泉房穂×くらたま(後編)明石が変わる 世の中が変わる

本記事は後編です。前編からお楽しみください
任期満了を前にして、子どもたちに伝えたいことを教えていただけますか。
クサい言い方になりますが、生まれた環境で自分の夢をあきらめないでほしいんです。貧しい環境の中で夢をあきらめざるを得なかった私の両親の無念さを知っているから。
親父が小学生のとき、3人の兄貴が戦死しました。だから、親父は小学校を出てから漁師にならざるを得なかったんです。仕事の合間に本を読んでいても取り上げられて、読ませてもらえなかった。勉強がしたいのに漁を続けるしかなかったんです。
そうだったんですか。
おかんも貧乏人の漁師の子でした。そんな2人が結婚するときに誓ったことがあります。「自分たちは勉強したくてもできなかった。だから、うちの子はせめて高校に行かしてやろう」と。
それで、私は高校まで行かせてもらったけど、両親ともに”大学”という発想はなかった。「自分で行け」って言われていたので、一銭ももらわずに自腹で大学へ行きました。
その目で子どもの安否を確認するということですね。
そう。ほかでやってることのマネはするけど、バージョンアップして「明石モデル」にする。例えば、医療費の無償化も、ほかのまちの取り組みを、見たり聞いたりしてマネをしました。ちなみに、給食費の無償化はソウルのマネ。韓国直輸入です。
そうなんですね。
2022年度から生理用品を全市立小・中・高・養護学校の女子トイレに無料で置いています。これはニュージーランドのパクリ。
ほかにもあります。国連では、2006年、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という理念に基づき、障害当事者が参画して、障害者権利条約が審議されました。これも「明石モデル」にしました。障害当事者の方に、障害福祉だけではなく、すべての審議会に1割以上入ってもらうことにしたんです。
ルワンダ憲法を参考にしたんです。大虐殺のあとに世界の英知が集められてつくったのがルワンダ憲法なんです。その、もっとも新しい憲法を参考にして、明石市でも条例をつくりました。
明石市がやったことは、別に難しいことじゃないんです。どっかで成功してることをパクってアレンジするか、ほかの国でやってることを直輸入してニーズに応じてやっている。そういう意味では、明石市の政策はまず外れない。
ニーズを的確に実現させることが難しいと思います。
政治や行政において、思いつきや博打をしたらあかんのですよ。「挑戦」という言葉は使いますが、施策としての「挑戦」はしていません。「置き」にいっているから。
置きにいく?
行政は、市民の命をはじめとした非常に大事なものを預かっている立場ですから、失敗は許されない。だから、石橋を叩いて、叩いて、叩いて、大丈夫であることを確認してから、第一歩を踏み出す。それが「置く」という表現の意図です。考え抜いて最後まで見通してやってるから、“こける”わけがないと思っています。 泉房穂×くらたま(後編)明石が変わる 世の中が変わるの画像はこちら >>
市政における大切なことを教えてください。
人口増や税収増は目的ではありません。私の目的は「やさしいまちをつくること」です。でも、「やさしいまち」をつくりたいからといって、財政が破綻に向かったら、誰もマネしないでしょう。
それはそうですね。
まずは外部に評価してもらえるよう、最低限の人口増が必要だったわけです。ですから、明石市長になって10年連続人口増を実現しました。これぐらいせんと、みんな見てくれんから。税収増がなければ、持続可能とは言えないでしょう。
「潤ってます!」って言えば「ええ!そうなの?」ってなりますよね。それをしないと、周りがマネをしてくれない。
説得力が違いますよね。
例えば、明石市では飲食店に筆談ボードを置いてもらったり、簡易スロープを全額公費で設置してもらったりしています。
この取り組みをしているほかの市の多くは、助成金は半額です。なぜ半額なのかというと「スロープの設置が飲食店の儲けになる」という考え方だから。
そうじゃないんですよ。スロープをつけると、車いすの青年が入りやすいだけじゃなく、ベビーカーも入りやすいし、高齢者もつまづきにくい。お客さんが増えて飲食店も儲かる。それで税収が返って来て行政もハッピー。みんなが幸せになりますよね。
いい循環ですね。
商店街にも、障害がある方が働いているお店があります。設置の「働きかけ」はそういうお店からではありません。それをやってしまうと、周りからは「あそこの家は息子さんが障害者だからか」で終わってしまうんです。それでは変わらない。
