東京都で中学受験がスタートする2月1日まで、あとわずか。参考書やテキストを詰め込んだリュックを背負う小学生たちが星空に見守られながら、塾からの帰路を急ぐ。人工衛星に愛情を込め“わが子のよう”と呼んでいる笠間縁(ゆかり)さんも、かつてはその一人だったのだ。星好きだった少女が、どうしていくつもの人工衛星を手がけることになったのか、その半生を語ってもらった――。
サーマルブランケットと呼ばれる断熱シートに包まれた人工衛星「だいち4号」は、横浜港から種子島まで船で輸送された後、大型トラックで深夜に宇宙センターに到着した。
不具合のチェックを終えた金色に輝く人工衛星は、円すい形のロケットの先端部分に格納され、ついに発射台へ……。
「人工衛星の打ち上げでは通常、種子島と筑波の2つの宇宙センターにスタッフが集まるのです。私は筑波チームの夜勤だったので、自宅でYouTubeの生配信で、昼の打ち上げの様子を見守っていました」
そう語るのは、三菱電機鎌倉製作所・衛星情報システム部技術第一課長で、理学博士の笠間縁さん。だいち4号の設計から運用までの一連のプロジェクトの中心人物だ。
一般的に人工衛星の製作期間は5年ほどかかるが、だいち4号は8年の年月を要したという。だが人工衛星を運ぶロケットの打ち上げはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の仕事になるため、笠間さんは見守ることしかできない。
特に4号打ち上げの1年前には“悪夢のような出来事”があったため、祈るような思いだった。
打ち上げのカウントダウンが10分前から始まると、火災予防のためにロケットにはシャワーがかけられ、水蒸気が舞い上がる。気持ちの高まりを感じながら、ついにカウントダウンが3、2、1と進むと一気に白煙が広がり、天高くロケットがする。
「ゴーッと打ち上がり、高度600キロあたりの人工衛星軌道にまで届くと、第1エンジンが切り離され、第2エンジンによって水平の移動になります。そこまで15分くらいかかりますが、まずは分離まで順調でした」
だが、まだ安心できない。前回、1年前のだいち3号の打ち上げは、ここで失敗したからだ――。
笠間さんは幼いころから星空が好きで、母に買ってもらった星座早見盤を手に、ベランダで夜空を眺める天体少女だった。
初めて買ってもらった望遠鏡で土星の輪を見たときや、寝転びながら流星群を眺めていたときの感動は、いまでも忘れられない。
宇宙への探究心は失われることなく、東京大学や東大大学院では物理学を学び、人工衛星を作りたい一心で三菱電機へ入社。子育てに奮闘しながら、いまも人工衛星に情熱を燃やしている。
「幼いころに抱いた宇宙への興味を母が伸ばしてくれたおかげで、さまざまな縁に巡り合い、真っすぐに宇宙事業に突き進むことができたのかもしれません」
■『大草原の小さな家』で、かき立てられた想像力「宇宙には何があるんだろうか」
笠間縁さんは、会社員の父・諭さん、母・里美さん、3歳年下の妹の4人家族で、埼玉県新座市に育った。
「母が漢字一文字にこだわっていたようで、私は縁(ゆかり)、妹は環(たまき)と名付けられました。周りと協調して、つながりを持ってほしいとの思いがあったのでしょう」
教育熱心な母は、習い事にも挑戦させてくれた。
「音大出身の母からは、直接、ピアノを習っていました。けっこうスパルタで、母は台所で料理をしていても、私の演奏にミスがあれば『そこ、違う』と指摘し、やり直しになるのです」
母は同時に、笠間さんの興味を深める応援もしてくれた。小学3~4年生ごろに星が好きになった娘のために、池袋にあるプラネタリウムに連れていってくれたり、図鑑や星座早見盤を買ってくれたりしたという。
「NHKで放送されていたアメリカのドラマ『大草原の小さな家』で、星空の上には別世界があり、その別世界の床の穴から漏れる光が星の輝きだと語るシーンがあって、“宇宙には何があるんだろうか”と想像力をかき立てられたのです」
