警視庁が2006年に「自殺」と処理した安田種雄さん(享年28歳)の不審死の真相が、二転三転の末、解明に向けて大きく動き出した。事件当時の種雄さんの妻X子さんの再婚相手である木原誠二衆院議員(53)は、2018年に始まった再捜査が1年足らずで頓挫したことへの関与が疑われて官房副長官辞任に追い込まれた。また、今年7月に改めて「事件性は認められない」と明言した警察庁長官は、再捜査のキーマンだった元刑事に「事件性ありと断言する」とダメ出しされて信用を落とした。そして、“事件”から17年を経て遺族が提出した告訴状を警視庁が受理し、みたび捜査が始まり、一連の経緯を被害者の姉が集英社オンラインに詳細に証言した。真相解明を求める遺族の叫びが、国家の威信を根こそぎひっくり返そうとしている。
安田種雄さんは2006年4月10日未明、東京都文京区の自宅居間で首をナイフでひと突きにされた状態で見つかった。享年28歳。2001年に結婚したモデル仲間のX子さんとの間に一男一女をもうけていた。種雄さんの死因は失血死だったが、体内から致死量の覚醒剤が検出されたことから、警視庁は覚醒剤の乱用による精神錯乱で自殺と断定。しかし12年後の2018年4月、ナイフへの血の付き方に不審点があるなどとして警視庁捜査一課は「コールドケース(未解決事件)」と判断、佐藤誠警部補(当時)が重要参考人である木原議員の妻・X子さんの取り調べにあたるなど再捜査に着手した。しかし、「国会が始まると木原氏が子供の面倒を見られない」などの理由でX子さんへの聴取が10月下旬の臨時国会の開始直前にいったん打ち切られ、12月に閉会されてからも再開されることはなかった。
木原誠二衆院議員(共同通信社)
岸田文雄首相の最側近として権勢を振るっていた木原氏がこの“再捜査潰し”に暗躍していたと週刊文春が今年に入って次々と報道。これを受けた露木康浩警察庁長官が同7月13日に「法と証拠に基づき適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と言及した。このとき、警視庁を退職していた佐藤元警部補は同28日、文藝春秋社で行われた記者会見で「断言しますけど、事件性はありですからね」と明言した。これらの経緯については♯1と♯2に詳しい。種雄さんの父や姉は今年10月に改めて警視庁大塚署に被疑者不詳の殺人事件として告訴状を提出、同25日に受理された。そして11月16日、関係者への聞き取りが始まったという。これらについて、種雄さんの長姉が語る。「告訴状は10月18日に父と妹(種雄さんの次姉)が提出し、25日に正式受理の連絡をいただきました。再捜査のための聞き取りということならうれしいのですが、これまで何度も窓口担当の刑事さんに今後の流れや見込みについて質問しても、『私は取り次ぎなのでわかりません』としか答えてくれないんです。今度こそ、捜査を尽くして犯人を捕まえてほしいと思っているのですが」
取材に応じる種雄さんの長姉
過去2回の捜査が不完全燃焼に終わり、三度目の正直に賭ける想いが否が応にも伝わってくる。「前回の捜査が中途半端にうやむやに終わって、長官は『事件性はない』と明言されました。でも、私は警察署に何度か説明を聞きに行って、担当者の方に『送致をなぜしなかったんですか』と質問をしたんです。『捜査は全部尽くしました』とおっしゃるからそう質問したのに、返ってきた答えは『なんででしょうね』でした。理由は教えてくれませんでしたが、その方は『事件というのは、(検察に)送致をして初めてそこで終了になるので、厳密にはこの事件は終わっていません』とも言われました。なので、そういう状態に放置せず、本当にきっちりと捜査をして結果を出し、送致してほしいと思います」
種雄さんの死については、ナイフの置き場所や血痕の付着個所などに不審点があり、そもそも自殺する理由がないと、家族は確信していたという。「家族だからわかるんですけど、自殺なんてするような子じゃないんですよ。たしかに夫婦仲が悪かったこともありますし、それに伴って、相手(X子さん)方の父親なり、兄なり、家族との仲もこじれたというか…。こじれたきっかけはわからないんですけれども、こじれている様子は見ていたので。そういう中で、やっぱり『自殺じゃない』という思いはありました。もちろん犯人が誰かはわかりませんけれども、“事件”という見方のほうが納得するというか。『自殺』には、本当に違和感しかなかったですね」2006年の警視庁の判断について、家族は当初から違和感を抱き、捜査の見直しを必死に訴えた。当時の捜査員たちは、真相解明よりも早期に事件にフタをしようと動いているように感じ、やり取りを録音するなど模索を重ねた。音声データの一部は文春オンラインで公開されている。
