「“おぬし”に何がわかるんだ!」酔うと酒場で激昂…写真を撮られるのを極端に嫌っていた“自称・桐島聡”が15年前「結婚したい」と語っていた年下女性との恋

半世紀前、連続企業爆破事件を起こして世間を震撼させた「東アジア反日武装戦線」。メンバー9人のうち唯一、一度も捜査の網にかからなかった桐島聡容疑者(70)を名乗る男=1月29日に死亡=が通い詰めていた銭湯には、“自分”の手配写真が張ってあった。建設作業員“内田洋(ウチダヒロシ)”として長年、神奈川県藤沢市で暮らし、音楽と酒が好きでDJバーでも陽気な盛り上げ役だった元過激派(自称)は、銭湯でも好人物ぶりを発揮していた。
銭湯は自称「桐島聡」が住み込みで働いていた工務店から徒歩20分ほどで、5年ほど前までは毎日のように訪れていたという。銭湯の男性店主も、男を鮮明に記憶していた。「十数年前に私が店主を引き継いだころ、すでに常連のお客さんだったことは間違いないので、20年以上は通われていたと思います。ほぼ毎日のように午後3時から5時の間、遅くても午後6時までに来られていました。サウナは利用してなかったので、1時間前後で帰るという流れでしたね」
“ウチダヒロシ”が住んでいた寮
スウェットやジャージといった動きやすい服装に、タオルや石鹸を入れたリュックを背負っていた男は、ここでも“ウチダ”で通っていた。「ウチダさんはよく、入浴後に脱衣所でストレッチをしてました。準備体操みたいに膝とかふくらはぎを伸ばしたり、身体をひねるようなやつです。健康的な人でしたよ。番台にいる私とも軽く話すこともよくありました。『今日は暑いねー』なんて天気の話をすることもあれば、浴室で大声を出すようなマナーの悪いお客さんがいると『変な奴らがいたよー』なんて報告してくれることもありました。扇風機をつけるお客さんがいると、『体が冷えちゃうな』と愚痴をこぼしていたので、“寒がりなお客さん”という印象です」“ウチダ”はほかの常連たちとも会話を交わす、気さくなおじさんだったという。「私や常連さんたちと頻繁に話すくらいなんで、挙動不審だったり人目を忍ぶようなことはまったくなかったですね。ところが5年前くらいから、パッタリ顔も見せなくなって、どうしちゃったのかなとは思っていたんです。それで、久しぶりに顔を見たのが今回の報道だったんで、かなり衝撃を受けました。ほかの常連さんたちも『まさかあの人がね、びっくりだよね』と驚いてましたよ」銭湯には「桐島聡容疑者」の手配書が掲示してあったが、店主を含めて気づく人はいなかったのだろうか。「この手配写真は、ウチダさんが来なくなったコロナ禍のころから貼られるようになったものなんですよ。前から張ってあればもしかしたら気付いたかなあ。でもこの手配写真を間近に見るようになっても、ウチダさんが思い浮かぶことはなかったですね」
指名手配されていた桐島聡容疑者
常連客の70代の男性にとっても、気の置けない銭湯仲間だったようだ。「まさか指名手配されてた有名人だとは思わなかったな。銭湯でよく顔を合わせるようになって、いつのまにか『今日はもう仕事終わり?』みたいな話をするようになって、そこから土木関係で働いてることを聞いた気がするね。話し方も静かで穏やかで、それでいて気さくで、湯船に浸かってゆったりと話ができるやつだったんだ」
自らを「桐島聡」と証明できなかった建設作業員“ウチダ”は、酒が進むとアイデンティティを披露したい衝動に駆られることもあったようだ。行きつけだった藤沢市内のある、バーのマスターは振り返る。「私や親しいお客さんは『うーやん』と呼んでいましたが、『うっちー』と呼んでいる人もいましたね。几帳面だけど優しい性格で、他のお客さんともよく話してましたし、キャラが濃いからお店のマスコットのような存在だったんですよ。でも頑固なところもあって、人から奢られるのが嫌いでした。下に見られたくなかったみたいです」
“うーやん”こと内田洋の近影(知人提供)
