ホンダ初のスポーツカー「SPORTS 360」に遭遇! 幻の1台となった理由とは?

価値あるヘリテージモデルから最新の電気自動車(EV)まで、さまざまなクルマが集結したイベント「AUTOMOBILE COUNCIL 2023」(オートモビルカウンシル2023)。ホンダは「1962年、ホンダ四輪進出前夜」をテーマに「SPORTS 360」と「T360」の2台を展示していた。これら2台の360は、今や世界的な自動車メーカーになったホンダの駆け出し時代を物語る貴重なクルマだ。

○ホンダがクルマ屋になった経緯は?

SPORTS 360は1961年に通達された通称「特振法案」(特定産業振興臨時措置法案)をクリアして四輪業界に進出するため、ホンダが1962年に制作した最初のスポーツカー。製作期間は実質4.5カ月ほどだったという。1962年6月5日のお披露目の際には本田宗一郎自らがハンドルを握り鈴鹿サーキットのメーンスタンド前を走行。ホンダは長年の夢だった四輪進出を果たした。

長さ3m、幅1.3mの超コンパクトボディに搭載したエンジンは、排気量360ccの4キャブ水冷4気筒DOHC。当時は軽自動車の最高出力がせいぜい20PSほどだったが、SPORTS 360は33PS/9,000rpmを達成した。オートバイが搭載するような高回転型エンジンであったため、狭いトルクバンドをキープする走りはかなりのテクニックが必要だったという。

ステアリング奥の丸型2眼メーターにはどちらも「14」までの数字が刻まれている。スピードはkm/h×10、タコはRPM×1,000で計算する仕組みで、設計者のおしゃれ心が伝わってくる。

乗ったらかなり楽しそうなホンダ初のスポーツカーは結局、軽自動車規格では海外進出が難しいとの判断もあり、発売に至らなかった。そんな事情でホンダの市販車第1号となったのが、トラックの「T360」である。ホンダがトラックで自動車ビジネスに参入した理由としては、当時の4輪市場では商用車の方が需要が多かったことや、トラックが2輪販売店でも売りやすい車種だったことなどが挙げられる。

SPORTS 360の展示車は、ホンダスタッフの手によって復刻を果たした1台だ。ボディは当時の写真や外形線図、「S600」の測定データなどを基に造形。エンジンはオリジナルが残っていなかったので、T360のもの(360cc4キャブ水冷直列4気筒、30PS/8,500rpm)を搭載角度を変更して載せた。

のちにボディとエンジンを拡大し、ホンダが「S」シリーズ(500、600、800)として市販したモデルには、クローズドボディを装着したクーペモデルがある。オートモビルカウンシル2023の会場では、プラネックスカーズが真紅の「S600クーペ」を展示販売していた。お値段は550万円となっていた。

懐かしそうにこのクルマを眺めていた2人組のおじさまに話を聞くと、当時の船橋サーキットで開催されていたレース(伝説のCCCではなく、日刊スポーツ新聞社主催のレースだったらしい)に同型車を駆って出場していたという。「こっち(クーペ)のほうがボディ剛性が高くて、レース向きだったんだよ」とのことだ。あの浮谷東次郎のマシンも、これを改造した「カラス」だった。

ちなみにホンダSシリーズは、筆者が中学生だったころ(1970年代)の通学路に放置されていて、朽ちていく様子を登下校時に横目で見ていたというちょっと悲しい記憶も残っている。高校生になって通学路が変わってしまったため、その後どうなったのかはわからないのだが、ボンネット内はすでにドンガラになっていたので、エンジンだけは別の個体に載せ替えられて今でも生き延びているかもしれない。

原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。 この著者の記事一覧はこちら