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冤罪事件の原因には捜査機関による自白の誘導・強要、証拠隠しや捏造がよく指摘される。目撃証言の誤り、科学的証拠に対する過信、共犯者による巻き込み供述なども考えられるが、日本の冤罪の場合は「虚偽自白の存在」と「証拠の不開示」(弁護側に有利な証拠が検察側から開示されないこと)が最大の原因とされている。
「検察が日本の司法においては大きな権限を持ちすぎていて、検察に有利な法制度になってしまっているように感じています。過去の死刑再審無罪事件でも、検察は絶対に誤りを認めないし、袴田事件でも検察は『捜査自体に間違いはなかった』で済ませてお詫びのひとつもしないスタンスを貫くでしょう」
10月8日、検察当局が8日、控訴を断念した。しかし、林真須美死刑囚の長男が指摘したように、畝本直美検事総長は“談話”として「捜査機関の捏造と断じたことに強い不満を抱かざるを得ない」と判決を批判した上で、「長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて申し訳なく思っております」などと謝罪の姿勢を示したが、この文言は静岡県警本部長および、警察庁長官の発言とほぼ同一である。謝罪の言葉は今のところ出ていない。
実際、冤罪を防ぐために必要とされるのが、再審段階における証拠開示制度だ。袴田事件では裁判官の勧告もあり、再審段階で600点もの証拠が開示されたが、再審開始決定が確定した時点でも、すべての関連証拠が開示される保証はない。弁護側が証拠開示を請求しても応じてもらえないのが一般的だという。
弁護側に有利な証拠が埋もれたままにならないように、検察が保有する全証拠のリストとして一覧表を作成し、弁護側に開示する仕組みを設けるべきとの声が高まっている。
また、誤判により有罪の確定判決を受けた冤罪被害者を救済することを目的とする再審制度の法改正に向けた弁護士会の動きも活発化している。
「母の場合は犯行の動機が不明な状態が26年も続いていて、死刑が確定してから15年の時間が過ぎています。袴田さんはその倍の時間を過ごされてきました。いつ再審が始まるか、再審請求が棄却されるかといった情報は僕らにも全く与えられていません。死刑制度もそうですが、再審制度もブラックボックスの状態です」
袴田さんは2014年に47年7カ月ぶりに釈放されたが、9月19日付毎日新聞によると、いつ再審請求が棄却・失効されるかわからない超長期の拘禁で精神をむしばまれ、意思疎通が難しい状態が続いているという。
「袴田事件もメディアで大きく取り上げられるようになったのは再審開始が決定したあとでした。再審が通らなければテレビや新聞は報道してくれません。もっといえば、林真須美死刑囚の息子である僕がどれだけ発言しても、大手マスコミはほとんど取り合ってくれません」
2024年5月末時点で死刑確定者109人のうち再審請求をしているのは53人。再審請求自体に刑の執行を止める効力はなく、2018年に死刑が執行された13人のオウム真理教元幹部も、うち10人は再審請求中だった。
再審法改正や、再審請求と死刑執行をめぐる議論には、「死刑執行を引き延ばすだけの実質的な意味のない再審請求の繰り返しを避けるためにも再審請求中でも執行すべき」という意見もある。
また、死刑が確定した場合、刑事訴訟法は「法務大臣は判決の確定から6か月以内に死刑の執行を命じ、その命令から5日以内に執行する必要がある」としているが、 “訓示規定”と一般には解されているようだ。
「林真須美死刑囚が『強い殺意を持って犯行に及んだ』とするだけの根拠が、法務省側にはないようにも思えます。無意味な拘留を続けないで、いち早く裁判をやり直すべきです。袴田ひで子さんも『殺人犯の姉』と言われ続けてきたわけですが、再審も通っていない段階では、僕はネットで『死刑囚の息子』『殺人鬼の息子』と言われても致し方ない。ただ、やはり歯がゆさを感じています」
本人が言うように、はっきり言って「林真須美死刑囚の息子」の主張は取り上げにくい。しかし、そもそも逮捕前の実名報道などで世間の耳目を集め、検察側のストーリーを供給しておきながら、他方の声を黙殺することはメディアや報道のあり方として正しいのだろうか? 少なくとも公正さや慎重な配慮といった点を問題にするのであれば、筋が通らないだろう。
林真須美死刑囚の長男は当局の捜査の追い風になるかたちで、メディアの報道が便乗する構造も過去の死刑再審無罪事件では共通しているとも語る。袴田事件の無罪判決に合わせて、大手新聞はお詫び記事の掲載を行ったが、公権力が報道機関の信用を担保してくれるわけでもない。
「僕としては当然、よりスピーディーに再審が行えるように再審法を改正してほしいと願っています。ただ、死刑事案に限らず冤罪として再審を求められる事件の中には“危ういケース”が含まれていることは確かで、再審が通りやすくなるということは事実上の4審制になるといった議論もあります。こうした問題についての見解を問われると僕自身、答えを持ち合わせていないことも事実です」
このような再審制度のあり方に関する議論も踏まえると、やはり冤罪防止では捜査の透明化・可視化が最優先課題と言えそうだ。
日本では2016年の刑事告訴法改正によって、ようやく取調べの録音・録画が制度化。2019年から施行されているが、録音・録画の対象は裁判員裁判対象事件など一部の事件に限られている。
また、広く欧米諸国において認められている弁護人立会制度が日本にはいまだに存在しない。東アジアでも韓国や台湾では実行されているが、弁護人の立会いを認めると被疑者が供述(自白)しなくなり、真相解明に支障を来すというのが警察や検察の言い分だ。
「事件記者や法曹関係者の中には、自白や動機なしで状況証拠だけで死刑判決を下した判例は、禍根を残しかねないと危惧されている方が少なくありません。証拠の捏造は言語道断ですが、人間の行う捜査である以上、捜査の誤りや冤罪をゼロにはできない。まずはその前提に立って、過去の間違いを認め、今後の捜査に活かしていく姿勢を見せなければ、検察の威信やメンツ以前に国民からの信頼を失うことになるのではないでしょうか」
「和歌山毒物カレー事件」が今後どのような展開をたどっていくのかはわからないが、日本の刑事司法制度がグローバル・スタンダードから外れている事実は今一度、認識しておく必要がありそうだ。