ダム湖に沈んだふるさと 「徳山おどり」を今に伝える 村は守れなかったが踊りは受け継ぐ…2024年夏に”盆踊り”実施へ

岐阜県の山奥にある、日本最大の人造湖「徳山ダム」。この徳山ダムが、466戸の人々が暮らしていた「旧徳山村」を飲み込んだのは1987年のことでした。初めは水不足に備える「利水」を、そして水余りが指摘されると洪水を防ぐ「治水」を持ち出し、国は計画を推進。村民は岐阜県内5つの地域に集団移転し、村は湖の底に沈みました。その村に伝わっていた「徳山おどり」を今に伝える人がいます。受け継がれる踊りを取材しました。
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岐阜県揖斐川町上南方地区は、旧徳山村の村民が集団移転した地域の一つ。ここで暮らす小西順次郎さん(77歳)は、ダム湖に沈んだふるさとを今でも思う1人です。地元に伝わってきた盆踊り「徳山おどり」の音頭取りを担当していた“村一番のお祭り男”でした。
(旧徳山村村民 小西順次郎さん)「間違っても何でもいいねん。思いついた時にその歌を歌えば良かってん」
お盆に限らず運動会や忘年会でも、人が集まれば自然と「徳山おどり」が始まったといいます。小西さん自身、以前は土木業者として徳山ダムの建設に関わり、村が沈むのを見届けました。
(旧徳山村村民 小西順次郎さん)「ふるさとがなくなるのは嫌やったけど、1人や2人が反対したところであかんかったやろ?(徳山ダム周辺の)そこら中の林道を作ったんやで。ダムの作る前の一番底のところを掘ったり、すごかったよ」
小西さんは、今も息づく村の心ともいえる「徳山おどり」だけは残したいと思い、保存会を結成し、事あるごとに踊る場を作ってきました。公園に櫓を組み、踊ってきましたが、高齢化で次第に踊る人は減っていき、いつしか櫓も建てられなくなりました。
(旧徳山村村民 小西順次郎さん)「バザーとかもやって、にぎわってたんやけど。だんだん子供会も婦人会も青年会もなくなって、(祭りを)やらないようになった。(祭りをやらなくなって)10年以上やな」
CBC
ところが、5年ほど前から突然、東京から「徳山おどり」を継承するために訪ねてくるようになった人がいました。鈴木雄平さんは、全国の盆踊りの愛好家で作る社会人サークルのメンバーです。ダムによって消えようとしている盆踊りがあるとネットで知り、その保存のため現地を訪れるようになりました。
(鈴木雄平さん)「ふるさとがなくなるっていうのは、街で育った人間にとってはピンとこないけど、想像するだけですごくつらいことで。徳山には酒と唄と踊りしかなかったって(徳山村の人に)言われる。人が集まる度に誰かが歌い出したり、踊り出したりして、(徳山おどりを)やっていた。ふるさとはなくなったけれども、徳山おどりという、みんなが集まった時に、歌って踊れるものがあることが、唯一残されたふるさとの“よすが”なのかなって感じた」
踊りを覚えている人から教わり、夜な夜な練習する鈴木さん。ついには「徳山踊り・東京支部」を作って、普及活動も行うようになったのです。
(旧徳山村村民 小西順次郎さん)「はじめに10人来たんや、徳山おどりを教えてくれって。じじいが来るのかと思ったら、若い衆ばっかりやろ?『嘘やろ?』って言ったら『本当です』って。ご飯食べながらパソコンで徳山おどりを見ていて、食いながら踊りを覚えてすごいよ。うれしいわ。その後も『じゅんじい、じゅんじい』って(岐阜に)来てくれるしな。ありがたいなぁ」
CBC
2023年10月、旧徳山村の人々が集まる“ふるさと会”がコロナ禍明けで4年ぶりに開かれました。鈴木さんたち東京支部も参加しました。再会した人々の間では話に花が咲き、いよいよ小西さんの音頭取りで、徳山おどりが始まりました。一方、踊る人の輪には加わらず、外から見守る旧村民の女性がいました。
(旧徳山村の女性の娘)「足も悪くなってつえになったんで。行かないって言っていたけど、連れてきました。もういいわ、踊れないからいいわって」
ところが…女性は周りの踊りを見ているうちにゆっくりと立ち上がりました。最初はおぼつかない足取りでしたが体が動き、スムーズに踊れるようになったのです。そして新しい年、2024年…「徳山おどり」の音頭取り、小西さんは、夏に揖斐川町の公園で、かつて旧徳山村で組んでいたような本格的な櫓を組んで、盆踊りをすることを計画しています。故郷の村はダムに沈みましたが、今も残る「心」は消えることなく引き継がれていきます。
CBCテレビ「チャント!」2023年11月28日放送より