【前編】ラップ極上!寝たきり解消! 祖母と孫、年の差51歳のラップユニット・赤ちゃん婆ちゃんより続く
波乱の人生を送ってきた72歳の祖母・でこ八。ダブルの重病で一時は寝たきりに。21歳の孫・玄武とラップでステージに立ってからは、病気を忘れてノリノリ、ラップざんまいーー。
滋賀県大津市在住の赤ちゃん婆ちゃんは、今年で結成5年目のラップユニット。
2人の人生が投影されたリリックと、和のテイストも感じさせる楽曲にラップ界も注目。『金くれよ』『天国と地獄』といった人気曲のYouTubeなどでの再生回数は29万回を超え、大衆演劇風に言えば「目下絶賛売出し中」のご両人なのだ。
終演後、私服に着替えたでこ八のいでたちに、また驚かされる。蛍光色イエローのアグの厚底スニーカーに、これも孫とお揃いのスエットの胸には“extender”の文字が。
「エクステンダーには“広がっていく“という意味もあるらしいね。赤ちゃん婆ちゃんも、これからが世界を広げていく正念場や!」
実は、でこ八は難病指定のシェーグレン症候群と末梢神経症候群という2つの重病を、同時に患っていると診断されている。
「シェーグレン症候群は、自分の細胞で自分の細胞を攻撃してしまう免疫性の疾患やと。症状は口の中のひび割れや、全身の痛みで、一時は寝たきりにもなったり。
もうスーパーにも迷惑をかけたくないから、14年勤めたけど、仕方なしに辞めました」
がんに続いて難病まで患い、人生で初めて弱気になり、また、隠居生活を余儀なくされていた70代手前のでこ八だったが、そこに生涯最大の転機をもたらしたのが、当時15歳の孫だったという。
中3になっていた玄武が、地元の駅近辺で行われているサイファー(ストリートで輪になりラップを競い合う)に参加しているのは知っていた。
年上のラッパーばかりの中に入っていくことに尻込みしていた孫に相談を受けたとき、
「行くしかないやろッ」
と、けしかけたのが、当のでこ八だったのだ。
「玄武は引っ込み思案な印象で、気持ちを外に出すコやないと思ってましたから、興味あることができたのなら、これはもう、迷わず行け、と言いました」
その2カ月後、玄武が滋賀・彦根のクラブで初ライブをやるというので、でこ八も興味半分で応援に行ったという。そしたら、
「まず驚いたのは、若いコたちが、やんちゃな格好に反して、みんな礼儀正しかったこと。
またラップそのものも、10代20代なりに、生きざまや悩みを音楽に乗せて吐き出していて、おもしろいなと思ったんです」
その瞬時、閃いた。
「音楽は嫌いじゃない、しゃべるのはもっと嫌いじゃない(笑)。わたしも、ラップで、自分の年齢なりに世の中の人にメッセージを発信するのはありやな、と」
その思いを、率直に孫に相談したら、意外なことに二つ返事で同意したばかりか、
「おばあちゃん、どうせやるなら、一緒にやろう」
そう言ってくれ、家族も後押ししてくれた。
■イギリスの通信社からもオファーを受け 「これからは英語も覚えなあかんな」
〈♪15 68 ないのさ関係……絶対吐きたくねぇのは弱音 甘えてばっかじゃ 高くは飛ばねえ 自分らしく持つ誇り……金金金金 金くれよ〉
『金くれよ』も、赤ちゃん婆ちゃんの人気曲の一つ。元となるリリックを書いたのはでこ八だ。
「わたしの詞に、玄武が韻を踏ますなど手直ししてくれます。テーマ? もう、感じたことを、そのまんま」
この曲作りにも、あるきっかけとなる実体験があったという。
「若いラッパーのコたちは、もう大会に出るだけで満足して、ギャラをもらってないことも多かった。でも、それはナンセンス。わたしは10代のころ漫才をやっていたんですが、どんな小さな舞台でも、呼ばれたらギャラをいただいてた。それが明日の頑張りにつながった。
