読書好きの一人として、とても大切な「面白本の水先案内人」を失ってしまった―。ポッカリと心に穴が空いたような喪失感に襲われた訃報だった。
エンタメ小説を紹介させたら日本一の書評家で「本の雑誌」の創刊者、前社長としても知られる北上次郎(本名・目黒考二)さんが1月19日、肺がんのため亡くなった。76歳だった。
本の雑誌をともに創刊した盟友の作家・椎名誠さん(78)もショックのあまりコメントを出せず。「本の雑誌」社側が椎名さんへの取材を控えるように呼びかけたほどの突然の訃報だった。
1976年創刊の同誌をこの30年間、毎月、発売日に購入。北上さんが見開き2ページで面白かった本を紹介する「新刊めったくたガイド」を、その月に手に取る本の指標としてきた私にとっても、頭をガーンと殴られたようなショックだった。
同時に記憶は、26年前の東京・新宿の居酒屋「池林房」の座敷でのワンシーンへとフラッシュバックしていた。
97年1月16日の夜、私は前年8月に出版されたデビュー作「不夜城」でいきなり直木賞にノミネートされた馳星周さん(57)や担当編集者とともに主催者側からの受賞連絡の電話を待っていた。
当時は映画担当だったため、原作に惚れ込んだ勢いのままに「不夜城、映画化」という制作ニュースを書いた。その縁で、出版元の角川書店(現KADOKAWA)の担当編集者に馳さんの「待ち会」(ノミネートされた作家が選考会後に受賞会見に出席するため、通常なら都内で出版各社の自身の担当編集者とともに電話連絡を待つ会)に招かれたのだった。
その場で初対面したのが、「本の雑誌」を率いる目黒孝二、競馬エッセイスト・藤代三郎、そして、文芸評論家・北上次郎の3つの筆名を使い分ける北上さんだった。
午後6時半頃から延々と「当選」連絡の電話を待ったが、「本人でなく、担当編集者宛に電話が来たら落選」の定説通り受賞はならず。会合は、いきなり残念会となった。
そんな中、北上さんが一流編集者ならではの気遣いを見せてくれた。
残念がる私を見て優しく微笑むと、「せっかく、取材に来てくれた報知の中村さんのために(翌日の紙面の)見出しを考えようよ」と提案。その場にいた約30人は、その場で翌日の報知紙面の「見出し検討会」に突入。結局、馳さんが落選直後に思わず漏らしたコメント「(本が)売れているからいいです」を、そのまま見出しとしていただいた私は、その場でワープロ(当時)を開き、記事を送信した。
四半世紀近く経った今も北上さんのメガネの奥の柔和な目を思い出すし、思いついたら、すかさず、その場で提案する編集者としての瞬発力と“面白がり精神”に多くのことを学んだことも確かだ。
そして、今月上旬、「本の雑誌」3月号が発売された。
盟友の死について沈黙を守ってきた椎名さんは連載「哀愁の町に何が降るというのだ」の最後に「目黒孝二が急逝した。具合が悪くなって入院し、医師に告げられたとおりほぼ1カ月の命だった」とつづると、北上さんとの最後の電話での会話を「『じゃあな』『じゃあな』気がつくとぼくはずいぶんたくさんの涙を流していた」と続けた。
「本の雑誌」社社長の浜本茂さんも編集後記で「肺がんと診断されたときはすでにステージ4で、病気がわかってからわずか一か月でなくなりました。あまりに突然のことで社員一同呆然とし、悲しみに暮れています」と急死だったことを明かした上で「本の雑誌は目黒さんの遺志を継ぎ、これからも本を愛する人が読んで愉しめる雑誌であり続けます」と決意表明した。
北上さんの「新刊めったくたガイド」も掲載されていないし、編集者たちの悲しみがどのページからも伝わってくるような最新号を手にして、私は自分の愛する、この雑誌の未来が心底、心配になった。
それは中心となる執筆者が次々と亡くなっているから―。20年1月13日には「坪内祐三の読書日記」を連載中だった文芸評論家・坪内祐三さんが高血圧性心疾患による急性循環不全で亡くなった。深夜に突然、意識を失っての61歳での急死だった。
昨年1月5日には日記「一私小説書きの日乗」を連載中だった芥川賞作家・西村賢太さんが乗車中のタクシー内で体調を崩し、病院に搬送されたが、すでに心肺停止の状態。54歳という若さで亡くなった。
わずか3年の間に日記を連載していたスター執筆者2人に続いて、生みの親であり、永遠のエースライターだった北上さんも失った「本の雑誌」。
活字離れの中、08年には深刻な経営難に陥り、廃刊のピンチもあった。だが、日本全国の本好きに支えられ、創刊40周年を迎えた15年には「日本の出版文化における独自の存在感」が評価され、第63回菊池寛賞にも輝いた。
そんな本好きの琴線に触れる雑誌作りを続けている同誌の逆境に今は言葉が見つからない。それでも「本の雑誌」が立て続けのショックを乗り越えてくれることだけを祈っている。同誌に面白本を教えてもらい続けてきた一人の本好きには、ただ、それしかできない。(記者コラム・中村 健吾)