一市民が刑事事件の犯人と間違われたとき、「冤罪」が生まれる。あってはならない、究極的な間違いだ。
疑われた人の人生を狂わせる冤罪はなぜ発生してしまうのか。その大きな原因の一つに、「人質司法」がある。不当な長時間の取り調べで、正常な判断力を狂わせ、虚偽自白を誘発するーー許されざる不当な捜査手法といえる。
「冤罪 なぜ人は間違えるのか」の著者、西愛礼弁護士も同著でその問題点を指摘。容疑の否認によって身体拘束が長期化する「人質司法」で苦痛を受けたとして、国に損害賠償を求めている元出版社会長・角川歴彦氏の人質司法の国賠弁護団の一員にも名を連ねている。
第5回では、この日本の捜査機関において、冤罪を生む要因の一つとされる「人質司法」の問題点について取り上げる。
※ この記事は西愛礼氏の書籍『冤罪 なぜ人は間違えるのか』(集英社インターナショナル新書)より一部抜粋・再構成しています。
日本の刑事司法の大問題点「人質司法」はなぜ生まれるのか長時間取調べの温床として、特に日本では無実を主張する人ほど身体拘束がされやすく釈放されにくいという「人質司法」が問題視されています。
この人質司法は、虚偽自白や非対等な防御を誘発することによって罪の原因にもなっています。なぜこのような人質司法が生まれるのでしょうか。そもそも、日本ではどのような理由に基づいて被疑者・被告人を身体拘束しているのでしょうか。
よくある勘違いとして「逮捕された人は罪を犯しているので、刑事裁判までの期間も処罰として身体拘束がなされる」というものがあります。
しかし、人は刑事裁判で有罪判決を受けるまで無罪であることが推定される無罪推定原則(憲法31条、自由権規約14条2項)があるため、その人が有罪であることを理由とした未決拘禁はすることができません。
また、「取調べのために身体拘束をする必要がある」という考えも誤っています。日本には黙秘権(憲法38条)があり、取調べをする必要があったとしてもそれは身体拘束をする理由になりません。
加えて、「再犯を防止するために未決であっても拘禁をする」という考えも現代の日本では採用されていません。このような犯罪防止のための身体拘束は「予防拘禁」といって、犯罪事実が確定していないにもかかわらず危険人物というだけで身体拘束をするという考えであり、日本では思想弾圧が行なわれた歴史の反省も踏まえて否定されています。
実際のところ、日本では、刑事裁判への出頭を確保し、証拠隠滅を防止すること、有罪判決がなされた場合に刑の執行を確保することを目的として、身体拘束をすることになっており、この考え方自体は刑事裁判実務において確立したものとなっています。
そのため、①罪を犯したと疑うに足りる相当な理由の存在、②住居不定、並びに罪証隠滅又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき、③勾留の必要性、といった各要件が揃った場合にのみ、刑事裁判までの期間において勾留(身体拘束)することになっています(刑事訴訟法60条など)。
なお、無罪推定原則がある以上、起訴された場合にも保釈が権利として認められている(権利保釈)のですが、「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」といった要件が認められる場合などには保釈は認められないことになっています。
無実を主張するほど身体拘束が長引くわけ統計上、2021年の通常第一審における保釈率は自白事件が32・9%、否認事件が26・5%であるところ、自白事件はその70・9%が起訴後1カ月以内に保釈されているのに対し、否認事件は34・3%しか保釈されていません。
つまり、否認事件のほうが自白事件よりも保釈率が低く、身体拘束が長期化する傾向があります。このように、裁判で無実を争うほど身体拘束が長引くという人質司法は統計資料によっても裏付けられているのです。
この人質司法の原因となっているのは、「罪ざい証しょう(証拠)を隠いん滅めつ すると疑うに足りる相当な理由」という身体拘束の要件に関して確立された法律解釈と、それに基づく運用です。
罪を認めて自白している人については、刑事裁判で有罪になることは確定していて後は量刑審理だけであり、証拠隠滅をする動機が低減され、隠滅可能な証拠も少ないため、証拠を隠滅する可能性が低く見られています。そのため、勾留が却下されたり、保釈が認められやすかったりします。
