伝説のお笑い講師・本多正識氏が語る「介護」との“上手”な付き合い方

新世代のスターを続々と輩出するタレント養成所「NSC」(※)。吉本興業が誇るこの“笑いの最高学府”には、伝説の講師がいる。
本多正識氏。職業・漫才作家。1990年にNSCの講師に就任し、「ナインティナイン」「キングコング」「かまいたち」といった売れっ子芸人の“卵”を1万人以上も指導してきた。
NSCの卒業生は、深い敬意とほんの少しの恐れを抱き、卒業後も本多氏を師として仰ぎ、“ネタ”のアドバイスを求めている。
笑いの「プロフェッショナル」はいかにして介護を語るか。伝説のお笑い講師に聞く介護における“芸人論”。
※ 吉本総合芸能学院。在学期間は1年間。「New Star Creation」の頭文字を取って、NSCと呼ばれている
―― 「かまいたち」さんや「ジャルジャル」さん。お笑いシーンの最前線を走る名だたる芸人さんたちを指導してきたNSCの本多先生にお話を伺います。
本日はどうぞよろしくお願いいたします。
本多 はい、よろしくお願いします。
―― この度の取材にあたり、介護職をされている読者の皆さまに「介護の『お困りごと』」を伺ったところ、「家族の介護となると、仕事のようにうまくいかない。気持ちをうまく伝えられない」というお声が寄せられました。
家族に対して自分の気持ちをうまく伝えられない方へのアドバイスをお願いできますか。
本多 難しい質問ですね。私自身、家族への介護経験だけでなく、長い闘病生活もあるので、経験を踏まえながらお話させていただきます。

私は、子供の頃から色々な病気になってました。
―― 高校二年生の夏休みに心臓発作を起こされて、1年3ヶ月も入院生活をされていたと伺っています。
本多 そうです。7年近い自宅療養生活を送って、自律神経失調症やパニック障害も発症しています。その療養中に「漫才台本」をラジオ番組に投稿したことが人生の転機になりました。
その当時は、自分の病気のことだけでなく、父との関係もやっかいでした。
―― 深夜、眠っているお父さまを“バット”で殴ろうと思った瞬間もあったほどに憎しみの気持ちがあったそうですね。
本多 ほんとにありましたね。「笑おうね 生きようね」という本にも詳しく書きましたが、父からは言葉の虐待を受けていましたから。
そういった経験を踏まえたうえで感じることは、「弱っていくこと」に罪悪感を持つ必要はないと思います。
―― 罪悪感というのはどのような感情でしょうか。
本多 面倒をかけているのであろう相手に対して、必要以上に「しんどいのにごめんな」という気持ちです。もちろん面倒をみてもらっていることへの感謝の気持ちを忘れてはいけませんが、病気も老いもなりたくてなったわけではありませんから、それを「自分のせいだ」とすべてを抱え込む必要はないということです。
現実を素直に受け入れてあげることが大事じゃないでしょうか。
―― お互いがお互いを受け入れる、ということでしょうか。
本多 まずは介護をしている方から、その状況を受け入れればいいと思います。

介護をしてもらっている方も、「ごめんね。ありがとうね」って言ってくれればいいんですが……それぞれに家庭の事情が違いますから、その「折り合い」が難しいでしょうね。
―― 肉体的な介護ではなく、介護に“まつわる”人間関係が辛いというお話をよく伺います。
本多 そうですね。兄弟がいるのに、「なんで俺だけが見なアカンねん!」と思われている方もいらっしゃるでしょうね。
先ほども言いましたが、僕の場合は子供のころから病弱で、面倒ばっかりかけていたので、親の介護をするようになって、その時の「お返しをしてんねや」と思えるようになってから、気持ちが楽になりました。“順番“なんですよね。
割り切ると言えば語弊がありますが、「順番やねんからしょうがないやん」って思えるとずいぶん楽になりました。それが受け入れるということだと思います。
―― 他にもこのようなご質問が読者の方からありました。「認知症の親に対して、思いをどう伝えればいいのか分からない。そもそも理解してくれるのかもわからない」。
こんなお声もありました。
「認知症の家族を叱ってしまう自分に嫌気がさします」。
本多 よくわかります。私もそうでした。でも、認知症の場合は、怒ってもしょうがないんですよね。本人もわからずにやっていることなんですから。でも、思わず怒ってしまう、そして自己嫌悪になってしまう。その繰り返しでしたから気持ちほんとによくわかります。