大塚警察署(撮影/集英社オンライン)
「17年前なんで私もまだ若くて、知識も何もないですし、助けてくださる方もいなかったし、もう本当に、なんか夢中でというか。文春さんで、その当時の音声データが出たと思うんですけど、やっぱり警察の対応が異常というかおかしいなと思って、不信感があったからこそ録音したんです。もちろんそれまでに事件に遭ったこともないので、警察の対応は体験がないのでわからないんですけども、どう考えても『おかしいな』ということが続きました。被害者に対しての聞き取りではなくて、私たちを説得するような感じです。『もう自殺だから、息子さん』『わかってあげてください』とかね。私たちなりに不審点を突いても『なんか筋違いの話ですね』とか『それは間違いですね』というような対応の仕方でした」当時はまだ木原衆院議員と事件には何の関わりもなかったはずだ。「政治的圧力」と無縁なはずの不審死事案が、初動から迷走した原因は何だったのか。警視庁が早々に「自殺」と幕引きを図った理由を、遺族はどう感じていたのだろう。「事件当時から警察関係者のある人物の存在が一番引っ掛かっていました」改めて、当時警視庁が“黙殺”した現場の状況や経緯がどういったものだったのか、振り返ってもらった。第一発見者は種雄さんの父だ。
会見で涙した種雄さんの父(撮影/集英社オンライン)
「当時は私の子どもはまだ乳児で、しかも体調が悪くて、夜中というか明け方だったんですけど、子どもを抱っこして、ベッドで起きてたんですね。そうしたら電話が鳴って、妹からだったんですけど、理由も言わずに慌てた様子で『車を出せるか?』って聞かれたんです。とにかく『異常事態だな』と感じとって、子供と主人を連れて現場に向かいました。細かなことは覚えてないんですけど、現場についてから結構な時間、車の中で待たされて、その間に父が警察と何かやり取りをしていて、弟が運び出されてきた記憶があります」
そして、弟の死を伝えられた。緊迫した現場の雰囲気から「ウソではない」とわかっても、3歳年長の長姉にはにわかに受け入れ難いことだった。「弟は末っ子なので、神経質で小心者な私とは性格が真逆で、ハチャメチャというか度胸があって。ある意味、羨ましいというか眩しいというか。問題児でもあるんだけど、人情があってすごい頼りになるというか。3人きょうだいで、真ん中の妹は私とも弟とも気が合ったんだけど、私と弟は性格は真逆なので、ぶつかることも多くて。ただ、小さいころにそうやってよくけんかとかしても、成長してお互い家庭を持って、私にも弟にも子どもが生まれたので、これからはお互い協力しながら、いろいろあっておもしろいだろうなって思ってたんですよ。そんな矢先に、いなくなっちゃった」
安田種雄さん(遺族提供)
最後に会ったのは亡くなる1週間ほど前のことだった。種雄さんは今まで見たこともないほど、疲労困憊した様子だったという。「最後に会ったときは、もうあんまりご飯も食べてなくて、なんかボロボロになってて。私が実家にいたときに帰ってきて、玄関になだれ込むように倒れ込んで。『何か食べる?』『出前でも取ろうか?』って聞いたら『いや、いいよ』って。弟はそのままちょっと休んで、出ていったと思います。それが最後なので、すごい悔やまれるっていうか。ご飯出してあげればよかったなって」当時X子さんは子どもを連れて種雄さんの元を離れ、違う男性と暮らしていたらしい。種雄さんが倒れ込むほど疲れ切っていたのは、そのトラブルに起因していた。「弟はとにかく『お金がない』と言っていて、X子に対してお金を工面するのが大変そうでした。自分の身の回りのものを売ったりして、お金を作ってましたね。当時は私も出産して半年ほどで、自分の生活でめいっぱいで、ちゃんと聞けていなかったところはありましたけど、弟が大変な状況にはあるんだろうなとは感じていました」それからほどなく、種雄さんは帰らぬ人となった。X子さんは葬儀にも顔を見せず、遺骨の引き取りも拒否したという。(後編に続く)取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班