ウクライナの地にいる「泥将軍」。かつてはナポレオンやヒトラーの軍隊を撃退し、「冬将軍」とともにロシアの救世主でもありました。水を含んだ泥は車両を足止めし、ウクライナ軍の反攻を阻止するには好都合ですが、今年はワケが違うようです。
ロシア・ウクライナ戦争が2度目の冬を迎えようとしています。厳しい冬には軍事的な動きは少なくなるという見方が一般的で、ナポレオンやヒトラーの進軍を妨げた「冬将軍」は有名です。しかし、もうひとつ厄介なものに「泥将軍」があります。
ウクライナ語で「ベズドリジャ」、またはロシア語の古い言い回しで「ラスプチツァ(道なき道)」といわれる季節の変わり目は泥濘期と呼ばれ、文字通り道を泥沼に変えます。第2次世界大戦の東部戦線記録映像でも、戦車のような装軌式の車両ですら泥まみれでスタックする有様が映っています。ドイツ軍が得意とした、機動力を生かした電撃戦など実施できるわけもありません。「泥将軍」はナポレオンやヒトラーの軍隊の機動を妨げ、防衛するロシア軍を助けました。
ウクライナに「泥将軍」は現れる? 過去にはヒトラーも足止め……の画像はこちら >>19世紀に描かれたウクライナのラスプチツァ(道なき道)の様子。「マリウポリのチュマク小道」(画像:アルヒップ・クインジ,パブリックドメイン,via Wikimedia Commons)。
しかし2023年の「泥将軍」はこれまでと異なり、ロシア軍の味方にはならないかもしれないとアメリカの政治ブログ『デイリー・コス』が指摘しています。その原因は夏の高温です。地球規模の気候変動の影響ともいわれていますが、暑かったのは日本だけではなく、ウクライナなどの東欧圏でも気温が高かったのです。暑さは「泥将軍」も苦手のようです。
ウクライナの大部分の土壌は「チェルノーゼム」(ロシア語で「黒い土」の意味)と呼ばれる粘土質の多い黒色の土壌で、保水力が高いのが特徴です。これが、大きな灌漑設備無しでも、ウクライナを豊かな穀倉地帯にした理由でもあります。「泥将軍」は侵略者を足止めするだけでなく、ウクライナの農業を発展させている一面もあります。
チェルノーゼムは冬の雪や春の降雨によって多量に水を含んだ表土層と、地下深くの凍土層で構成され、この凍土層が排水を妨げて水が地下に溜まります。5~7月には雪解けと雨季によって多くの水分が土壌に浸透し、保水力を超えて水があふれだし「道なき道」を作り出します。
夏に気温が上がると、蒸発量が増え表土は乾きます。しかし地下には水が溜まったまま。秋になって気温が下がると蒸発量が減り、1日の平均気温が5℃を下回るようになると、10月下旬からの雨期も相まって土壌内の水分が飽和し、また「道なき道」が生まれます。
実はウクライナ北部と南部では土壌の性質が異なります。チェルノーゼムの割合は北部が高く、南部は低くなっています。つまり「泥将軍」はウクライナ全土一律に猛威を振るうわけではないのです。2022年春にロシア軍の攻勢が各方面で行き詰っていたなかで、南部のヘルソン、メリトポリ、トクマク、マリウポリで成功を収められたのは、機甲部隊が「泥将軍」の妨害をあまり受けずに機動でき、補給線を確保できたからだという指摘もあります。
2023年11月現在、ロシア・ウクライナ戦争の焦点は南部です。ウクライナ軍の反攻を迎撃するロシア軍は、「泥将軍の支援」を期待したいところでしょうが、気温は高かったうえに南部の降水量は少なく、地下水位が下がって平年より乾燥しています。ウクライナ農業省は、農作物の収穫量への影響を懸念していますが、ウクライナ軍にとって「泥将軍」の影響が少ないことは有利に働きそうです。
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1941年11月に撮影された、泥沼にスタックしたドイツ軍車両(Bundesarchiv、Bild 146-1981-149-34A / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE via Wikimedia Commons)。
それでもアメリカ陸軍のマーク・ミリー大将は、イギリスのBBCに対し「泥将軍が元気を取り戻すまでにはおそらく30日から45日程度しか期間がない」と語っており、ウクライナ軍には西側からのタイムリーな支援が必要なことを指摘しています。
しかしアメリカ下院では11月2日、ハマス・イスラエル戦争の勃発により、イスラエルとウクライナへの支援予算を一度に配分するというバイデン大統領の要求は拒否されました。イスラエル支援法案だけが可決されるなど、大統領選挙も睨んでホワイトハウスおよび民主党と共和党は政争中です。気候変動や複雑な国際政治情勢が絡み合い、戦争は文字通り泥沼化していきます。