地形の凹凸や敵の障害物を戦車が乗り越えるために必要なのが戦車橋です。日本では74式戦車ベースの91式戦車橋が現役ですが、74式戦車は退役済み。機甲戦力の装輪車化が進む中、それに対応し91式に代わる戦車橋が求められます。
「要求された時間内に架橋を完成させ、無事に戦車が通過して前線に送り出せた時、とても満足とやりがいを感じます」(91式戦車橋の乗員)
「戦車に“橋”載ってる!!」 今後も見られる? いまやタイヤ…の画像はこちら >>駐屯地記念行事の模擬戦闘で、74式戦車に援護されて架橋作業しようとする91式戦車橋(月刊PANZER編集部撮影)。
戦車を通過させるため、戦車をベースにした“可動式の橋”が戦車橋です。その存在は目立たないものの、無くてはならない文字通り「縁の下の力持ち」です。
戦車は履帯(キャタピラ)で悪路も走破できますが、どこでも走れるわけではありません。自然の川や溝、敵の障害物といった人工物など、進路をふさぐ様々なモノを克服できれば、作戦の選択肢はずっと広がります。
ウクライナへは西側諸国から、M60 AVLBが18両、レオパルト1ベースのビーバー架橋戦車が14両供与されており、支援車両として重視されていることが分かります。
冒頭の91式戦車橋の乗員は夜間でも悪天候でも、要求されれば臨機応変に架橋して通路を開設しなければなりません。事前に作業計画される場合もあれば、突然の支援要請もあります。戦車部隊からどこで「お呼び」が掛かりそうかを想定しますが、結果的に出番がない場合もあるそうです。
91式戦車橋は車外に出なくても作業は可能ですが、実際の架橋場所では地形や地盤状態を確認するため偵察はどうしても必要になります。突然の支援要請の場合は地形の見極めが重要で、車長や施設小隊長が決心をします。前線で何十トンもある戦車を不安定な地形を通すわけですから、作業には確実性が求められます。安全第一なのはどこでも同じです。
ところで、戦場に架ける橋にもいろいろあります。用途によって固定橋、浮橋、支援橋、攻撃橋と分類されますが、戦車橋は攻撃橋です。川を渡るためだけではありません。最前線で障害物を越えるためにも使われるので、防御力が高く、走破性の良い戦車がベースに使われます。
戦車橋のルーツは戦車の登場と時を同じくしています。第1次大戦で登場した世界最初の戦車「マークI」は、戦場の荒地を履帯で走破できたのは画期的だったものの、それでもあちこちに掘りめぐらされた塹壕や砲弾の落下痕などにハマると動けなくなりました。
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第2次大戦でドイツ軍がIV戦車ベースに開発したブリュッケンレガー(月刊PANZER編集部所蔵)。
そこで溝を埋めるための長さ約3m、直径約1.5mの鎖で束ねられた薪をマークIの車体に載せて、地面の隙間に落として埋める工夫をしました。これが戦車橋の始まりといえるでしょう。
溝や鉄条網、バリケードを乗り越えられる戦車橋のニーズは高く、戦車を国産している国の多くで研究されますが、構造は複雑で技術的ハードルが多く、製造コストも高くなることからレアな装備でした。第2次大戦にも登場しますが数が少なく、活動記録も多くありません。
第2次大戦でドイツ軍は、戦車中心の機甲部隊と自動車化部隊の機動力を武器とするいわゆる「電撃戦」を編み出しました。支援部隊も戦車の速度に追従する必要があるため、IV号戦車ベースの「ブリュッケンレガー」という戦車橋を1940(昭和15)年までに約20両製造しました。対フランス戦にも投入されましたが、軍の要求を十分満足させる性能ではなく、ほどなく駆逐戦車に再改造されてしまいました。連合軍もシャーマン戦車やチャーチル戦車などをベースとする戦車橋を開発して配備しています。
日本でも戦車壕を迅速に越えるために、工兵用の超壕機TGが研究開発されました。橋を火薬の力によって打ち出して架橋するというユニークな構造でした。1942(昭和17)年に1両が製作されましたが、試験運用にとどまり部隊配備はされませんでした。
戦後の日本では61式戦車ベースの67式戦車橋、74式戦車ベースの91式戦車橋が作られました。67式の生産数は4両と少数でしたが、最大通過重量は40tと74式戦車でも通過できたので、第7師団などでは91式と交代するまで重宝されました。
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防衛装備庁技術シンポジウム2024で展示された、陸上装備研究所の「将来軽量橋梁」の説明パネル。耐弾試験も実施されている(月刊PANZER編集部撮影)。
67式は、車体の上に折り畳まれた橋梁を展開するシザーズ式で、構造は比較的簡単でしたが、展開するには橋梁を垂直に立てねばならず、非常に目立つのが欠点でした。
西ドイツでは67式の試作中、カンチレバー式の戦車橋「ビーバー」が発表されていました。これは2つに分かれた橋梁を上下に重ねて搭載し、接続時は車体上部で滑らせながら1本にして、前方移動で対岸へ渡すというものです。 カンチレバー式はシザーズ式より構造は複雑ですが、目立ちにくいのが利点で、91式ではこの方式が採用されています。
91式は制式年度を見ると90式戦車よりも遅いことになりますが、最大通過重量は60tで90式でも通過できます。そのため90式や10式戦車ベースの戦車橋は開発されていません。74式戦車は退役しましたが、その派生型はまだ現役となりそうです。
また近年は機甲戦力の装輪車化も進んでおり、装輪式戦車橋のニーズも生まれています。装輪戦闘車は戦車より軽いのですが、機動性が違うので、履帯式の戦車橋と行動するのは無理があります。
ドイツではボクサー装甲車ベースの戦車橋がメーカーから提案されています。日本でも防衛装備庁が16式機動戦闘車を念頭に、「機動展開能力と持続性・強靱性を確保する将来軽量橋梁技術」に取り組んでおり、橋梁の軽量化とともに攻撃橋らしく耐弾性の検証も行われています。
日本の機甲戦力の多くは装輪車の16式が担うようになっています。現用の91式では対応できないことは明らかであり、装輪車台の攻撃橋(戦車橋)が必要なことは間違いありません。