<南部さん本日通夜>「喪服厳禁!できるだけ派手な服装で参列ください」奇抜な服装、コスプレ、恐竜も弔問に乱入!50年来の友人・名物レポーターが“南部ちゃん”の奇人変人ぶりを偲ぶ「最後のLINEは“エスパー無くなったよ”でした」

脳卒中のため1月20日に死去した「電撃ネットワーク」リーダー、南部虎弾さん(享年72歳)の通夜が1月28 日夕方、都内の斎場で行われた。メンバーのギュウゾウさんやダンナ小柳さんなどをはじめ、ダイアモンド☆ユカイさんや田代まさしさんなど、南部さんと交友のあった著名人ら約300人が弔問した。
喪主は南部さんの妻の由紀さん。由紀さんは近親者や親しい人々に「喪服厳禁、出来るだけ派手な服装でご参列してください」とメッセージを添えていたという。報道陣が集まるなか、着物の布でつくられたジャケット姿のダイアモンド☆ユカイさんや、東国原英夫さん、なべやかんさん、田代まさしさん、鳥肌実さん、ユニフォーム姿のミドル清原さん、コスプレ姿のインフルエンサー、恐竜の着ぐるみに身をつつんだ弔問客なども現れ、斎場は笑顔でつつまれていた。テレビ東京の『TVチャンピオン』で名物レポーターを務めた、パントマイマーの中村ゆうじさん(67)はハッピ姿で29日に行われる告別式に参加する予定だという。中村さんは南部さんと50年来の友人で、南部さんが亡くなった後もすぐに杉並区内の遺体安置所にかけつけたという。集英社オンラインは23日に中村さんを取材、南部さんとの思い出話を聞いた。
記帳する弔問客
「南部ちゃんとは劇団付属養成所のテアトル・エコーからの付き合いです。最初に出会ったのはテアトルに入る前に、小沢昭一さんという俳優率いる劇団芸能座のオーディション会場でした。男性200名くらいいる中で、南部ちゃんがタイツを着て一心不乱に踊ったり、発声練習してるのを見て『すげ~人がいるな』と思ったのが最初です。その後、テアトル・エコーの試験会場で再会するんですが、筆記試験会場で南部ちゃんは僕の真横の席に座ってたんですね。なぜか懐からバナナを取り出して食べながら試験を受けていて“変な人だなぁ”って(笑)」その後、テアトル・エコー入所後も衝撃は続いた。
イベントにて南部さんと中村さん(中村さん提供)
「稽古中の南部ちゃんは、役に入りすぎちゃってケガするんじゃないのってくらい壁に体をぶつけてるんですよ。それとか、井の頭公園で一人稽古してるときに、遠くにいた南部ちゃんのほうがワーワー騒がしいから見てみると、殴り合いの喧嘩してるんですよ。止めようとしたら僕も相手に殴られたから殴り返して一緒に逃げたんです。それで“なんで喧嘩なんかしたの”って聞くと、南部ちゃんの役がヤクザだったんで『ヤクザになりきってた』って(笑)」とはいえ、南部さんは決してふざけているわけではなかったようで「役者になるんだという意気込みと入り込み方は半端じゃなかった」と中村さんはいう。
だがその一方で、かなり破天荒な一面もあった。「テアトル・エコーでは1年目が本科で2年目が専科に進むんですが、その本科の卒業公演が『フィガロの結婚』という劇で、僕がフィガロ、南部ちゃんがバジールっていう家来の役だったんですけど、王様に何かを献上するシーンで、南部ちゃんがアドリブでコンドームを渡しちゃったんですよ。『南部ちゃん、何してんの!』って後で聞いたら『王様を喜ばせるためなんだから、コンドームでいいんだよ』って。ものすごい解釈する人だなーって。それが理由かわからないけど、南部ちゃんは1年目でクビになっちゃったんですよね」
取材に応じる中村さん(撮影/集英社オンライン)
南部さんは劇団をクビにはなったものの、その後も中村さんとの付き合いは続いたという。「あるとき『芝居を観に行こう』って言うからついてったら、チケットがないって言うんですよ。『どうするの?』って言うと『楽屋におはようございまーすって言って、入ってけば大丈夫だ』って、堂々と入って席に座って、芝居観ながら『下手だな、こいつ!』って叫んだりして。一緒にいるこっちはたまったもんじゃないですよ。それとか、山手線に乗ってたら急に倒れたこともありました。みんな驚いて集まりますよね。僕はもう他人のふりして見過ごした後に『何してんのよ!』って聞くと『みんなのビックリした顔を見学させてもらってた』とか言うんだよ。本当に奇人変人でしたよ」いつも奇天烈でエネルギッシュな南部さんだったが、ダチョウ倶楽部“脱退”のときだけは落ち込んでいたという。「南部ちゃんはダチョウ倶楽部を脱退したんじゃなくて、ただ“クビ”になったんです(笑)。テアトル以降に渋谷道頓堀劇場っていうストリップ劇場で、肥後くんや寺門くんや竜ちゃんと出会ってダチョウ倶楽部を結成したものの、あるテレビの生放送で南部ちゃんだけが呼ばれなかったんです。偶然その番組を見た南部ちゃんが『なんで俺だけ呼ばれてないんだ?』と気づき、そのまま説明もなしに“強制的にクビ”になったと彼から聞きました。あのときばかりは『俺、この先どうしたらいいだろう…』って落ち込んでましたよ」
南部さんと中村さん(中村さん提供)
落ち込んでいた南部さんに、中村さんはこう声をかけた。「南部ちゃんは『ひとり荒法師みたいな芸風が合うんじゃないの?』と言いました。それに対して南部ちゃんがどう答えたかは忘れたけど、その2年ほど後に電撃ネットワークを結成したんです。最初はコントみたいなことをやってましたが、やがて体を張った芸風に変えたところ手ごたえを感じ、その方向性に定まっていったようです」
中村さんは一度、「電撃ネットワーク」の海外ネーム「TOKYO SHOCK BOYS」のライブをニューヨークでで見たことがあるという。「ロケでたまたまNYにいたときに『TOKYO SHOCK BOYS』のライブをやってるのを知り、チケット買って観にいったんですよ。いろんなネタをやってドッカンドッカンとバカウケしてるのを見て、大したもんだなーって思いました。その後、僕がニュージーランドの山奥の村にロケで行ったときに、そこの住人から“お前は『TOKYO SHOCK BOYS』を知ってるか?”と聞かれたときは、なんというかもう、感無量でしたね」
南部さんと中村さん(中村さん提供)
「南部ちゃんの思い出話は尽きない」と語る中村さんだったが、昨年、ふとしたときにこんな会話をしたという。「僕は発声練習がてら、毎朝、般若心経を唱えるんですよ。何の話の流れかは忘れたけど、南部ちゃんにそのことを言ったら『俺も唱えられるよ』って言うんです。50年付き合ってきて初めて聞きましたよ。そんな南部ちゃんとの最後のLINEのやり取りは『エスパー、無くなったよ』(原文ママ)というもの。南部ちゃんが送ってきて、一緒に彼の死を悼みました。それからすぐですからね、彼が亡くなったのは…遺体の安置所へ駆けつけたらいつものド派手な服を着た南部ちゃんが棺にはいっていて、苦しんだ様子もない、綺麗な死に顔でした」「今はただ、寂しい」と中村さん。「でも、いずれ向こうでまた会えるから」取材・文/河合桃子集英社オンライン編集部ニュース班