漫画家・清野とおるさん、ネタの宝庫!?赤羽大好き!!「めちゃくちゃ住みたいからこそスペアタウンが必要」

漫画「東京都北区赤羽」などで知られる漫画家の清野とおるさん(43)が「スペアタウン~つくろう自分だけの予備の街~」(集英社、1320円)で、自分が住んでいる街(ホームタウン)に住めなくなった時に備えて予備の街(スペアタウン)を探す様子を描いた。東京・北区赤羽に在住で、スペアタウンを探す時は赤羽らしさを大事にしたそうで「今も赤羽に住み続けたい。住みたいからこそスペアタウンが必要なんです」と話した。(太田 和樹)
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JR赤羽駅の北改札口を出て、東口に抜けて少し歩けば、ビルの屋上に見える自由の女神。もとはサウナの宣伝のためのレプリカだが、清野さんにとって、赤羽のシンボルともいえる存在だ。
「数年前までは駅を出ればすぐに見えたんですけどね。建物が建ってしまって、ちょっと隠れてしまったんです。(1000円でべろべろに酔えるせんべろの飲み屋街として知られる)一番街とかOK横丁も数年後には再開発されるっていう話が耳に入ってくるたび、『あと何年赤羽にいられるんだろう』って漠然とした不安がある」と漏らす。
長い間、赤羽で暮らしてきたからこその心配もある。
「僕が赤羽で付き合ってきた飲み屋の人とか飲み仲間のほとんどが高齢者。毎年のように訃報(ふほう)が届いて、あの店のマスターが死んじゃったとか、あの店の常連が死んじゃったとか。それも寂しいんですよね」
今作はある日、天災や大事件などが発生し、ホームタウンに住めなくなった時に備え、スペアタウンを探すことを決意し、新たな街を開拓していく街もの漫画。第1巻では東京・多摩市の多摩センターや同・大田区蒲田、愛知・豊橋市など、5つの街を歩いた。
「この間もひょんなご縁で豊橋に行ったんですけど、豊橋駅前の潰れたパチンコ屋の上にロケットのオブジェがあったんです。それを見た時に、赤羽の自由の女神と同じノリじゃん、みたいな。駅前でぶつぶつ言っているおばちゃんがいて、あれ、この人赤羽の漫画でも描かせてもらったおばさんそっくり、みたいな共通点を見いだした時は特別うれしい」
スペアタウンを探す時は相性、そして「赤羽らしさ」を大事にしている。
「うまく言葉にはできないけど、蒲田とかは何度行っても(僕と)相性が合うなって思う。理由はなくても『なんかこの街、居心地いいな』とか『なんかそわそわして落ち着かない』とかが、僕の中にある。感覚的な何かを重視しています」
板橋区出身の清野さんにとって、赤羽は昔からなじみのある街だった。「家族と出かける時も赤羽駅を使っていましたし、中学になってもチャリンコに乗って赤羽に遊びに行ったり、高校を選ぶ基準も『赤羽にあるか』でした」
高校生の時に漫画を描き始めたが、漫画家として生活していくには一筋縄ではいかなかった。「一作掲載されるまでが大変だったし、連載をとれても打ち切りになったり、大変だった。当時はネットもないので、自分の描いた作品を発表するためには、目の前の編集者および上層部全員をクリアしないといけなかった。ようやく掲載されても人気がなければ容赦なく、さようなら。メンタルにもきますよね」
度重なる打ち切りも経験したが、2003年に赤羽に引っ越してからは運に恵まれた。赤羽を題材にした街もの漫画「東京都北区赤羽」を描き始めると、俳優の山田孝之が主演を務めテレビ東京系でドラマ化されるなど、漫画家として軌道に乗り始めた。
「街に出れば魔物がいっぱい、ネタの宝庫。あの時代は僕から飛び込まなくとも向こうからひょいひょい飛び込んできて…。当時の赤羽は本当に楽しかった。毎日祭り状態で、街に出れば腹を抱えて笑わせてくれるような人ばかりでした。赤羽に引っ越していなかったら確実に漫画家はやめていただろうし、どの作品を描くにしても、ベースにあるのは赤羽です」
ずっと赤羽に住み続けたいという思いは強い。
「それは100%です。だから住めなくなった時が怖いので、予備の街を探しておこうと。今、赤羽に住みたい気持ちが50%くらいだったら、ここまで必死に探していないと思う。めちゃくちゃ住みたいからこそスペアタウンが必要」と熱く語る。
「死んだ後はどうでもいいけど、できれば赤羽の見晴らしのいい所に小さい墓でも建ててもらえたらうれしいかな」と、赤羽に骨をうずめることを望む清野さん。ただ、スペアタウンに引っ越す可能性はゼロではない。
「自由の女神は多分あと数年で取り壊されると思うんです。もし、うちの母親が亡くなって、自由の女神が取り壊されたら、スペアタウンに引っ越すかもしれないですね」
◆清野 とおる(せいの・とおる)1980年3月24日、東京・板橋区生まれ。43歳。2019年にタレントの壇蜜と結婚。主な作品に「東京都北区赤羽」「その『おこだわり』、俺にもくれよ!」「ゴハンスキー」「東京怪奇酒」など。