ある時から、伝わっているかどうかは別にして、「これ以上のことはようせん」という気持ちを口に出して言うようにしていました。
―― 受け入れることはできても、思いを言葉にすることはハードルが高いように感じます。
本多 私も高かったですよ。「どうせわからへんねやろな」っていう気持ちがありましたけど、それでも言葉に出さないと自分のストレスを発散しようがないんですよ。
私は「お笑い」という特殊な仕事なので、他の職業の方や主婦のみなさんに比べれば遥かに発散できる機会が多いと思います。それでもやっぱり、言葉に出して伝えることで、すごく楽になりましたね。
―― 最初の一歩を超えることができれば、楽になるのでしょうか。
本多 最初の一歩を超えても次の一歩、またその次の一歩が来ると思いますが、言葉の意味が伝わっているのかいないのかとは、別問題なんです。言葉にすることが大切だと思います。そうしていると「あれ? 今言ったこと通じたん違う?」ということが何度もありました。
母は99歳まで生きましたが 95歳ぐらいまでは頭も“しっかり”していたので、生活の介助こそ必要でしたが、何も言わずにやっているときよりも――やさしいこともいいながら、ときには怒りながらでも――「頼むわ、これで辛抱してな」ってストレートに言えるようになって……めっちゃ楽になりましたね。
―― 「作戦」として相手を喜ばせようとする言葉でもいいのでしょうか。
本多 いいと思いますよ。ただ、喜んでくれるだろうと思っているのに、反応が期待とは違うと「こんなにしてやってるのに、なんでそんな反応やねん」って感じてしまうこともあると思います。

でも、それも自然な感情だと思いますから、そんな風に思うこと自体に罪悪感を覚えて、「いや、そんなこと思ったらあかんねん」って悩まないほうがいいですね。
それは当たり前のことなんで。経験上、ありのままに受け入れて、ありのままに伝えることが家族においては一番楽なんじゃないでしょうか。楽な気持ちを作らないと続けられないです。

NSCの授業の一コマ
―― 続いて、芸人さんのテクニックについても教えてください。
芸人さんは「会話のキャッチボール」が非常にお上手だと素人ながらに感じています。シンプルなお話を面白い話に「仕立て上げた」場面を劇場やテレビ番組、動画配信で見受けます。
それを芸人さんは“訓練”で身に着けているのでしょうか。それともそういったことが“上手”な方が芸人さんになるのでしょうか?
本多 どっちもあるでしょうね。さんまさんやダウンタウン、鶴瓶さんといった「特別な方」もいらっしゃいますけど“どっちも”だと思いますね。
私たちの仕事は、劇場のお客さんやテレビやネットを見てくださってるみなさんに笑っていただく、喜んでいただくことが仕事ですから「そのためにはどう伝えたらええねん」ということを常に考えてることが大切ですね。
―― 芸人さんの伝え方や会話は「スムーズ」に感じられます。
本多 そうですね。よく会話が「詰まる」とお考えの方がいらっしゃると思います。なぜ「詰まる」と思います?

