「避難路を若い人に譲る高齢者夫婦」「JALへの文句は一切ない」516便に乗っていた東大生が語る乗客とクルーへの感謝「当事者じゃない方の声が大きい」「今後もJAL便に乗りたい」〈羽田JAL機衝突事故から1週間〉

1月2日午後18時前、新千歳空港から羽田空港に着陸した日本航空(JAL)516便が海上保安庁の航空機と衝突した事故から1週間が経った。海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち5人の死亡が確認されたが、JAL便の乗客、乗員を合わせた379人は軽傷者こそ出たものの全員無事脱出。集英社オンラインは、当日に同機に搭乗していた乗客の新証言を得た。
事故を受けて2日から閉鎖されていた羽田空港のC滑走路も、7日に516便の撤去作業が終了し、格納庫にて警視庁による検査作業が開始した。そして8日にはC滑走路の運用が再開。JALによれば516便が全損したことによる損害は約150億円に上る見込みだという。そんななかで、乗客379人は脱出したものの、貨物室に預けられていたペット2匹の救出は叶わなかったことで、タレントや女優などの著名人らによるペット論争にも発展した。1月4日、集英社オンラインのもとに「先日の516便に搭乗していました東京大学に通う吉沢明子(仮名)という者です(略)。私が見た乗客や乗務員の方々の素晴らしい姿をぜひとも知っていただきたいと思い連絡しました」といった内容のメールが届いた。すぐさま取材依頼をすると「今は札幌の実家に帰省している」と吉沢さん。2日に命の危機を感じるほどの恐怖を体験したにもかかわらず、帰省では再びJAL機を利用する予定だったが、欠航したため他社の飛行機を乗ったという。JAL機への不信感はないのかと問うと「もともと両親が好んでJALに乗っていたのと、今回の件で素晴らしい対応を身をもって知ったので今後も乗りたいと思います」(吉沢さん、以下同)
炎上する機体(乗客提供)
吉沢さんは年末年始を札幌の実家で過ごし、2日に都内の自宅に帰るためにJAL516便を利用した。JAL516便は15時50分発の予定だったが30分ほど遅延したという。「東京―札幌間はわりと遅れるイメージでしたので特に疑問は感じませんでした。普通席の前から51番目で右翼エンジンの少し後ろでした。着陸の瞬間にエンジンが火を吹いたように見え、機内が明るく照らされ驚きました。でもそのときはあれほどの大事になるとは思わなかったんです」だが、やや急停止するかのようにガガガガーっという振動と共に機体が停まると、事の重大さにじわじわと気づき始めたという。「『R3開けません!L3ダメです!』そんな添乗員の方の大きな声が聞こえ、閉じ込められてしまうのではないかと急に不安になり、子どもの悲痛な泣き声や『出して下さい!』といった叫び声も相まって精神が徐々に削られ、今にも皆の理性の糸が切れて、我先に外に出ようと暴走する人がでないか不安が強まりました」しだいに窓の外で燃える炎の熱さが感じられ、煙が充満する機内。命の危機を感じた。「恐怖で足がガクガクと震え、人生で初めて本気で『死ぬかもしれない』と思うと涙がこぼれました。でも隣に座っていた若い男性と女性が『大丈夫!』と声をかけてきて、手を握ってくれました。しかも男性はマスクをくださいました。周囲でも、落ち着くよう諭し励ます声も多く、こんな場面でも立派な方がたくさんいるのだと感動しました」
煙が充満した機内(乗客提供)
特に感動したのは、あの混乱の最中においても譲り合いの精神を持つ人々が多かったということだという。
「後方の席だったので、席を立って通路を走るまで5分以上かかったように思います。私たちの席の番になったとき、隣に座っていた若い男性が手を引いて列の前に入れてくださり、感謝でいっぱいです。他にも高齢のご夫婦が若い人たちに避難路を譲っていたのも印象的でした。避難口までの道のりは本当に長く感じましたが、乗務員の方が足元を照らし続けてくださり、冷静に指示を出している姿に励まされました。外に出た後も機体が燃え続けているにもかかわらずシューターの下に残り、手を貸してくださる方がいて本当にすごいと思いました。今回の事故を通して私は人の温かさや立派さというものを感じたのです」多くの搭乗者が機内に荷物を置いてきてしまった中で、吉沢さんはジャケットを着たまま搭乗しており、財布とスマホ、そして冬休みの宿題となる英語筆記の論文のテーマにした書籍(英語版の文庫)は持って脱出した。
東大生の吉沢さん(仮名)
「でも、冬休み中に論文を書き綴っていたパソコンと、ちまちま買い集めた高めのコスメが入ったバッグを足元に置いてきてしまいました。一瞬、パソコンだけでも持って出ようと思ったんですが、荷物を持たないように言われていたので断念しました」今回、話題になったペットについての論争についてもどう思うかを聞いた。「ペットは物ではもちろんないですが、人命が優先になってしまうのは仕方がないことだとは思います。今回のことですごく感じたのは当事者じゃない方の声が大きいな、ということです。機内を脱出後に乗ったシャトルバス内で猫を失ってしまった女性が近くにいらっしゃいましたが、静かに泣いてました。近くの親子に『大丈夫ですか』と聞かれても『私の猫、預けてたんです…』とポツリと言うだけで、JALへの文句は一切ありませんでした」SNSなどを中心に広がる批判コメントなどについてもこう持論を述べた。「私は無責任な発言はしたくないので基本的にSNSでは発信しません。世の中には自分よりも見識のある専門家や頭脳の優れた人はたくさんいるわけで、自分の浅はかな知識で発信するのは危ないと思っているからです」
炎上する機体(吉沢さん提供)
今回の事故で強く感じたことは「自分は特別でもなんでもない」ということだという。「これまでの人生においても、東大に入る時も浪人してるし特別だとか万能感なんかもありませんでしたが、そもそも自分がまさかこのような事故に見舞われるとは思ってなかった。それにもっと冷静な自分を保てると思ってました。でも、自分でも意外なほどに心は乱れ涙が溢れ足が震え、新たな自分を知った。また、譲り合う人たちの姿を見て自分の未熟さも知りました」機内で燃えてしまったパソコンの中の論文はどうなったのか。「論文提出期限は1月4日だったんですが、10日に延ばしていただきました。論文は英字で3000語書く必要があり、機内でも読み返しながら途中まで書いていたのですが、クラウド上に残ったデータは機内で書いた部分が消えていたんです。期限延期してもらえたので助かりました」JALからは事故翌日の3日に「1人につき見舞金10万円と預け荷物の弁済金10万円の計20万円を支払うほか、なくなった物も具体的に申告してもらい、額を算出する」と連絡があったという。吉沢さんは「まだ自分の学びたい学問は決まってないですけど、今回の経験も活かして人に役に立つ仕事に繋がるような、そんな学びをしていきたい」と毅然と前を向いていた。取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班