1945年の長岡空襲から79年が経った8月1日、多くの人が命を落とした新潟県長岡市では慰霊と平和への願いを込めた灯籠流しが行われました。
1日、多くの市民などが黙とうを捧げたのは長岡市中心部を流れる柿川。
【長岡空襲の遺族 谷芳夫さん】
「大勢の人たちが水を求めて、どんどんやって来た」
1945年8月1日の長岡空襲で焼夷弾による火の海から逃れようと多くの人が飛び込み、命を落とした場所です。
その柿川では地元の中学生や家族連れが参加し、灯籠流しが行われました。
時間の経過とともに戦争を経験した人が少なくなる中、平和への願いは次世代へと受け継がれていきます。
この日は一つ一つに願いが込められた2000個の灯籠が柿川を流れました。
【訪れた子ども】
「この歴史を絶対に風化させないように、これからもこの伝統をつなげていきたい」
【訪れた親子(母親)】
「子どもとこういう(戦争を考える)機会はなかなかなかったので、いい機会だった」
そして、空襲が始まった午後10時半に合わせ、慰霊の花火「白菊」が打ち上げられました。
【訪れた人】
「(花火の意味を)知らなくてもきれいなものとして見られるが、知ればまた一段と深く、花火の尊さが分かるのでは」
戦争のない世界へ…白菊が夜空を照らした長岡市は鎮魂の祈りに包まれました。