「親は嫌いです、暴力とかもあった」「兄弟全員は育てられないと言われた」17歳少年が語る壮絶な過去 虐待や貧困で親と離れた若者に“18歳の壁” 愛知の自立援助ホームで懸命に生きる【チャント!特集】

一つ屋根の下、温かい食事を囲む。きょうあった出来事に、あしたの予定を話しながら…(17歳少年)「きょう部活でヒット打った!動画見て!」(女性)「ねー、あした弁当いるの?もっと早く言ってよ!」
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でも、ここにいる全員「家族」ではなかった。
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愛知県内にある「自立援助ホーム」。ここには虐待や経済的困窮など様々な事情で親元を離れた若者8人が暮らしている。

ことし4月からここで暮らす1人、リュウさん(仮名)17歳。高校3年生の彼の左耳にはいつも、小さなピアスがついている。黒髪でセンターパート。部活動の「野球」と趣味の「スマホゲーム」に一生懸命な“イマドキ”の高校生な感じがした。想像を絶する過去を歩んできたようにはとても見えない。

リュウさん(仮名)「嫌いです、親は嫌いです」「多分親は自分の事が好きじゃなかったんだと思う。暴力とかも全然あった。こういう所で助けてもらえれば、生活できるし、今更会いたいとも思わない。縁切ってもいいかなって…」
自立援助ホームに来る前は、児童養護施設に7年間入っていたリュウさん(仮名)。施設に入るとき、親から特に理由は告げられなかった。児童養護施設は18歳までしかいられないため、期限が来る前にこのホームを頼ってきた。家を出て…また児童養護施設を出て…“居場所”が中々定まらない…そんな日々だった。

リュウさん(仮名)「俺、監督に足が速いのをかわれているらしくて」そんなちょっとした自慢を、話したい相手は親ではない。ここにいる、同じ様な境遇を辿ってきた仲間と、ご飯を作っていつも待っていてくれる寮母だった。
アオイさん(仮名)17歳。彼もここに来る前は10年ほど児童養護施設に入っていて、18歳の期限を前にこのホームを頼った。

アオイさん(仮名)「自分が学校行っているときに、相談室みたいなところに呼ばれて、家族と知らない人がいたんでびっくりして…この状況は何だってなりながら、そのまま施設に送られた」

7人兄弟の長男で、唯一の男兄弟だったアオイさん(仮名)。両親から“兄弟全員は育てられない”と小学1年のときに児童養護施設へ。いまは全日制高校に通いながら、週5日アルバイトで働く日々。月10万円以上稼ぎ、そのうち3万円を寮費として自ら支払っている。

記者はアオイさん(仮名)に「学校とバイトの両立はきつくない?」「両親がいる他の子をうらやましく思ったことはない?」と何度も質問したが、「きついとは思わない」「慣れている」という言葉しか返ってこなかった。この回答では彼の苦悩が表現できないのでは…と思ったが、黙々と手際よく、バイトで皿洗いをしている様子や、帰宅後もひたむきに机に向かって大学受験の勉強に励む様子を見て、自分の置かれている環境を言い訳にせず、当たり前に目の前のことを努力する、そんなアオイさん(仮名)だからこそ出た言葉なのだと、気づかされた。

アオイさん(仮名)「将来は児童養護施設で働こうかなと。ずっと養護施設にいたので、話の通じない子とか人によって特性があって、特性がある中で関わっていくのは慣れている。」
彼らを支えるのが、寮母の井上陽子さん(73)。

元々は小学校の教師だったが、56歳で退職。生徒指導を担当する中で、ある「非行少年」との出会いが井上さんの人生を変えた。その少年は、父親の家庭内の暴力から児童養護施設へ入り、15歳ころまで施設で育った。高校へは行かず、住み込みで働きながら職を転々としていたところ…「大麻所持で逮捕された」と井上さんに報告が入った。

