公称会員数(信者)827万人の巨大宗教組織、創価学会の名誉会長であり、公明党の創設者でもある池田大作氏が亡くなった。創価学会の発表によれば、東京都新宿区の自宅で11月15日夜半、老衰のため95年の生涯を閉じたという。岸田文雄首相は哀悼の意を表し、国内外のメディアはこぞってカリスマ死去の影響を伝える記事を報道しているが、池田氏が率いた巨大組織を支える幹部や一般会員たちは、トップの死をどうとらえているのか。後継者問題や組織運営、政権への影響などについて、複数の会員たちが集英社オンラインの取材に応じた。
1960年、32歳で創価学会3代会長に就任し、3年後の63年に公明党を結成、日蓮の立正安国論を引用した結党宣言を行った。75年に発足したSGI(創価学会インターナショナル)会長に就任、79年に創価学会名誉会長になり、国内外で要人と交友を結んだが、公の場で確認されたのは2010年5月13日の本部幹部会が最後。以降は創価学会内の公式行事にも一切姿を現さず、重病説や死亡説などが囁かれてきただけに、部外者からは一層神秘的な存在に映ってきた。しかし、長年、信濃町の本部を出入りし組織を支えてきた50代の男性会員は、刑事ドラマを引き合いにその実像と影響をこう表現した。「池田先生が亡くなって、中長期的にかなりの影響が出るだろうと報道されていますが、私はそうは思っていません。おそらくですが、日本に700万世帯くらいいる学会員の9割9分の人が、そんな風には誰も感じてないと思います。なんて言えばいいのかな……。警察関係者が刑事ドラマを見るような感覚で学会員は報道を見ている。警視総監とか警察庁長官の座を巡ってあんなドラマみたいなドロドロした権力闘争があると思いますか? そんなことはあり得ないと思いますね」
2008年に撮影された池田大作氏(撮影/共同通信社)
池田氏のカリスマ性にも、この幹部は疑問を投げかける。「カリスマ性うんぬんのとらえ方も、世代によって違うと思うんですよ。創価学会は今年で創立93年で、池田先生が会長になられて60年以上になりますから、この半世紀を池田先生と一緒に歩んでこられた同年代の方々は、カリスマとして仰ぎ見ていると思いますが、50代の私などは、生まれたときから家が創価学会だったので、私たち世代からするとカリスマというのは当たらない気がします」
カリスマでないなら、いったいどんな存在なのか?「現代における法華経の解釈、日蓮の言葉を実生活や自分たちの人生に置き換えて指導してくれる人が池田先生なんです。だからカリスマというよりは、信仰の指導者であり師匠ですね。柔道でも書道でも師匠がいるように、池田先生は“人生や信仰における師匠”という側面の印象が、われわれ世代には強いんです。だから、池田先生が右向けって言ったから絶対に右を向かないと会にいれないとか、池田先生が大学行って勉強しなさいと言ったからみんなが必ず大学に行くわけじゃありません」別の40代の一般男性会員も「カリスマ」についてこう語った。「こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、カリスマという表現をする人の感性が古臭いというか。だいぶ昔から創価学会のことを論じて金をもらっている人たちなんじゃないかと、ほとんどの学会員はそう感じていると思いますよ。だから、池田先生が亡くなって創価学会が空中分解するだろうと思っている学会員も皆無だと思います」「カリスマ」ではないとしても、最高指導者の後継者問題は浮上していないのだろうか。男性が続ける。「もともと池田先生はもう10年以上、表には出られていません。それまでの何十年の間にご指導とかいろいろな物を残されてきて、実際に『これからはみんなでいろんなことを決めていきなさい』とおっしゃって表に出られなくなりました。池田先生も人間ですから生物学的にはいつかは必ずお亡くなりになるときが来る。なのでこの十数年はそのための準備期間として会を運営してきた。池田先生が箸の上げ下ろしまで口を出すようなことはありません。世界192カ国にある巨大な宗教団体なんで」
1962年に撮影された30代の頃の池田大作氏(撮影/共同通信社)
「後継者」に関する重要なポイントは、創価学会の信仰上の指導者が、教義上は3代会長の池田氏までというところにある。実際に創価学会は2002年に会則を変更し、初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作の「三代会長」までを永遠の指導者と定めており、第6代の原田稔・現会長は「師匠」に当たらないようだ。前述の幹部もこう証言する。「原田会長も会を運営している中心者で、会社でいえば社長ですが、4代以降はあくまで会を運営する中心者でしかないので、後継者がどうとかいう感覚がないはずですよ。でも、そんなに後継者争いって気になりますか? 池田先生が表舞台から見えなくなってもすごい影響力を持ち続けているとお考えの方も多いのでしょうけど、学会の中にもいろんな人たちがいます。それこそ日本国民の10人に1人が創価学会員だったりしますが、信仰の理解度にも差があります。一生懸命、教義を学んで、会の方針に呼吸を合わせてやっている人もいれば、池田先生の指導は読むけど会合には出てこないという人もいます。日蓮の勉強はするけど選挙活動はしないとか、自分は拝んでるけど学会の活動は行きたくないとか、学会には入りたくないけど池田先生の書物は読むという人もいますよね。繰り返しますが、ただ単に『カリスマ』という表現をされる方は、昔の創価学会を語っている人という印象がします」
池田氏が亡くなったことで、今後、創価学会が大きく形を変えるということは考えられないのだろうか。「考えられないというか、そうなってしまわないようにこの十数年そういう準備をしてきたわけです。池田先生もそれを望まれていたわけです。さまざまな関係の機関がそれぞれ準備をしてきていますし、だから何か大きく変わるなんてことがあったとすれば池田先生のご意思に反するとみんな思っているでしょう」
創価学会本部がある信濃町駅周辺
となると、ポスト池田大作は不在と考えてよいのか。「そもそもそういう人を作らないんですよ。元来教祖主義じゃないというか、我々はあくまで日蓮の信仰をしているのであって。その時の会長が時代に合わせて学会を変えてしまったり、その人の感情や性格や能力で形が変わるというのはあってはならないことなので」宗教指導者は「三代」まで、名誉会長も池田氏で「打ち止め」のようだ。では、後継者問題も存在しないという“非カリスマ”の個人資産、血縁者たちには何が受け継がれるのか。部外者には気になる下世話な問題も含め、後編でさらに聞いてみた。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班