―― 私もよく「詰まり」ますので、理由を伺いたいです。どうすればいいのでしょうか。
本多 授業や講演などでは「必ず『答え』があることを聞きましょう」とお伝えしています。
例えば「何月生まれですか?」と聞かれて、「いや、私には無いんです」 っていう方はいないじゃないですか。
僕は2月生まれなので、相手も2月生まれだったら「一緒ですね。何日ですか?」っていうだけで「みずがめ座? うお座? どっち?」とか話は自然と“転がって”いくんです。
漠然と「趣味は何ですか?」と聞かれても、パッと趣味をあげられる方のほうが少ないと思います。まずは考えなくても答えられることから始めればスムーズに話ができると思います。
―― そのトークスキルは、年齢が違っても通用するものですか? 介護現場では、年齢が離れた方を介護するケースが多いのですが。
本多 それほど気にしなくてもいいと思います。30歳離れていても、「何月生まれですか」という質問には必ず答えがありますから。
私は65歳ですが、30代の方に例えば「今、一番好きな役者さんはどなたですか?」って聞くとします。もちろんいらっしゃることに越したことはないんですが、「ううん……いませんね」と言われても、「じゃあ、好きなスポーツはありますか?」とか「好きな食べ物、好物はなんですか?肉系?魚系?」とか聞くんです。
……いくらでもありますよ、「必ず答えのある質問」って。それを変な“間”を開けずに次々と出していけるのが、芸人さんなんです。

―― 以前、私の知人が芸人さんとお食事をされた際に、「ついついいろんなことをしゃべってしまった」なんて言っていましたが……。
本多 聞いている方としては、話が途切れないからついつい「喋ってしまう」状態になりますよね。
―― 介護現場でも、意識するだけですぐに効果が出そうですね。
本多 若い方が高齢者の方とお話する際に、例えば、「若い時に流行っていた歌はどんな歌ですか?」と聞くとします。
「どんな歌が好きですか?」ではなく、「流行っていたのはどんな歌ですか」と聞けば、答えもあるし、好き嫌いも関係なく答えられます。
もし、答えられた歌を知っていたら、ちょっと口ずさんで「こういう歌ですよね」「そうそう」ってなるし、知らなかったら「どんな歌ですか?」と聞けば「こういう歌…」と口ずさんでくださるでしょうし、いくらでも話が“転がる”んです。
―― 会話というのは転がしていくものなんですね。
本多 そうだと思います。最近の若い子は転がすのが「下手」ですけどね。
―― 一般の方がってことがですよね。
本多 芸人さんでもそうですよ。ポッドキャストの私の番組でも喋ったんですが、「霜降り明星」のせいや君が、「話を転がせ」ってプロデューサーに言われた時に、「『転がす』ってどういうことですか?」ってなった話があるんです。
「いやいや、話をどんどん変えていくねや」って言われて、話を変えていくことだけに集中してしまったせいや君は「もうこれ以上無理です!」ってギブアップしてしまったという。

―― あのせいやさんでも。
本多 「若い子」たちは一つの話を“深堀”するのは得意なんです。アニメが流行っていれば、「そのキャラクターがどうした、こうした」って掘っていくのは、うまいんです。でも、それでは他の話に転がってはいかない。あくまでそのアニメの話に始終するんです。
―― “転がす”ことが難しい原因はどのようなことなのでしょうか。
本多 私が勝手に思っているだけですけど「ネット」が大きく影響しているのではないでしょうか。自分の好きなものだけを選べるようになりましたから。
だから、若い子たちには知識を増やして話題を広げるために「自分の見たい情報・記事の前後のニュースも見なさい」と伝えています。もしそれが興味のない記事だったらラッキーです。ふだんなら絶対に見ることもないものを見ただけで話題がものすごく広げやすくなりますから。
自分の好きなものの中にも、「え、これなんやろ?」って感じることが、きっとあるはずなんですけど、それは飛ばしてしまうんです。その時に調べれば知識になるのにスルーして「知っているところ」にいってしまうから、もったいないですよね。