井上さん「現役時代、私はこういう孤独な子どもたちを見逃してきたのかなと。残りの人生こういう子どもたちと一緒に生きていけたらいいなと。」

児童養護施設で暮らす子どもたちが相談相手がいないまま非行に走るケースに直面し、居場所のない子どもたちを支えようと、退職後、“里親”として自宅で養護施設の子どもたちを引き取って育て、これまで「15人」の里子を社会に送り出してきた。自宅の玄関には巣立って行った子どもたちが残した色紙が飾られている。
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いまも3人の里子を育てている最中だ。
井上さん「色んな困難を抱えてやってきた子たちで失敗も多い。なんで失敗するのかを一緒に考えるのが楽しい。『俺大丈夫やっていける』と自信を持って社会にでていく姿を見られるのが本当に喜び」
そして、7年前に作ったのが「自立援助ホーム」。里子同様、ここで暮らす若者たちも本当の家族として接している。説教も日常茶飯事…
井上さん「おまえスマホ投げたやろ?あれはいかん。あたっていたらどうするの?イヤな事があれば言えばいいんだから、1人で我慢しないで。」
井上さんが「自立援助ホーム」を設立した背景には“18歳の壁”という問題があった。
児童養護施設は原則、18歳までに退所しなければならないが18歳までの自立は難しいとの声が多いことから、2024年4月から年齢制限が撤廃されることになった。また、厚労省が児童養護施設を始めとする社会的養護から離れた約3000人に調査すると、5人に1人が「退所後のサポートがなかった」と回答。

退所後は 身近に頼れる大人がおらず、孤立して経済的問題を抱えるなどのケースも少なくないことから、井上さんの寮は、そんな行き場のない若者たちの受け皿になっている。
井上さん「児童養護施設を退所してすぐの18歳での自立は難しい。仕事が続かなかったり、人間不信になったりした子たちを多く見てきた」

井上さんの寮で暮らす1人、酒井竜也さん(20)。児童養護施設を出てどうしようか悩んでいたとき、井上さんに声をかけられた。
酒井さん「18歳になったから、児童養護施設を出て行くことになって…何も定まっていない。そもそも一般を知らないので自立するのが怖かった。」
人付き合いが少し苦手な酒井さんは、様々な仕事が長続きしなかったが、井上さんに勧められて、いまはこのホームの運営スタッフとして勤務。週5日、時給1000円で寮の食事や得意なパソコンを使っての事務作業を担当している。

酒井さんの作る食事。寮生には評判が高い。この日は、親子丼を作った。寮生「竜也くんが作るごはんが、一番おいしい」酒井さん「ありがとう」
このとき、初めて酒井さんの頬が緩む姿をみた。少し照れていた。
酒井さん「いずれは、このホームで子どもの担当が持てるようなスタッフになっていければいいなと」
井上さんは、これまで「23人」をこの寮から社会へ送り出した。その子どもたちはいま、自衛隊、ラーメン店、建設の仕事など様々な分野で活躍している。井上さんの寮は、ただ生活を支える場所ではなく社会に出て行くための橋渡しになるそんな場所だった。

井上さんが今回取材を引き受けて下さったのは、「社会的養護の子どもたちが閉鎖された空間にとどまらず、懸命に生きる姿をたくさんの人に知ってもらうきっかけになれば」という理由から。取材のたびに、お菓子を持たせてくれた井上さんと、記者(24歳)を「おばさん」と親しみを込めて呼んでくれた寮生のみんなには感謝しかない。愛知県内には自立援助ホームが10か所しかなく、まだまだ18歳以降の若者が自立のために暮らす場所が少ない。井上さんは、自身2か所目の自立援助ホームを6月に開所予定で、まさに今、準備をしている。改装費用や、家具・家電は全て寄付金で賄うそうです。寄付は以下の口座で受け付けています。ゆうちょ銀行 郵便振替番号:00800-4-136723加入者名:自立援助ホームいっぽ支援の会
取材:脇田亜彩香(24)2021年CBCテレビ入社。愛知県出身。2022年夏から名古屋市政担当記者。NEWS DIGでは「川に潜む危険 おいでおいで現象」の深掘り解説記事を出稿。手がけた特集は「注文をまちがえる料理店」「父と自閉症の息子」「自分の声で話したい…」など。YouTube「CBCドキュメンタリー」チャンネルでも公開中。再生数を見るのが日課。