「離婚相談を受けるときは、まず相談者の話を細かく聞きます。感情的なことを受け止めながらも、要所要所で、法的に大事なことを伝える。とくに離婚の場合、経済的な問題が重要となってくるので、お金の話をすると感情が落ち着き、冷静に考えることができるのです」
こう語るのは、年間900件以上、累計で6,000件以上の離婚相談の実績を誇る、弁護士法人丸の内ソレイユ法律事務所の代表を務める、中里妃沙子弁護士(63)。
現在、離婚問題などに精通した18人のプロフェッショナル集団を束ねる“ボス弁”として、法曹界でも有名な存在だ。
そんな中里さん、学生のころはとくに弁護士を目指していたわけではなかったという。
「高校3年の2学期の親子面談で、担任の先生から、“東北大学法学部を受験しなさい”と、いきなり勧められたんです。当時、法律にはまったく興味がなかった私でしたが、“先生が勧めるなら頑張ってみようかな~”と、軽い気持ちで受験したのが、この道に進むきっかけとなりました」
高校3年のときの担任は、クラスメートの進学に関しては、すべて自分で大学と学部まで決める“変わり種”の先生だったそうだ。
「そのとき先生から言われた言葉は今でもよく覚えています。“これからの時代、女性の法律家がもっと必要になってくる”と――」
そして東北大学法学部に入学。ところが、大学4年生になっても法律家になるつもりはなかった。
「大学4年の4月、周りから“せっかく法学部の学生になったんだから、1度ぐらい司法試験を受けてみたら?”と言われたので、5月の司法試験までの1カ月間だけ勉強して受けてみたんです。
もちろん落ちました。でも、こういうタイプの試験は私に合っている、得意な試験だと強烈に感じたんです。ちゃんと勉強をすれば絶対に受かる……。初めて司法試験を受けたときに、弁護士を目指そうと決めました」
だが、ここから司法試験合格までの長い道のりが始まる。
■2人の“変わり種”の恩師に導かれて――
当時の司法試験は、合格率が約2%という狭き門。中里さんは、なんと12回目の挑戦でようやく合格したのだ。その後2年間、司法修習生として実務などを学び、あとは弁護士としての活躍の場を見つける段階となったのだが……。
「1995年ごろは、女性の弁護士が就職するのが難しい時代で、20の法律事務所中19落ちました。ただ、運よく自分がいちばん入りたいと思っていた事務所が採用してくれました。
そこは男性の弁護士が1人でやっている事務所でしたが、企業案件の実績や事件処理などが天才的で、カリスマ性のある人でした。
女性弁護士が就職難のときに、私以外にもう1人女性を採用するなど、ちょっと変わったボス弁でしたけど(笑)。私は19の事務所に落とされた悔しさよりも、この人だという弁護士がいる事務所に入れた喜びのほうが大きかった」
就職してから3カ月。中里さんはいきなり、そのボス弁から大きな案件を任される。それは個人経営者が、ある大企業に立ち向かう金銭絡みの訴訟だった。
「プロの弁護士として、初めての仕事でした。最初はボス弁が担当していた案件でしたが、途中から最後まで私がやることになり、結審までに2年ぐらい費やしました。
第一審でコテンパンに負けました。でも、第二審では和解が成立したんです。大企業相手に和解に持ち込めたのは、事実上、勝ったようなもの。今思えば、ボス弁にはデビュー戦から凄い経験をさせてもらったと思っています」
中里さんの法律家人生は、まるで2人の変わった恩師に導かれたかのようでもある。その後彼女は、弁護士としてのキャリアを着々と積み重ね、2009年、離婚事件のリーディング法律事務所として、丸の内ソレイユ法律事務所を設立。
離婚問題に悩む多くの女性たちのために、的確な解決策を日々アドバイスしている。
「今後は、専業主婦の割合が減少することで、男性も育児や家事に参加する必要がさらに出てくるでしょう。そのような社会変化に伴い、男性からの相談件数も増える時代になってくると思います」
今後、アメリカにも事務所を開設して、離婚相談や国際相続の相談にも対応していきたいという中里さん。こんなにエネルギッシュでバイタリティ溢れる弁護士なら、相談したくなりますね!
【PROFILE】
なかざと・ひさこ
東北大学法学部卒業、司法修習47期。1995年に都内法律事務所での勤務を経て、アメリカに留学。南カリフォルニア大学ロースクールLLMコース卒業、2009年に弁護士法人丸の内ソレイユ法律事務所を設立。現在、法政大学大学院公共政策研究科サステイナビリティ学専攻兼任講師