だから、主催者の方には、少額でも、きちんと報酬を出してあげてほしいと、そんな年寄りの気持ちをリリックにしたんよ」
いつも前向きなでこ八だが、最初にバトルに出たときは、少しためらったと打ち明けた。
「バトルとなると、罵り合いみたいで、正直、イヤやったんです。でも、プロデューサーさんから、『おばあさん、勝ち負けは関係なく盛り上げるためにお願いします』と頼まれて、じゃ1回だけ、と。
いざ出ると、このわたしが頭が真っ白になっとる(笑)。漫才の舞台では、一度もアガったこともなかったのに。その緊張感がまたよくて、ハマったんやね」
そしてバトル出場を通じて、祖母として、一つの発見があった。
「この孫の玄武がね、ふだんは物静かなコなんやけど、いったんステージに立つと、ラップのリズム感もバツグンやし、ようしゃべる。
いちばん驚いたのは、わたしの分のリリックまで覚えてて、フォローしてくれた。また、折にふれて『薬は飲んだか』と聞いてくれる。ああ、このコは案外に頼もしいとこあるんやと、ばあちゃんとしては素直にうれしかった」
そしてラップをしていると、いつしか痛みも消えていたという。
赤ちゃん婆ちゃんは快進撃を続ける。イギリスの通信社からもオファーを受け、いよいよ今年は世界デビューか。
「これからは英語も覚えなあかんな。日本語のラップでも苦労してんのに(笑)。英語になったら、わたし、なんと自己紹介しましょうか」
隣から玄武が、
「ジャパニーズ・クレイジー・グランドマザー、かなぁ」
すかさず、でこ八、
「いや、そこは、クレイジーやなしに、グレートにしといてや!!」
■コロナ禍もひと息つき、3月から路上ライブを。「日本全国をヒッチハイクで回ろうや!」
「最初のバトル出演のとき、祖母は、僕に『任せる』と言ったのに、いざ音楽が始まったら、もう8小節も何も関係なくしゃべり続ける(笑)。
バトルに強いでこ八誕生、の瞬間でした」
玄武は高校卒業後、音楽専門学校のエンジニアコースに通学中。
「ラップは続けながら、将来は学校で学んだ裏方の技術も生かして音楽スタジオもやってみたい。ただ、今は、赤ちゃん婆ちゃんに全力投球。
祖母も、始めるときに、『やるなら、ガッツリやっていこう』と言ってくれたので」
実際、でこ八は、孫とのコンビに、後半の人生を懸けている。
「実は、こないだもシニアのイベントに呼ばれて、『1人で来て、老後を元気に過ごす秘訣を話してください』と言うから、きっぱり断りました。そやかて、わたし1人の仕事が増えたら、赤ちゃん婆ちゃんがしぼむでしょう。それでは、せっかく孫と始めた意味がないんですわ」
対して、玄武も。
「僕は、ユニットを組むまで、祖母が昔、漫才師だったことも知りませんでした。取材などで話すのを初めて聞いて、だから、あのトーク力なんだと。これまでの人生の積み重ねが、今のでこ八を作ったんだと知るんです」
コロナ禍もひと息つき、この3月から、2人は新たなチャレンジを計画中。
「路上ライブをやろうかと。まずは地元で」
玄武の言葉に、でこ八が、
「なんで地元? どうせやるなら、関西にこだわらず日本全国回ろうや。ヒッチハイクでもなんでもするくらいの根性がないとあかん」
さすが漫才師時代に路上も体験しているでこ八と感心していると、玄武から思いがけないツッコミが、
「ええっ、取材と思ってかっこいいこと言ってる(笑)。最初は、『なんで、70過ぎて路上やねん』って文句ダラダラだったくせに」
「いや、玄武、それ言う? ばあちゃんの本心は、最初からヒッチハイクやん(笑)」
ケ・セラ・セラの精神と、肉親ならではの絶妙の間合いでラップ界に殴り込みをかける、赤ちゃん婆ちゃんの今後に、乞うご期待。