〈長野立てこもり事件から7ヶ月〉「私には息子を撃つことがどうしてもできなかった」“ぼっち男”と人質になった母の今…加害者の親族、知人は「政憲のしたことを考えれば極刑でしょう」

地方の有力者の長男として生まれ、両親に溺愛されて何不自由なく育ったはずの青年は、ためらいなく4人を惨殺する無慈悲な殺人鬼になった。長野県中野市で今年5月、散歩中の女性2人が狩猟用ナイフで刺殺され、さらにパトカーで駆けつけた警官2人が猟銃で撃たれて殉職した事件の爪痕は、いまだ生々しい。現職の市議会議長(事件後に市議を辞職)を父に、果樹園やジェラート店を営むやり手経営者を母に持つ、気難しいボンボン息子が起こした深みも背景もない凶悪なだけの事件が、今も地域をじわじわと苦しめている。
4人を殺害後、自宅に12時間籠城し、その後、身柄を拘束された青木政憲容疑者(32)は8月から約3カ月間にわたって鑑定留置された。そして長野地検は11月16日、責任能力があるとして4人に対する殺人罪などで起訴した。起訴状などによると青木被告は5月25日夕方、自宅前の路上を散歩中だった近くに住む村上幸枝さん(当時66歳)と竹内靖子さん(同70歳)の2人を刃物で殺害。さらに通報で駆けつけた長野県警中野署地域課の池内卓夫警部(同61歳)と玉井良樹警視(同46歳)=ともに2階級特進=の2人をパトカーの内外で銃や刃物を使って殺害したとされる。使用したのは「スラッグ弾」と呼ばれる殺傷能力の高い銃弾で、刃物も「ボウイナイフ」と呼ばれる大型の狩猟用だった。県警の調べに、女性2人については直接の面識はないとしながら、ふだんから孤独感を募らせていたところ事件当日に「『(ひとり)ぼっち』と言われたように聞こえ、恨みを爆発させた」と動機を供述していた。
青木政憲被告(知人提供)
女性2人の遺族は、事件後半年を契機に弁護士を通じて以下のコメント(一部を抜粋)を出した。〈11月25日で事件から半年が経ちます。時間だけが無情に過ぎていく一方で、私たちの気持ちは一歩も前に進むことはなく、会いたくて、会いたくて、涙が溢れ止まらなくなることがあります。できることなら、事件前の平穏だったあの頃に戻りたい。せめて一度でもいいから会いたい。でも、もうそれも叶いません。私たち遺族の心の傷は癒えるどころか、大切な家族の命を奪った被告人への怒りや憎しみは増すばかりです。どんな言い訳を並べようと、絶対に許すことはできません〉 (村上幸枝さんの遺族)〈朝起きれば朝食が用意されており一緒に食べ、畑に一緒に行って作物を作ったりしていました。何げない日々でしたがこのような形で妻・母を失い何げない日々がとても幸せだったと思います〉(竹内靖子さんの遺族)
立てこもりは12時間続き、街はパニックに陥った(撮影/集英社オンライン)
遺族が哀しみのコメントを出してから1カ月が経つが、凄惨な事件現場の「青木家」の周囲には、いまなお規制線が張られていた。田園地帯にポツンと建っている家はまったく人の気配がしないが、荒れ放題というわけではなく誰かが手入れを行っているようだ。近くに住む女性は困惑を隠せない。「事件後、政憲くんのご両親はどこか別のところで生活しているみたいです。たまに自宅に帰ってきて草刈りをしたり、家から荷物を運び出しているようですが、どこで何をやっているのかは知りません。ジェラート屋の方は店名も変わり、噂ではオーナーも変わったと聞いています。ご両親が2人で自宅に帰ってきたところを見かけたことはありますが、こちらから声をかけていいものかもわからず、挨拶はできませんでした」
現在の青木家には今も規制線が…(撮影/集英社オンライン)
