに変化していくパンチパーマ事情。だが、店主たちの“パンチ愛”は灼熱のコテにも負けないくらい熱かった。
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