―― NSCの授業でもいまのような情報の「取り方」について教えられているのでしょうか。
本多 はい。「わからんことがあったら、その時に調べや」と言ってます。そうしたら必ず「違った」知識が増えますから。その違う知識の中でまた違うことに気が付けます。どんどん頭の中の引き出しが増えていくんです。それを一番実践していたのが山ちゃんでしょうね。

―― 「南海キャンディーズ」の山里さんですね。カバンの中にはいつも本が7冊も入っていたそうで。
本多 びっくりしましたね。政治、経済、外交、コミック、情報誌、雑誌、文庫本。「お前、こんなん見てんのか」って。
―― テレビのご活躍だけを見ていたら、努力されている姿は分からないですよね。
本多 見せないですし、そもそも“彼ら”は努力だと思っていないんです。
「かまいたち」や「ジャルジャル」、「プラス・マイナス」に「天竺鼠」……彼らはデビューの時からずっと見ていますから「本多組」と呼んでいた子たちなんです、年間300日くらい付き合って、ネタの相談にのったり、稽古をしたりしていた子らです。
それはもう無茶苦茶稽古しているんですよ。普通の人が見聞きしたら、「頭おかしいんちゃう?」と思われるぐらい。そこを「当たり前のことだ」と思えるか、「こんなに頑張ってんのに、なんで出来へんの?」って思うかで、そこから先の「景色」が全然変わってくると思います。
―― お笑いだけじゃないと感じました。
本多 「こんだけやってんのに……なんでこんなんなん?」なんて思うとしんどいでしょう?
―― いつも思っています(笑)。
本多 しんどいことは続けられませんからね。僕もそうですし、基本的に芸人さんは「しんどい」ことが嫌いですから。
月亭八方さんが「朝7時に起きて、決まった時間に電車に乗って……っていうことが“出来へん者”が芸人になってんねん」って。「そんな奴がそんなもん真面目にするわけないがな」っていつも言ってらっしゃいましたね。

でもね、僕らから見たら、芸人さんはものすごく努力してはりますよ。それを本当に努力と思ってらっしゃらない。
「お金を稼がなあかんのに。番組に出なあかんのに。仕事を貰わなあかんのにやって当然のこと」そんな風に考えている方ばかりです。
「これをやっているとめっちゃおいしいことがあるかもしれへんぞ」って思うと、さして苦にならない。芸人さんはそんな考え方が特化していると思います、特に「売れている」子たちはね。
―― 私は「ネタ番組」をよく見るんですが、介護の「ネタ」ってほとんど見たことがありません。
本多 昔ね、「オール阪神・巨人」さんで――それこそ20年以上前かな――介護をネタにしましたよ。世の中に「ヘルパー」っていう言葉が出だしたころかな。
「巨人さんを介護するために来た阪神さん」っていう構成です。ヘルパーとして来た阪神さんを、おじいちゃん役の巨人さんが手のひらで転がすというネタでした。
―― どのようなネタだったのでしょうか?
本多 一人住まいのおじいちゃん役の巨人さんのところに、ヘルパー役の阪神さんが来るんです。 巨人さんが「うわ、ヘルパーさんいうのに日本人みたいやね」。
「名前違うの。ヘルパーいう仕事。名前は高田(本名)です」と阪神さんが返す。
「あら~背が低いのに高田さんとはこれいかに」「なにを言うてますねん!」
そんなやり取りから、「お風呂に入れてほしい」「トイレに連れて行ってほしい」と小さな阪神さんが大きな巨人さんを一生懸命に背負うんです。