愛されキャラだった“うーやん”だが、一度だけ店で大立ち回りをしかけたことがあったという。「5年前ぐらいのことでした。隣りに座ったお客さんと大喧嘩したことがあったんです。どこかの国のことを『頭が悪い』と罵った“うーやん”に隣の人が『“うーやん”それくらいにしなよ、人種差別になるよ』ってなだめたら、『おぬしに自分の何がわかるんだ!』と怒鳴って帰ってしまったんです。話がそのまま続いてたら、反アジアとかの話題になってたかもしれないですね。“うーやん”は酔いがまわると、相手のことを『おぬし』って言うんですよ、それもおもしろがられてた理由の一つかもしれないですね」几帳面さは、買い物などの日常生活にみられ、空いたペットボトルを購入したスーパーに持ち込んでポイントを貯めたり、タイムサービスの20%引きの惣菜ばかりを買うなどしていたという。マスターが続ける。「住み込みで働いていた工務店には友人のツテで入ったと聞きました。岡山県出身で高校卒業後に上京して旗の台で友人のアパートに居候してたそうです。アパートの隣の質屋でギターを買い、弾き始めたとか。その後、横浜で港湾労働をしていて、それから今の工務店に行き着いたと聞いています」
バーでも2~3回、ギターを奏でる機会はあったが、弾くのはローコードばかりで、決して上手とはいえない腕前だったという。それでもレイ・チャールズの歌を弾き語りするなど、音楽好きの“うーやん”の本領を発揮していたようだ。そのいっぽう女性に対しては奥手な一面を垣間見せていたという。「15年前くらいに『結婚したい』と相談されたんですよ。飲み屋で知り合った20歳くらい下の女性が気になってるとかで、『独身なんだから楽しみなよ』とアドバイスしても『でも自分なんかが…』って感じで、結局半年後に『やっぱり伝えられなかった』と失恋していたのを覚えてます。うちには25年以上通ってましたけど、コロナが流行して以降ピタッと姿を見せなくなりました。『コロナに感染するのが怖い』『感染が怖いから銭湯も行ってなくて、行水ですませている』って…。それでも去年、外でたまたま会ったときに『もうお店も普通に営業してるしライブもやるつもりだから来てよ』と声をかけると『ガンが見つかったんだ。でも早期発見できたし大丈夫そうだよ』って。やせ我慢してたんですかね…。“うーやん”は優しいところもたくさんあって、ライブに来たお客さんが風邪っぽいからと近くの薬局で薬を買ってきたこともあったし、どこかで仲良くなったアーティストのために『ライブさせてやってくれ』と私に頼んできたこともあった。そのライブでは、空き缶に砂利を入れた手製のマラカスを40個作って持ってきたこともありました」
桐島容疑者の手配写真
マスターの誕生日には古着が入ったダンボールや大量のビデオ、3mもある大きなカヌーをプレゼントしてくれたこともあった。しかし、写真に撮られることは極端に嫌っていたという。「“うーやん”は自分の写真を撮ろうとした人を怒っていたこともありました。今思えば理由も納得がいきますね。『桐島聡』の報道が始まっても、内田洋(ウチダヒロシ)なんてよくある名前だから信じてなかった。でも、手配書と自分の持っていた写真を見比べると面影があって、衝撃を受けました。そして、今では怒りを覚えてます。死ぬ間際に名乗って、贖罪もしないまま逝ってしまうなんて許せない。『事件を後悔している』と言ってましたが、本当に遺族を思っての発言なんですかね。過去の思い出話ばかり出たって、遺族の方々に失礼ですから」「さそり」「狼」「大地の牙」。3グループからなる東アジア反日武装戦線の中にあって、桐島容疑者が属していた「さそり」は「自ら小さな組織の猛毒で、大きな建設資本を倒す」という由来で命名されたという。なんの因果か建設現場で人生の大半を偽名で過ごし、酒場や銭湯でささやかなふれあいを重ねてきた“うーやん”。警視庁公安部は「自称・桐島聡」として死んだ「ウチダヒロシ」の身元を調べている。
警察庁(左)と警視庁(右)
取材・文/大島佑介集英社オンライン編集部ニュース班