立民・岡田幹事長「申し訳ない」 普天間飛行場の県外移設案から辺野古へ回帰 民主党政権時に外相「県外の知事と話をしたが、反対に遭い行き詰まった」

衆院選の応援で来県した立憲民主党の岡田克也幹事長が10日、那覇市内で本紙のインタビューに応じた。民主党政権時の外相として、普天間飛行場の県外移設が辺野古に回帰したことについて「有力候補だった徳之島など、県外の知事とも話をしたが、反対に遭い、行き詰まった。沖縄の皆さんには本当に申し訳なかった」と述べた。今後は野党第1党として政権交代を目指し、米政府との協議で辺野古の工事中断を目指す考えを強調した。
岡田氏は大浦湾に広がる軟弱地盤の改良は難工事で正確な工期や総費用が見通せないと指摘。米中対立を念頭に置いた日本の安全保障環境は常に変化しているとし「辺野古に大きな飛行場が必要なのか。政権交代後、米国とこうした課題を議論していく」と述べた。
2009年の衆院選直前、民主党の鳩山由紀夫代表(当時)が普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と発言したが、翌年には断念した。岡田氏は「マニフェストにも書いていないことを鳩山代表がおっしゃって頭を抱えた」と振り返る。
政権交代が実現し、外相として県外移設を模索したが、行き詰まった。「鳩山総理は最後まで努力し、総理を辞めるという結果になった」とした。
鳩山氏らは当時の有力案として「徳之島移設」を検討していた。鳩山氏は県外移設断念につながった理由の一つを退任後の講演などで、徳之島案を事実上否定する外務省の極秘指定文書を提示されたことを挙げた。米軍の航空部隊は訓練場のある沖縄本島から65カイリ(約120キロ)以内に置く必要があるというものだったが、鳩山氏は18年にこの文書は「虚偽」と指摘している。
岡田氏はこの文書について「私は見ておらず、あることも承知していない」と説明。徳之島案について「私は距離が遠くてもオスプレイを前提とすれば運用は可能ではないかと米側に主張していたが、米国もノー、地元にも完全否定された」と述べた。
国の代執行については「あらゆる手段を使って力で推す手法では県民の理解は得られない。地方自治を否定するものだ」と政府の強硬姿勢を批判した。
岡田氏は9日に知事公舎で玉城知事と非公開で面談し、辺野古を含めた県政課題について意見交換したことも明らかにした。(政経部・又吉俊充)立民・岡田幹事長「申し訳ない」 普天間飛行場の県外移設案から…の画像はこちら >>