日本でも屈指の進学校である桜蔭中学校に進学した直後の’86年、ハレーが地球に最接近したことが話題となった。
「誕生日プレゼントの望遠鏡を持って、富士山の五合目まで連れていってもらいました。富士山からは天の川もきれいに見えるので、星空のなかからワクワクしながらハレー彗星を探しました」
星空への憧れが、理系女子、いわゆるリケジョの素養を育んだ。
「中2のときには超新星爆発がニュースに。星が1つ増えたことに興味を持ち、東京大学天文学科の教授による講演会を聞きました。そのときから“宇宙を学べる大学に進みたい”と考えるようになったんです」
笠間さんが進学した東京大学には天文学科や地球惑星物理学科などがあったが、広い分野が学べる物理学科へ進んだ。
「大学では天文部に所属しました。文化祭では自作のプラネタリウムを半年くらいかけて作るのが伝統で、木製のフレームにビニールシートを張ってドームを作ったり、プラネタリウムの機械も、電気回路などから作成したりしました。部活動を通して、ものづくりの楽しさを知ったのです」
名前のとおり、さまざまな縁がつながり、彼女の世界が広がっていったのだった。
■「そもそも女性を採用していない」……狭すぎた人工衛星製作メーカー就職の門
「大学院で所属していた研究室では宇宙でX線を検出して天体観測をする装置作りに関わりました。人工衛星に装置を積み、宇宙に飛ばすのですが、世界初のデータとなるため、周囲の期待も大きかったんです」
装置を積んだロケットの打ち上げを見届けるため、研究室のメンバーと共に鹿児島県を訪れた。
だがロケットは打ち上がったものの、いつまでたってもアンテナは、衛星からの信号を受信できず、クルクルと回ったまま……。
「周囲のメンバーも、期待が不安へ、そして最後には落胆に変わっていって……。どうやら地球を4分の1周ほどしたあと、太平洋に落ちてしまったようです。人生で初めての挫折でした。
装置によって得られたデータで論文を書く予定だったので“この先、どうしよう”という不安も大きかったですね」
当てが外れてしまった研究室のメンバーは、新たなテーマを探すことになったが、すでに打ち上げられている人工衛星のデータは研究し尽くされてしまっている。
「そんなとき、指導教授が『太陽には、まだ解析されてないデータが眠っている』とアドバイスをしてくださり、通信障害を引き起こす太陽フレアの研究に転向したんです」
笠間さんは研究分野を変更せざるをえなかったことをきっかけに研究者としての将来を考え直し、就職を考え始めたという。
そんなとき「太陽を観測する人工衛星を三菱電機が打ち上げるらしい」という話を聞きつけたのだった。
「自分が研究を続けるのではなく、学生に研究の材料を提供できる立場はどうだろうかと。私が作った人工衛星のデータで、研究者が新たな発見をしてくれれば、やりがいになると思ったんです」
卒業論文の準備と並行して始めた就職活動では、人工衛星技術のあるメーカーなどを受けた。
だが当時は博士課程まで修了した女性は“扱いづらい”と捉えられていた。たとえばある大手電機メーカーでは「そもそも女性を採用していない」「研究の道に進むつもりじゃなかったのか? なぜ民間のメーカーに?」といった反応で、人工衛星関連の就職の門戸は広くはなかった。
「それでも太陽を観測する新しい衛星打ち上げ計画を進めていた三菱電機には『衛星を作りたいんです!』と訴えました。
実は三菱ではもっと大きな衛星も作っていたのですが、私が希望したのは小規模な衛星だったこともあり、『レアな分野を突いてくるね』って、面白がってくれたんですね」
(取材・文:小野建史)
【後編】「最後は神頼みなんです」人工衛星『だいち4号』開発者・笠間縁さんたちが購入した“鶴岡八幡宮の高いお札”へ続く