「大きいおじいちゃんやなぁ……」と阪神さんが息を切らして言うと、巨人さんが「あんた力ないな、こうしたらええねん」って言いながら、ヨボヨボのはずやったおじいちゃんの巨人さんが阪神さんを軽々とお姫様抱っこしてしまうというような。
―― 面白そうですね。ぜひ見てみたいです。
本多 面白かったですよ。今はもう「『危ない』ところは避けていこう」という時代ですから、テレビでは難しいですよね。「わざわざ触れんとこう」という考え方が、ネタの幅を狭めているとも思います。
―― 私どもで介護の当事者の方々にお話を伺う企画を制作しています。
ご参加いただいた皆さんはものすごく面白いお話をしてくださって、参加者みなさんで笑うこともあって。
本多 いいですね。どんどん語り合った方がいいと思います。最初に言ったように発散にもなるし、「そんなことがあんねや」という気付きもあると同時に「うちと一緒や!」っていう共感もある。
共感ってめちゃくちゃ大きいことで、「自分だけじゃないんだ、このしんどい思いしているのは」と、“自分だけじゃない”ことを知ることが、ものすごく大きいと思います。
―― たしかに「座談会」が終了するとき、どこか一体感があります。
本多 もう30年近く前になりますが、西川きよしさんが司会の福祉問題を扱う番組で「『ボケ老人』の家族の会」の方に来て頂いて話を伺う企画があったんですけど、すぐに「ボケ老人とはなんや!」という介護をされていない方からのクレームがたくさんありましたね。

介護をしていらっしゃるご家族の方々は、「いや、ボケ老人に違いないねんから、なにが文句あんねん」「せえへん奴が何を文句を言うてんねん!」と怒ってらっしゃいました。ただ、テレビ的にはクレームが多いとNGになるんですよね。
その企画で、私も含めた介護経験のない制作者側からしたら「楽しいことなんてあるわけがないやん。しんどいに決まっている」と思っていたんですが、皆さん、手を叩きながら笑ってしゃべらはるんですよ。
―― 私どもの企画でも時折見受けられる光景です。
本多 「あるある、一緒や一緒!」言うて。
「あ、うちだけちゃうねや。みなさんそうなんや!」っていうので、涙を流しながら笑って、最後は「今日は来てよかったです」と言ってお帰りになっていましたね。
―― お近くに話すことができる方々がいらっしゃらなかったのかもしれません。
本多 そうですね。特に30年前ですからネットもないし、ご近所に言ったら「かっこ悪いから」という時代でしたね。 「あそこのおじいちゃんボケてんねん、おかあさんボケてんねん。大変やな」って言われて、「恥ずかしいこと」とされていました。
でも今は「認知症、大変やな」っていうので、世間が共有する時代になって、意味あいがずいぶん変わってきましたよね。
どちらの時代も見ているから、知っているから共有することの大切さがよくわかりますね。「うちはこうだった、ああだった」「おむつを替えようとしたときにうんちが出ちゃった」「畳におしっこしちゃった」「畳を汚してしまうと掃除すんのが大変!」とかって共感して笑われるわけです。掃除をした時の様子を喋ったらもう手を叩きながら笑って「一緒!一緒!」って。

話すことによって、めちゃくちゃ発散できたっておっしゃっていましたね。私も自分が介護を経験してみて、その気持ちがよくわかります。
ほんまに「しんどい」から。それはやっぱり自分を守るためにそうするべきじゃないでしょうか。“防御本能”じゃないですが、そのための言葉だとも思いますから。
―― 言葉にすることの重要性がよくわかります。
本多 西川きよしさんの奥さんのヘレンさんが、お母さんを介護されていたときのことを、こんな風におっしゃってました。
オムツを替えるときに、「ごめんな、こんなんあんたにさして」って言われて、ヘレンさんは「なに言うてんの、おかあちゃん。私が赤ちゃんのときにおかあちゃん同じことしてくれてたやんか。それのお返しお返し」って言ってらっしゃったそうです。
「腹も立たへんよ。これだけ『しんどい』ことをして育ててくれたんやから、腹なんか立ってられへん。それこそバチが当たるわ」っておっしゃっていました。
―― 本多先生のお父さまの介護のお話は、ご著書にも書かれていましたが、認知症になって人が変わったように穏やかになられたとありました。
言葉での虐待をしてしまうお父さまが一転して本多先生に優しくなったときに、「今更なんだよ」っていう気持ちはなかったんですか?
本多 最初は、あれだけめちゃくちゃ言うてた父も「こんなことになんねんな」と思いました。ある意味「ざまみい」みたいなところもあったんですよ、正直なところ。