一方で、罪を認めずに争っている人については、刑事裁判で有罪・無罪が争われることになりますから、情状事実だけでなく犯罪事実に関する証拠についても証拠を隠滅する余地が生まれます。
さらに、無罪判決を目的として容疑を否認したり、黙秘したりすると、証拠を隠滅する動機が否定できないものと考えられてしまいます。そのため、罪証を隠滅する理由があるとして勾留がされ、保釈が認められにくくなってしまうのです。
これらの結果、法律上は身体不拘束が原則であるはずなのに、無実を主張する事件の多くは「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるとして、釈放は例外的にしか認められないような実務運用になってしまっています。
どうして裁判所は釈放を認めないのかそれでは、上記のような解釈運用がなされている状況で、無実を主張するとどうなるのでしょうか。
まず、罪を認めて争わない人よりも、無実を主張する人のほうが身体拘束されることになり、しかもそれが長期化することになります。身体拘束は非常に過酷で、肉体的にも精神的にも負担になります。
そのため、無実を主張したいと思っている人も、身体拘束されているのは容疑を自白せずに争っているのが原因だと考え、こうした負担から逃れるため罪を全面的に認めたり、あるいは一部を認めて裁判上の争点を減らしたりすることによって釈放されたいと考えることになります。このようにして、人質司法によって虚偽自白が誘発されることになります。
また、刑事裁判では、捜査機関が事情聴取して集めた供述調書について、被告人が同意しなければ採用されません。そのため、無実を証明するためには、捜査機関にとって有利なことしか書かれていない供述調書には同意せず、法廷での証人尋問によって事実を明らかにするという手段を採ることになります。
ところが、この証人も口裏合わせなどによる「罪証隠滅」の対象ですので、証人の数が多いほど「罪証隠滅」という要件が認められやすくなってしまいます。そこで、早く釈放してほしいと願う人は証人尋問の機会を放棄して供述調書に同意することで証人の数を減らそうとすることになり、不利な立場で裁判を進めざるを得なくなってしまいます。
これらのように、身体を拘束されている人にとっては、あたかも自分の身体が人質として扱われ、身体拘束から解放されるために自白や供述調書への同意、証人尋問を放棄することを余儀なくされ、裁判が不利になるように導かれていくのです。
このような刑事司法実務の運用に対して、被告人の身体を取引材料にして被告人にとって不利な状況を引き出していく状況を表現する「人質司法」(HostageJustice)という言葉が生まれ、日本の司法制度は国際的にも批判されているのです。
「人質司法」闘争スタート 無実を主張するほど“身体拘束”が長期化…「無罪推定の原則」な…の画像はこちら >>
人質司法をなくすために立ち上がった各分野の精鋭弁護士で結成された弁護団
1月10日、東京地裁民事6部で、元出版社会長・角川歴彦氏が人質司法によって身体的、精神的、社会的に多大な苦痛を被ったとして、国に損害賠償を求める裁判がはじまった。
第一回口頭弁論を終え、弁護団らと会見にのぞんだ角川氏は、拘留中、拘置所の医師から「あなたは生きている間にはここから出られません」と告げられ、絶望したことを明かした。服薬が必要な80歳にとって、その言葉は拘置所内での死を宣告されたも同然だった。
原告がこれほどまで追い詰められていたことを知っていたにもかかわらず、第一回口頭弁論で被告の国側は、原告側の資料をパラパラめくりながらにやついて話し込むなど不誠実な態度だったという。弁護団は「どう考えても真摯に話をしているようには受け取れなかった」「非常に不遜な態度だった」と怒りをあらわにした。
こうした態度は、現時点ではそのものが「人質司法」に対する捜査機関側のスタンスなのかもしれない。「それのなにが問題なのか」。
角川氏はこの国との裁判を、漢字一文字で表すなら「闘」と表現した。前代未聞のVS国との「人質司法」闘争。<人質司法を終わらせる>闘いの火ぶたが切って落とされた。