「じつは春節で90億人も動いてない」財布の紐も厳しくなった中国人観光客と、ドル箱の“春節マネー“を逃した北朝鮮

毎年春節の時期は、日本の観光地にも中国からの団体客が押し寄せ、かき入れ時となるが、今年にかぎっては中国人観光客の足はさほど日本に向いていない。福島第一原発の処理水に絡むしこりが残り、日中間の航空便数がコロナ禍前の6割程度にしか回復していないこともある。だがもう一つの大きな要因は、海外旅行を楽しんできた中国の中産層が、経済不安から財布のひもを締めたり、さらには没落し始めたりしていることだ。
「中国はトランプ政権のころから米国との関係がぎくしゃくしていたが、遊びに出たい人の意識は政府の思惑とは無関係で、旅行先の一番人気は米国。二番が欧州で、そこまで金がない人が日本に行く。その下の四番手が東南アジアと韓国だ」と語るのは北京の観光ガイドだ。
今年は2月11日が春節だった
こうした中、中国政府は今年は春節に絡み、1月26日からの40日間で、過去最多の延べ90億人が移動するとの予測を出した。これだけの規模が動くのなら近隣国の観光業界の期待はいやがうえにも高まるが、実際はこれをはるかに下回っており、現実を反映しない空虚な数字だったといえる。実はこの「90億人」には自家用車で移動する約8割の72億人も含まれ、しかも昨年までは数字に加算されていなかった、一般道の走行車も今年から加えられた。「中国経済は明るい、という見通しを示し続けなければならない中国政府が、経済状況の悪化を隠すため春節の移動規模も膨らませたのではないかと言われている」(日本メディア特派員)との見方が主流だ。
習近平国家主席 (共同通信社)
こうした”粉飾”を施さねばならないということは実際には逆の動き、すなわち、人々の間でお正月の「出控え」が起きている可能性がある。「上から3番目」の人気だった日本へ観光に行ける層のボリュームは、日中関係が改善しても回復しないことが現実味を帯びているのだ。すでに日本の観光業界の中では、中国の中産層の団体旅行客に見切りをつけ、ごく少数の富裕層に狙いをつけた高額旅行商品の拡大を模索する動きも出ている。
だが、このように縮小、チープ化している中国の海外旅行需要が逆に大きな商機になるはずだった国がある。隣国の北朝鮮だ。前出のガイド氏の話には続きがある。東南アジアや韓国といった、人気最低ランクの海外旅行先のその下がさらにあるというのだ。「コロナ禍前まで人気を誇っていたのが北朝鮮だ。遼寧省・丹東から列車で平壌へ行き、板門店や金剛山などをバスで回る。旅費は国内旅行並み。外国旅行には手が届かないが日常を離れてみたいと思う人がやっと行けるのが北朝鮮だった」
北朝鮮
一方、中国の40代の女性は「90年代以前の発展する前の中国の光景が北朝鮮にはそのまま残っていて、ノスタルジーを感じる」と話す。さらに、1953年に休戦した朝鮮戦争に参戦した元中国人民志願軍兵士や、そうした父や祖父から参戦時の経験を聞いた人の中には、中朝が苦労をともにした地を訪れたいとの希望もある。戦争時、北朝鮮を支援するために290万人もの志願軍を投入した中国は近年、対米関係が緊張する中で戦争時のスローガン「抗米援朝」を強調し、朝鮮戦争で人民志願軍が米軍を打ち負かすストーリーの国策映画やドラマも頻繁に作られてきた。中国人は核開発を続ける金正恩政権にうんざりしていると伝えられることが多いが、庶民の中で、特に中高年の男性には北朝鮮への親近感を隠さない人は多い。その北朝鮮は2017年12月に大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を理由とした国連安全保障理事会の制裁決議で、石炭などの地下資源と水産物という二大主力商品の輸出が封じられた。そこで外貨稼ぎの目玉として拡大を図ったのが観光だ。19年12月にはスキー場や乗馬施設も併設した温泉リゾートが平安南道陽徳に完成し、金正恩・朝鮮労働党委員長(現総書記)が満面の笑みで完工式に出席した。ところがその月の下旬には中国・武漢で新型コロナ感染者が爆発的に拡大。北朝鮮は年が明けた20年1月末には中国との国境の厳格な統制を始め、観光客の受け入れどころではなくなった経緯がある。
中国と北朝鮮、国境付近(写真はイメージです)
そのコロナ禍の影響もピークをすぎてから久しい。昨年7月からは中国やロシアの高官が平壌空港から入国し、隔離なしで金正恩氏と会うようになった。列車やトラックによる貨物輸送は以前の水準に戻っている。昨年8月には「国際観光を拡大する」との内容を盛る政令が採択されたと公表され、外国人観光客の受け入れ準備を進めていることが強調されていた。
しかし北朝鮮は今も中国人観光客の受け入れを再開せず、春節のハイシーズンもふいになった。中朝関係が水面下で緊張し、一般の中国人の訪朝の可否で折り合えていない模様だ。さらに北朝鮮とロシアの接近が中国の態度を硬化させている可能性がある。1月18日、北朝鮮メディアは金正恩氏が友好国の首脳に年賀状を送ったことを報じた。その筆頭に挙げられたがロシアのプーチン大統領。中国の習近平国家主席は2番手扱いだった。北朝鮮がロシアを中国よりも重視していると公言したことになる。北朝鮮は数万人ともみられる出稼ぎ労働者を中国に派遣し、中国は滞在ビザが切れた者の帰国を促している。北朝鮮は交代の人員を中国に送りたいが、17年の安保理制裁決議が北朝鮮労働者の雇用を加盟国に禁じたことから中国は就労ビザの発給を拒んでおり、中国に対して不満を抱いてきた。
昨年9月、ガッツリと握手した金正恩とプーチン
昨年9月のロシア極東での金正恩・プーチン会談の後、兵器を含む貿易を拡大し、緊密化が進むロ朝関係に中国は一切の論評を避けてきたものの、ロ朝両方への影響力が相対的に低下したため心穏やかではないはずで、「年賀状報道」でメンツもつぶされた。2月10日、北朝鮮メディアはロシアから「第1次観光団が平壌入りした」と伝えた。コロナによる出入国統制の開始以来初の観光客をロシアから受け入れ、これを春節直前にもってきたのは中国への当てつけの意図があるかもしれない。ロシア人客だけでは観光インフラを有効活用できないことは明らかだが、中国からの観光収入を捨てるだけの価値がロシアとの関係にはあると金正恩氏は考えている気配だ。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班