青木被告の母親の親族も、痛々しい様子だった。「事件の後は誰とも連絡はとってないんだ。10年以上前に政憲のおばあちゃんが亡くなったとき、葬儀で会ったのが最後でずっと話もしてなかった。だから、何があったのかなんてまったくわからない。政憲のことは報道で鑑定留置も終わったって見た。もう諦めてるんだよ。4人も…、あれだけの事件を起こしたんだ。もう諦めている…」青木家の古くからの知人にとっても、事件は青天の霹靂だった。「政憲が事件を起こしてから本当に世界は180度変わってしまったと思っています。私は昔から政憲もその両親も知っています。もちろん一番つらいのは遺族の方たちですし、一番に大切にしないといけません。しかし政憲のしたことは被害者やその遺族だけでなく、加害者の親族も苦しめています。母親は事件のあった夕方の時間帯になるとフラッシュバックのようなことが起こり、いまだに眠れぬ夜を過ごしています。通院を続けていて、精神的にも追い込まれています」
鑑定留置を終え、警察署にはいる青木被告(写真/共同通信社)
青木被告は自宅で籠城していたとき、自殺するために母親を利用しようとしたという。「政憲がうつぶせになって、『ここを撃てばいい。ここを撃てば必ず死ねる』と母親を促したそうです。でも『私には撃つことがどうしてもできなかった』と母親は言っていました。母親が息子を撃つなんて……、そんなことできるはずないですよね。事件を起こすまで、母親は政憲が特別な孤独感を募らせていることにまでは気づいてなかったように思います。ふだん対人関係がうまくいかない政憲を心配はしていましたが、それは親なら誰もが心配することで、まさかあんなことをするなんて夢にも思っていなかったはずです」
知人から見た青木被告は、両親の操り人形というわけではなかったという。「政憲は母親の経営するジェラート屋も手伝っていて、とても研究熱心に働いていました。寡黙でしたが、私にとってはいい子でした。母親は『政憲が抱えていたものになぜ気づけなかったのか』と自分をずっと責めていて、自分の親族たちにも迷惑がかかることを恐れて、どこで生活しているのか居場所も告げていません。事件後、私が最後に見たときも驚くほどせてしまって、今にも死んでしまうのではないかと心配になるほどでした。両親ともに今は働いたり、ジェラート屋などはやっていないと思います。政憲のお父さんも事件後、市議を辞めましたが、それは妻を1人にしておけないという理由もあったと思います。政憲の家が裕福だ、名士だと好き勝手報じられていますが、私が知る限りはジェラート屋も借金がまだあったし、お金持ちではありませんよ」
中学時代の青木被告(同級生提供)
両親も親族も知人も、4人の命を瞬時に奪うほどの「動機」が思い当たらないのだという。知人が続ける。「当人しかわからないと思いますよ。でも政憲は弁護人にすら自分のことを話さず、弁護人も困っていると聞いています。弁護士が今の政憲の唯一の味方なのに。自暴自棄になっているのか、いったい何を考えているのか……。何があってあんな大きな事件を起こしてしまったのかは本人にしかわからないわけですから。政憲のしたことを考えれば……極刑……でしょうね。政憲の両親は月命日に遺族の方のもとに謝罪に行き、手紙を渡そうとしているそうですが受けて入れてもらってないと聞いています。遺族の方々の気持ちを考えればそれは当然のことだと思います。これは事件が起きてから初めて実感したことですが、本当に全員が苦しむ。被害者遺族の方々をはじめ、加害者家族も……」幼いころから成績優秀で、野球などの部活動にも打ち込み、高校も地域で1番の名門校に進んだものの、大学進学後に人間関係でつまずき中退、帰郷後は農業に活路を見出していた青年。挫折というほどの挫折も経験していないように見える青木被告の半生に、いったいどんな闇があったのか。それが法廷でつぶさに明らかにされない限り、犠牲者の魂は彷徨い続けることになる。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。メールアドレス:[email protected]@shuon_news