福祉に最も冷たい“端っこ”をひっくり返すんです。端っこというのは、福祉事業から最も遠いということです。そこがひっくり返せれば「なんであいつが協力したんやろ」となって、そこからは全部が引っくり返る。オセロみたいにして。「泉なんかが選挙に通ったら明石はもう終わりや」と言っていた人間が、いまや協力してくれています。それで、明石の店は変わりました。
想像すると「気持ちがいい」ですね。
常に経済的利益が重要なキーワードですが、それだけじゃない。社会的評価や人に褒めてもらうこともすごくうれしいことです。これは社会的満足です。誰も気づかなくても良い行いをすることで満足する「心」もある。これが精神的満足です。この三つの強弱を使いこなさないと。
どれも欠かせないですね。
それでもスロープの設置が「手間」だと思う人もいる。既に設置してくれたお店を広報誌で紹介したら、そういう人も協力してくれるようになりました。
おまけに「私は障害者団体とも仲が良いから、みんなに食べに行こうって言いますわ」と。実際に食べに行ってもろたんです。ほんなら、客が増えるから売上が上がる。店主もうれしそうでしたね。逆に言うと、売上が上がらなければ、人は喜ばないんです。
よく分かります。
人は口で言ったからってやさしくはならない。人にやさしくしてもらうためには儲けさせなあかん。それがリアリティです。
でも、それは決して悪いことじゃないと思うんです。商売人にも家族がいるし、従業員に給料を払わなあかん。きれいごとやないですよ。日々、生きている方々に「やさしく」なってもらうためには、主たる目的となる儲けを生み出さないと。
ええ。きれいごとだけでは腹は満たされません。
わかりやすい話をすれば、障害者への取り組みをすることで儲かるんだったら、それをやるんです。子どもも同じ。「子どもを応援したら儲かります」がキーワード。
理想とお金儲けを結びつけることに、どこか抵抗がある方も多いのではないでしょうか。
そうですね。でも、「恵まれない子どもたちに愛の手を」なんて言っても、誰もが支援を続けられません。
「愛の手を差し伸べたら儲かります!」。この精神も必要なんです。人間のリアリティに光を当てないと政策は継続しない。そこはシビアです。
私は、幼少期からの悔しい体験が強く心に残っているから、人間に対する見方がほかの人よりも冷めているんです。だから「この人が欲しいものは何か?」と考えて、それを渡す。人々が欲しているものを形にしていくことが政治の仕事だと思っています。
この12年、かなりお忙しかったと思いますが、ご家族とのお時間はどうやってつくってこられたんですか?
市長になってからの12年間、5時半から6時半の1時間は、毎日子どもと過ごしました。
泉さんは、たしか、「せっかち」なんですよね。市役所の食堂のきつねうどんは1分ほどで食べていた、なんて記事も拝見しました。そんな泉さんにとって「毎朝の1時間」は重みがありますね。
夜はなかなか家族で「メシ」が食えません。だから、朝5時半になると、子どもを起こして積み木をしたり勉強を手伝ったりしてたんです。それから、シーズンで一回は子どもとの時間をつくって、日帰りで小旅行をしました。
日帰りで?
うちの子は、上がお姉ちゃんで下が弟です。季節に一度の小旅行は、それぞれの子が行きたいところに、それぞれ1回ずつ旅行に行きました。娘とは、デートですよね。
いいですね。ちなみに、奥様はどんな方ですか?
「活動家」ですね。こども食堂や虐待予防の活動をずっとやってきました。子どものときから目的がはっきりとしていて、中学校でボランティアサークルを立ち上げて社会活動に取り組んできたような人です。
「人を助ける」ような人生を送っています。「今はあなたの妻でいることが人助けになっている。私は“どうかしてる人”を助けてるのよ」って私のことを言ってるんやけど……。
(笑)。愛情深い奥さん。
そういう意味では「今の世の中をもうちょっと良くしたい」という思いが一致しているのではないでしょうか。
いやぁ面白い。お話は尽きないところですが、残念ながら、お時間がたってしまいました。泉さんの「社会は変えられる」という思いを引き継いでいく人がたくさん生まれたら素晴らしいなと感じました。
今後のご健闘も楽しみにしています。今日は、ありがとうございました。
1963年、明石市二見町生まれ。元NHKディレクター・弁護士・社会福祉士・明石市市長。「5つの無料化」に代表される子ども施策のほか、高齢者、障害者福祉などに力を入れて取り組み、市の人口、出生数、税収、基金、地域経済などの好循環を実現。人口は10年連続増を達成。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人。