どの業界でも多方面の仕事ができる人材が求められる時代ですが、戦闘機では約80年前に、様々な仕事を望まれた機体がありました。P-47「サンダーボルト」です。
ビズネスの分野では「ジェネラリスト」、プロスポーツの世界だと複数ポジションをこなせる「マルチプレイヤー」と、“なんでも出来る”人を求めがちな昨今ですが、兵器でもそれは同じです。現在のジェット戦闘機は空戦、地上攻撃、偵察など幅広い任務に対応する「マルチロール機」が主流となっています。
元祖「万能タイプ」 マルチな性能で一世を風靡した戦闘機「サン…の画像はこちら >>P-47「サンダーボルト」(画像:アメリカ空軍)。
そうした「マルチ」な機体ですが、実はまだプロペラ機時代である約80年前の第二次世界大戦に登場し始めました。その中でも有名なのが、アメリカで開発されたP-47「サンダーボルト」戦闘機です。
同機は、プラット・アンド・ホイットニー製の「R-2800」というエンジンを搭載していました。通称を「ダブルワスプ」と呼ぶこのエンジンは、大気密度の低下による出力低下を補う「スーパーチャージャー」が搭載された、2000馬力を超える星型18気筒エンジンという、当時の戦闘機に搭載するには過剰かと思われるほど出力のエンジンでした。
また、12.7mm機関銃を8挺も備えており、日独の戦闘機や双発爆撃機には十分な火力でした。1943年4月に欧州方面で配備が開始され、8月には早くも、ドイツ本土を爆撃するB-17の護衛につきます。それまで、B-17をドイツ本土まで完全に護衛できる単発の戦闘機はなかったため、その力を大いに発揮し、数々のエースパイロットが同機から誕生することになります。同様に、太平洋戦線へも8月から戦闘機として投入されました。
しかし、ただ戦闘機として制空任務に就かせているだけでは、せっかくの有り余るエンジン出力がもったいないと、翼にハードポイント取り付けて爆弾やロケット弾を吊り下げようと考えも生まれます。
1944年から投入され始めたP-47Nは、エンジン出力がなんと2800馬力まで向上。航続距離も長いため、欧州の幅広い範囲をイギリスの基地から飛び立ち攻撃することが可能になりました。そしてペイロード(積載量)は近距離ならば当時の日本軍の双発爆撃機並みの1.3t。搭載できる兵装は1000、500、250、100ポンドの各種爆弾やロケット弾と幅広いものでした。
そもそも搭載されている12.7mm機関銃でも戦車のエンジンを狙えば故障させることが可能だったところ、さらに火力の高い爆弾やロケット弾が追加されたことで、1944年6月のノルマンディー上陸作戦以後は近接航空支援任務の需要が増大し、ドイツ軍から「ヤーボ」として恐れられるようになります。ヤーボとはヤークトボマーの略で、攻撃機の能力を備えた戦闘機のことを指します。
さらにソ連軍でも同機は運用されましたが、ソ連にはすでに対地攻撃用としてIl-2「シュトルモヴィク」があり、攻撃機としては魅力的に映らなかったのでしょう。そのため、航続距離が長いことが注目され、主に海軍向けに偵察機として運用されることになりました。
Large 231117 sanbo 02
12.7mm機関銃の横から見たP-47「サンダーボルト」(画像:アメリカ空軍)。
そして同機の最大の強みは、とにかく頑丈であるという点でした。防弾装備がちゃんとしていたことから、対空砲火に多少被弾する程度なら、コックピットに直撃でもしない限り問題なく飛べたといわれています。さらに、エンジン自体も頑丈で、シリンダーがひとつふたつ欠けても短時間ならガラガラ回り続けました。
戦闘機としての能力では、アメリカ軍のなかでは大戦中最高傑作といわれるP-51「マスタング」には及ばなかったものの、その容量の大きさや頑丈さから様々な任務に駆り出されました。それら全てを完璧にこなした同機はまさに、マルチロール機の先駆けといえるでしょう。なお、大戦終結後もフランス軍が、第一次インドシナ戦争やアルジェリア戦争に使用しており、一部の国では1960年代まで使われました。
※一部修正しました(11月27日17時40分)。