〈紅白歌手の出場秘話〉9分52秒の『トイレの神様』を「カットして」というNHKの依頼を拒否したら大御所歌手が激怒…それでも一歩も譲らなかった植村花菜の胸中

2010年、亡き祖母との思い出を歌った曲『トイレの神様』が大ヒットし、同年の「第61回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたシンガーソングライターの植村花菜さん。9分52秒という長尺の曲を紅白では7分50秒という縮小バージョンで披露したが、この舞台裏には植村さんの譲れない思いがあった。
音楽系の専門学校在学中に路上ライブで音楽活動を開始。1200組が出場した関西のストリートミュージシャン向けのコンテストでグランプリを受賞するなど、アマチュア時代から注目を集めていた植村さんは2005年、22歳でメジャーデビューを果たす。しかし、ヒット作に恵まれることなく月日だけが流れていた。「次のアルバムが売れなかったら契約切れ」そんな崖っぷちの状態でリリースされたのが、『トイレの神様』が収録されたミニアルバム『わたしのかけらたち』だった。「私的にはたとえ契約が切れても、バイトしながら歌を続けるつもりでした。でも、メジャー最後の1枚として、それまで作っていた夢や恋愛の歌ではなく、私にしか作れない歌を作ろうと考えました。複雑な家庭環境で育った私は祖母と暮らした日々に大きな影響を受けていたので、その経験を歌にしようと……」
植村花菜さん
祖母から聞いた「トイレをきれいにすると美人になれる」という言い伝えと、2006年に亡くなった祖母との思い出を織り交ぜて完成した楽曲にはこれまでにない手ごたえを感じた。しかし、9分52秒という長尺の曲に当初、レコード会社は難色を示した。「レコード会社の方の反応は、それまで私が作ったどの歌よりもよかったんですが、10分は長すぎるから削ってほしいと言われました。どこか削れるだろうかと検討してみたものの、祖母と12年間一緒に過ごした日々を10分にまとめている時点で、かなりいろんな思い出を削っていて、もうこれ以上は無理だと思ったんです。それで『検討しましたが、やはり難しいです』とお伝えすると、『これではプロモーションができません』と言われたので、『だったらプロモーションしなくて大丈夫です。きっとどこかに、この曲の長さの意味をわかってくれる人がいるから』と結局、短くしませんでした」その後、2010年1月に『トイレの神様』がFM局で流れると問い合わせが殺到し、“泣ける音楽”として大ブレイク。「自分にしか作れない歌を作ることの大事さを改めて感じた」と本人が振り返るとおり、同年11月に同曲がシングルカットされると、オリコンチャートで2週連続1位、第52回日本レコード大賞で優秀作品賞と作詩賞を受賞、さらに同年の紅白歌合戦出場も決定した。
「でも、やはりNHKさんから歌詞を削るなりして歌唱時間を縮めてほしいと言われたのですが、私はそこでも『この1年間、フルコーラスで歌わせてくださった他の番組に申し訳が立たないので、たとえ紅白であっても歌詞を削る必要があるのであれば、丁重にお断りさせてください』と事務所に言いました。11月に行われた紅白の会見で『カットできるところがひとつもない曲なので、紅白でも一言も切らずに歌わせていただきたいと思います』と言ったら、後日、ある大御所歌手さんから『誰の歌もカットするところはない』というご意見もあったと聞きました。おっしゃることはごもっともだと思います。でも、こればかりは紅白に出られないことになってもどうしても譲ることができなかったのです。結局、歌詞は削らずにイントロや間奏を縮めて、7分50秒にアレンジしました」注目を浴びてのステージということもあってか、2、3度行ったリハではいずれもギター演奏を失敗。「本番でもし失敗してしまったら……」、そんな雑念がよぎるなか、大晦日当日の朝もしっかりとトイレ掃除をして、NHKホールへと向かった。「リハではあんなに間違えたのに、本番でひとつも間違わなかったのは、おばあちゃんが見守っていてくれたからかな。本番では生の氷川きよしさんにご挨拶できたこと、一番好きな『虹色のバイヨン』を生で聴けたことは本当にうれしかったです。舞台裏で振り付けを真似してたのも今ではいい思い出です」
ニューヨークのセント・パトリック大聖堂で記念撮影
そんな植村は2016年から家族とともにニュークに移住し、今年11月に第二子を出産した。授乳に追われながらも、日々の幸せをかみしめているという。現在、音楽活動のほうは?「今年は妊娠中にも日本でいくつかライブをしたり、神戸新聞さんでもコラム連載が始まり、来年3月には産後初のツアーも予定していて、変わらず活動を続けています。『トイレの神様』以降は、等身大の自分の歌作りを心がけています。今後、子どもが大きくなるにつれ、私の見える景色もまた変わるでしょう。そんな目に映る世界の変化や内なる気持ちの動きに敏感になりながら、私は私の歌を作り、今後も歌い続けたいと思います」もちろん、ニューヨークに移っても、トイレをきれいにする習慣は変わっていない。取材・文/河合桃子集英社オンライン編集部ニュース班