でもね、私以外の人を誰も認識できない状況で、私を見る目が幼い子どもを見るようで「今日は発作大丈夫か? 喘息出てへんか?」って優しい目をして心配してくれたんです。そういう顔を見ていると、涙が出てきて。
「ほんまはこういう人やったんやな、この人」って思ったら、すごく愛おしくなりました。
―― 愛おしいというのは、どのような感情ですか?
本多 「素敵な人やったんやな」とでも言えばいいんでしょうか。あんなに嫌いだった父……ほんとに大嫌いでしたから。あと何分か違っていたらバットで殴っているような父でしたから。当時のいろんなことを思い出したら、「この姿がほんまなんかな、この人の」って。だから「ほんとは心配してくれてたんやろな」と感じました。
可愛いって言ったら変な言い方ですけど、気持ちは変わりましたね。
―― 最後は「いい」ご関係だったんですね。
本多 そうですね。事情を知ってる方々からは、「亡くなる前にそういう気持ちになれる関係なんてそうそうないですよ」って言われましたね。「亡くなる前にそういうふうに思えたっていうのは幸せや」って。
こういう感覚はみなさんもあるんじゃないでしょうか。優しかったのに粗暴になったという逆のケースもあるとは思いますが、これまで表に出てこなかった素顔が見られたという感覚。
―― 最後の質問になります。人が生きる意味をどうお考えでしょうか。
本多 あんまり考えたことないです、正直。というのは、生まれてきたことが奇跡ですから。何億っていう精子の中から1つだけが受精して、自分っていうものがこの世に生まれてきたんです。

ですから病気なのか事故なのか老衰なのか分かりませんけど、命が尽きるまでは一生懸命やらないと「失礼やな」と思っています。
―― 生まれてきた「奇跡」に対してということですか?
本多 本来だったら違う「人」が生まれていたかもしれない精子の中で、自分が選ばれてきたわけです。それが3億やったら2億9999の可能性のあった子たちに対して失礼やと思いますもん。出来ることは一生懸命やる。「なにを」とか「いつまで」とかじゃなくて、生きている間は勉強しないといけないと思っていますし、一生懸命やることしか考えていません。
それも人のためになることを考える方が楽なんですよ。
―― 「楽」とはどういうことでしょうか。
本多 私は弱い人間なんで自分のためにすることは「しんどい」です。楽な方へ、楽な方へ行ってしまうんで。「誰かのために」「この人を喜ばせるために」……そんな気持ちでいられれば頑張れる、踏ん張れるかなと思いますね。
―― よくわかります。
本多 「自己満足」ってありますけど、「他己満足」です。他に己の「他己」。
ほかの人に満足してもらうっていう気持ちを持っていると、世界は平和になるとまで言うと大げさですが、暮らしやすくなるんじゃないでしょうか。最終的にはそこなんかなって勝手に思っています。
―― ありがとうございます。最後の最後にひとつだけ……「後学」のために伺いたいことがありまして。
明石家さんまさんが、雑誌のインタビューを基本的にはお受けしない理由として「インタビュアーが勝手に(笑)を付けるから」だって冗談交じりにおっしゃっていたんですが、先生はどう思われますか?
本多 その時々ですよね。(笑)があることで臨場感が出るときもあるし、読んでいて「こんなところでいらんやろ」ってときもありますからね。
―― そこはもうライターさんのセンスということですね。
本多 センスでしょうね、きっと。
―― 今回の記事を書いてくださる方にも伝えておきます。
本多 ぜひお伝えください。ありのままで結構ですので。

ネタのチェックをする本多先生
写真提供:吉本興業