ホンダが最初に作ったクルマは超高性能な軽トラだった?


ホンダが初めて作ったクルマは軽トラック(軽トラ)だった? このクルマの正体とは!

ホンダとトラック、結びつく?

ホンダのクルマといえば、どんな車種が思い浮かびますか? F1のイメージからスポーツカーという方もいらっしゃるでしょうし、最近だと「N-BOX」など軽自動車の存在感も増しています。ただ、「トラック」だという方は少ないのではないでしょうか? 実は、同社が初めて作ったクルマは軽トラだったそうです!

このクルマの詳細について、モータージャーナリストの内田俊一さんに聞きました。次のページで教えていただきます。

――正解は次のページで!


○問題をおさらい!

正解はこちら!

○【答え】ホンダ「T360」

これはホンダ「T360」という軽トラックです。隣に写っている赤いスポーツカーは「S500」ですね。これらのクルマが誕生した経緯を振り返ってみましょう。

ホンダの設立は今から76年前の1948年。二輪車(バイク)の製造から事業をスタートさせました。初めて四輪車(クルマ)を手掛けたのは1963年です。

そのきっかけのひとつになったのは、1961年に当時の通産省が発表した「特定産業振興臨時措置法案」(通称:特振法案)でした。日本経済を成長させるために策定された法案です。

「特定産業」には自動車、特殊鋼、石油化学などが含まれました。自動車は「量産車」「特殊車」「ミニカー」の3つに分類し、1963年の施行時点で実績のないメーカーは事実上、参入を認めないというものでした。結局は廃案になるのですが、これに乗り遅れてはいけないということで、ホンダはそれまで構想を練っていた四輪車事業への参入に乗り出すのです。

四輪車の開発には2つのプロジェクトがありました。というのも、本田宗一郎からは「スポーツカーをやってみろ」、専務の藤澤武夫からは「トラックをやったらどうか」という掛け声があったからです。そうして完成したのが、オープンスポーツカーの「スポーツ360」と軽トラックの「T360」でした。

本田宗一郎には「既存メーカーと競合するより新しい需要を開拓すること、日本の自動車産業を国際的に通用させるためにはレースによる早期育成が必要で、そのためにはスポーツカーがいる」との想いがありました。そして、「出すからには世界一でなければ意味がない」との信念から、水冷直列4気筒DOHCエンジンをはじめとする精密なメカニズムを両車に採用しました。

こうした経緯を経て、ホンダは1963年8月にT360、同年10月にスポーツカーの「S500」を発売します。「人々の生活に役立ちたい」という想いと「走りの楽しさを広げたい」という想いから、同じ年に発売した2台のクルマ。それが、ホンダのクルマ作りの原点であり、その想いは今も変わらない同社の思想です。つまり、軽トラックのT360こそが初めてのホンダの四輪車なのです。

ちなみに、スポーツ360は生産が見送られました。その要因は諸説ありますが、どうやら、市販化する際の重量増によるパワー不足というのが有力なようです。従って、より排気量の大きいS500を販売したのでしょう。

T360が搭載するエンジンは前述の通り、日本初のDOHCでした。性能は最高出力30ps(馬力)/8,500rpm、最高速度100km/hとうたっています。これがどのくらい高性能なのかというと、例えば「スバル360」は16馬力(1958年デビュー時)であり、そのほかの軽自動車も20馬力程度だったのを考えれば相当なものです。

1964年には、少し荷台を長くした排気量500ccの「T500」もデビューします。こちらは38ps/7,500rpmの性能を発揮しました。T500の生産台数は2年間で1万台強。一方のT360は4年間で10万台ほどが生産されたと伝えられており、当時の軽トラックのシェアの4%程度を占めたそうです。

価格はT360が34万9,000円、T500は37万5,000円でした。ちなみにスバル360が36万5,000円だったので、かなり高額な軽トラックだったことが伺えます。

まさにスポーツカーのエンジンを搭載した軽トラック。なんともホンダらしい、エンジニアリング重視のクルマだとは思いませんか。

それでは、次回をお楽しみに!

内田俊一 うちだしゅんいち 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験をいかしてデザイン、マーケティングなどの視点を含めた新車記事を執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員。 この著者の記事一覧はこちら