昨年10月25日の秋季関東高校野球大会準々決勝。専大松戸は全国的強豪、作新学院(栃木)を破りセンバツ出場を確実とする4強進出を決めた。歓喜の輪の中心にいたのは、好救援を見せた平野大地。マウンド上で何度も雄たけびを上げて喜んだが、実は元々控え目な性格だったという。剛腕エースはなぜ感情がむき出しになるほどに、生まれ変わったのか-。
「優しい子だった。中学の頃に、大地のいいところはなんだって聞いたら『思いやりがあるところ』って自分から言ったことがあったね」。そう語るのは父の勝広さん(44)。社会人野球の強豪、川鉄千葉(現JFE東日本)でプレーしていた野球人だ。「その時は思わず『勝負の世界に思いやりなんて必要ない。だから試合に出られないんだぞ』と言ってしまいました」と述懐する。
◆ユニークな特訓
昨年夏の千葉大会前。勝広さんが2年生の平野に課したユニークな特訓がある。ただただ、父の目の前で「よっしゃー!」と叫ぶ練習。「ガッツポーズができなかったからガッツポーズの練習。10回言ってみろって」
単なる気合注入や根性論ではない。「先輩がいるから遠慮するんじゃなくて、先輩を抜く気持ちでやらないと結果は出ないよと言いました」。自らも元選手として経験がある。引っ込まず、時にはわれを出す大切さに気づいてほしかった。これまで以上に声を出すようになった平野はこの夏、球速150キロを計測。一気に2023年のドラフト候補にまで躍り出た。
中学時代は捕手だった平野に投手転向を勧めたのも勝広さんだった。中学では控えが長かったため「センマツみたいな強豪校で野手としてやっていくには厳しいんじゃないか」と心配がよぎる。「つい親心。やっぱり、ベンチ入りする姿を見たかった」。入学してすぐ提案したのが、チーム内3、4番手でも可能性がある投手だった。
1年春から母、さやかさんの手料理の協力も得ながら肉体強化に着手。毎月体重1キロ増量をノルマに、約2年で20キロ近くアップした。182センチ、86キロ。たくましい体つきになっていった。
◆芽生えた自覚
中学時代の平野には勝広さんが監督を務めていた竜ケ崎シニア(茨城)ではなく、取手シニア(同)に通わせた。「親の野球だけではなくて、視野を広げてほしかった」との思いがあった。親子別々のチームで活動していたため、当時は試合を見る機会は少なかった。現在は監督を退任し、応援会会長として球場に毎回足を運んでいる。
帰りの車で一緒になれば、その日の反省会。「本人からしたら休まる時間がないけど」と若干の申し訳なさを感じつつ、本気で向き合う理由があった。「地元(茨城)の高校に行かず、本人の意志でこの学校を選んだ。それならちょっとでも頑張ってほしい」
関東大会。両肩付近の肋骨(ろっこつ)の痛みを我慢して腕を振る姿に勝広さんは成長を感じた。医師から許可は得ていたものの「夏から秋にかけての大きな変化だと思う。自分がエースになるという自覚が芽生えてきたかな」。
身も心も大きくなった平野は、約1カ月半後の甲子園で全国デビューを迎える。「ここを目標に親も本人もやってきた。投手経験は浅いので、難しいことは考えずにやってほしい」と父は願う。
平野は「性格的に喜びを外に出せないタイプだったが、少しずつ出せるようになってきた。夏の大会から自信がついたからだと思う」。憧れ続けた晴れ舞台で思う存分躍動する。